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第177話

 レオンを担いだアウグストを見送る事無く自室に戻った皇太子ヒルデベルドは、鮮やかな色とりどりの絹糸で刺繍された長椅子に深く腰を下ろした。  部屋の隅に控えている従者に酒を求め、深い嘆息を吐いた。  従者を部屋から下がらせ、鏡のように磨かれた御影石の円卓に置かれた杯に、ヒルデベルド自らが葡萄酒を注いだ。毒殺を懸念した訳では無い。  注ぎ終わるのを待つ手間を省いただけだ。 (毒か…)  竜人族を殺す毒は二種類ある。  広く竜人族に作用する『竜殺し』と皇族のみに作用する『皇族の毒』だ。  政治的敗北者への毒杯の為に開発されたのが『皇族の毒』だ。  傍流であろうと、例え一滴であろうとも皇族の血が流れていたら、それは猛毒と化す。  血筋が直系に近ければ近い程、ほんの数滴で即死毒となる。   (奴が即死しなかったのは、母親が下賎の出たからだ)  皮肉げに口元を歪め、ヒルデベルドは葡萄酒を飲み干した。 「…私に弟だなど、いらぬ」  青みがかった艷やかな黒髪、静寂の中に焔を秘めた切れ長の眼。耳の形。顎の線。  似ている。  忌々しい事に……。  傲岸で不遜。  絶対的な存在であり、力の象徴。  父であり、竜種全ての頂点に立つ竜皇帝。  その父が婚約者がいる小娘に懸想し、強引に召し上げた。更に、正妃よりも溺愛したとも聞いている。  ところが、飽く事なく溺愛した則妃が産んだ赤子を可愛がるどころか、逆に遠ざけた。彼女を愛するのに、二人の間に赤子は邪魔だと言う理由だけで。  当時、当主不在のリリエンタール公爵家を継がせて放り出した。  帝国の太陽に誰が否やを言えようか。    ならば、時期、帝国の太陽が同じ事をした所で、誰が何を咎めると言うのか。  眉を顰めながらも。  可憐な花を手折ったのは、いつ頃だったろう。  行儀見習いに城に上がっていた下級貴族の娘だった。  皇太子の私室の掃除を数人で担っていた内の一人だった。控え目ながらも仕事を真面目にこなしていた。  幾度か可愛がったが、いつの間にかいなくなっていた。  癖のある茶色の柔らかな髪の触り心地を掌が覚えていた……。  城の奥まった部屋で、深紅の髪の少女は寝台から離れず、滾々と眠る少年を見つめていた。小さな少女には寝台が高すぎて、座椅子に座布団を三枚重ねてちょうど少年の顔を見下ろす高さになっていた。   「ローゼリア、日が落ちて冷えてきましたよ。寒くありませんか?」  城門前で少女を出迎えていた銀髪の美女が暖炉に石炭を焚べた。  石炭は、北方国モレーンの特産物の一つだ。いくつかある鉱山の内の半分が石炭で、残りは鉄鉱石と宝飾用の原石だ。 「大丈夫。医師は、目立った大きな怪我もなく、骨も折れていないって。意識が無いのは脳震盪ではないかと言っていたわ。瞳孔も呼吸も正常。遅くとも数日の内に目が覚めるでしょうとも」 「…ん」  少女が、こっくりと頷いた。  視線は少年から外さない。 「お腹、すいたでしょう? 鴨肉の羹を食べませんか? 鴨肉はお好きでしたでしょう?」  真っ白な円卓上に、湯気の立った料理が並べられていく。食欲をそそる匂いが部屋に広がった。  ローゼリアと呼ばれた少女は、ちらりと円卓に眼をやったが、寝台から離れようとはしなかった。 「仕方ないですわね」  少女の隣に椅子を置いて、匙を愛らしい唇に寄せた。視線を逸らさないまま開けた口に匙を入れる。 「美味しい?」 「…ん」  ゆっくり咀嚼して頷いた。 「クリスティアン様、給仕でしたら私が」  食事を運んで来た侍女が慌てた。 「駄目駄目。この姿の時はクリスティーナと呼んでちょうだい」  片目を瞑り、首を傾げると絹糸よりも細く艷やかな銀髪が揺れた。 「ご冗談は大概になさいませ『王弟殿下』」  咎める侍女の眼差しから視線を逸らし、クリスティアンはローゼリアに向き直った。   「ローゼリア?」  クリスティアンは、ローゼリアの紅い瞳が眠り続ける少年の胸元を凝視している事に気づいた。  浅く上下する胸元を、少年が両手で拳が白くなる程の力で胸元を鷲掴んでいる。  余程大事な物があるのか、寝台に寝かせ、医師の診察の間も掴んだままだった。  その胸元を掴んでいる拳をローゼリアが小さな手で撫でた。 「気になるの?」  クリスティアンの問いにローゼリアが小さく頷いた。 「あたたかいの、ある」  食器を下げ、クリスティアンも少年の胸元を覗き込んだ。  じっと見つめると、小さく上下する胸辺りから、何やら波動を感じた。等間隔で放たれる波動は弱々しく、よくよく注視しなければ気のせいだと見逃してしまいそうな程だ。  余程気にかかるのか、ローゼリアが少年の手を解こうと引っ張ったが、ピクリとも動かない。  少年の眉間に皺が寄った。 「いけませんよ、ローゼリア。とても大事な物のようですから、勝手に取る事はなりません」  窘められ、ローゼリアは顔を上げてクリスティアンと視線を合わせ、こくりと頷いた。            大陸北部の大国モレーンは、十年前までは貧しかった。  材木と鉱山の資源には恵まれていたが、冬が長く土は凍る。その為、麦が育ちにくく、根菜は太りにくい。  それでも国が成り立っていたのは、高品質な宝飾用の原石が取れたからだ。  雪と氷に覆われる冬の間の仕事としての、宝石の加工と彫金の技術は大陸一。  大陸各国でモレーンの宝飾品は人気だ。繊細で高品質。職人は国が抱え込み、出国は厳しく管理されてる為、加工技術は門外不出だ。  それで外貨を稼ぎ、穀物類を輸入して何とか食いつないでいた。  国の存続が危うくなったのは、十年前だった。  突如、前国王が国の南に位置する大陸一の大国バウムガルテンに侵攻したのだ。    

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