3 / 155
第3話
「手当てをしてやりたいのだが……」
グリューンを相手していたブラッドを片腕で抱き上げ、レオンは卵の入った袋をミュラーに差し出した。
ミュラーは袋を両腕で抱えた。
「竜舎の奥に、おれたちの宿舎がある」
レオンが頷いてブラッドを抱え直した。
「抱かせる竜は?」
「この竜が適任だろう。母性が強い」
ミュラーの問いに、レオンはグリューンを指した。
グリューンは、レオンに抱きかかえられた少年を心配そうに見つめて鼻を鳴らした。
「あ、あの、ぼく、歩けます」
腕の中で小柄な躯を更に縮め、ブラッドは抜け出そうと試みた。
レオンは更にブラッドを高く抱き上げた。
「頭を打っていたら、後から大変な事になる。目眩がしたり、吐き気はしないか」
「そ、それはないです……」
ますます小さくなりながら、ブラッドは答えた。大きな、力強い腕だ。頬から胸元に流れる黒髪は艶やかだ。自分の、癖のあるボサボサの赤毛とは違う。
調教師の宿舎に入ると、レオンは食堂の椅子にブラッドをそっと下ろした。
「水を持ってくる。その間に、服を脱いでいろ」
「でも…、大丈夫…」
ジロリと睨まれ、ブラッドは身をすくませ、のろのろと服を脱ぎ始めた。
汲み上げた井戸水の清らかさに、レオンは感心した。
騎竜を所持する各国の城に訪れたが、ここほど水のきれいな井戸はなかった。井戸は年月が経つほど苔が生えたり砂が混じる。
タライに満たされた水に異物は無い。
竜に与えるため、井戸の掃除は頻繁に行っているようだ。調教師、特に対峙した頭らしいミュラーの意識の高さに感嘆した。
宿舎に戻ると、ブラッドが頭に引っ掛かって脱げない服と格闘していた。布にじゃれついてる仔犬に見えて、レオンは頬を緩めて服を引っ張って脱がしてやった。
「ふあっ?」
ブラッドが妙な声を出してレオンを見上げた。
ボサボサの前髪で覆われていた目があらわになった。
少し釣り上がり気味の、金茶色の大きな瞳だった。瞳の中央が碧がかっている。
仔犬というより仔猫だな。
泥で汚れた顔を拭いてやろうとして、ブラッドの項の白さにレオンの心臓が跳ねた。真珠の粉を叩いたように、輝くような白さと艶かしさがある。
「おじさん?」
ブラッドの言葉に、レオンはこけた。
「……そこは、お兄さんだろ……」
どうにか気力をかき集め、ブラッドの頬を濡れ布巾で泥を乱暴に拭い取った。そうすると、頬の白さも際立ち、最初の印象とガラリと変わる。
うっすらと残るソバカスと、つんと上向いた鼻に愛嬌があった。
「お兄さん?」
「おれは、まだ30前なの」
右のこめかみに擦り傷を見つけた。
傷口に付着した砂を丹念に拭き取る。そのままにしておくと、傷口が塞がる時に中に砂が残ってしまうからだ。
肋骨が浮いている脇腹には、倒れた際の擦り傷と蹴られた痕が赤黒くあった。白い肌に、それは痛々しく浮き上がっていた。
触って押してみる。
ブラッドは、一瞬、息を止めて顔を歪めたが、レオンの手から逃げようとはしなかった。
「骨には異常はないようだ。打撲だけだが、これから、もっと痛くなるかもしれんぞ」
「たぶん、大丈夫だと思う」
「その自信はどこからくるんだ」
腰に下げていた鞄から乾燥させた薬草を取り出し、いくつかを水に浸した。
「それは、なあに?」
ブラッドがタライを覗き込んだ。
「打撲に良く効く薬草だ。水で戻して、患部に張るんだ」
「ぼくなんかに、薬草なんて高価なもの、使わなくても……」
ブラッドにとって薬草や薬類とは、身分の高い人物や竜に使用する高価な物だ。自分のような下働きの人間には分不相応だ。
脇腹に張ろうととしたレオンの手を押し止めて、ブラッドは頭を横に振った。
「だめ」
「何が駄目なんだ」
「そんな高価なの、ぼくになんか使っちゃだめだよ」
レオンが方眉を跳ね上げた。
「打撲は、これからもっと痛くなる。熱も出るかもしれん」
苛立ったようなレオンの言葉に、ブラッドはハッとして息を詰めた。音を立てて血の気が引いていく。
怒った。
否、怒らせた。
ブラッドは自分の失敗を覚った。レオンが優しかったから、知らず自分は馴れ馴れしくしていたらしい。
今日、初めて会った人なのに。
目が優しかったから。
抱き上げた腕が力強かったから。
触れた掌が暖かったから……。
自分から望んではいけないものなのに……。
ともだちにシェアしよう!