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第三話 嘘つきの世界と愚か者
「……で…?結局その吸血鬼を殺すことが出来なかった…んだな?まあ、相当永く生きている吸血鬼らしいし、五体満足で帰って来れただけ良かったんじゃないか?」
そう言って、ぶすっとした不機嫌そうな顔を隠さない降夜を宥めるように、京史は肩をポンポンと軽く叩いた。それに対して降夜は彼を、じろりと睨み付けた。
「良くない!全然良くない!なんで…?どうして…?思いっきり心臓に銀の刃をぶっ刺してやったっていうのに、あいつ…ピンピンしてたんだよ!?だから…持っていた高純度の聖水をあるだけぶっ掛けたらさ、おい…冷てえじゃねえかって怒鳴って来たんだよ!?あり得ない…あり得ないんだけど…!!」
そう言って、降夜は髪を両手でぐしゃぐしゃと掻きまわしてテーブルに突っ伏した。
そうなのだ。
あの時、目的の吸血鬼と対峙できたのは降夜唯一人で……まるで逃げる素振りも見せない、傲岸不遜を絵に描いたあの男の胸元に、魔を退ける銀の短剣を思い切り根元まで押し込んでやったというのに……
「…なんだよ、これだけかよ?」
自分の心臓に突き立てられた短剣の柄を、男はつまらなそうに見ると、躊躇いなくそれを引き抜いて地面に放り投げれば……彼の血に汚れた銀の刃は降夜の目の前で、みるみる内に錆びついて、その輝きを失ってしまったのだ。
なにこれ……?どういうことだよと疑問と不安でパニックを起こし始めた降夜を、面白そうに見ている男の顔を見たら……頭に血が上って、気が付けば腰に幾つかぶら下げた、高純度の聖水。教会の支給品ではなく、わざわざお金を払って手に入れた貴重な退魔道具を力いっぱい男の顔に投げつけていた。
頭から、魔を払い邪悪を焼く退魔の薬を掛けられたのだ。せいぜい悲鳴を上げて地面を転げ回れと、降夜が薄く笑ったその時だった。
「……ったく…おい!冷てえじゃねえか!お前…そんな綺麗な顔している癖に、随分と乱暴だな!これで気が済んだか?じゃあ…今度はこっちの番だな…?」
頭から聖水を被って、ぽたぽたと水滴を髪から垂らしたまま、不機嫌そうに眉間にしわを寄せた男はそう言って、降夜の手を掴んだ。
冷たい指だった。それでも……その手は人間と同じ感触だった。
驚いた顔のまま引き寄せられて、降夜は男の顔を至近距離で見上げた。
男は、降夜を見降ろして……
その時、この男が自分と比べて随分と身長が高いことに気が付いて、ちょっとむっとした降夜の表情を見て、男は……ふっと笑った。
随分と柔らかい人間臭い笑い方だった。
「気に食わない…」
降夜は、ぼそっと一言だけそう言って、手元にあるだけの聖水を男に片っ端から投げつけた。そして男の手から逃れて、夜の森を逃げ出したのだった。
あのまま……あの男の傍にいたら、どうなっていたのだろう。
今頃すべての血を抜かれて冷たい骸になっていただろうか?
それとも、自分の意思を持たない操り人形のようになって……あの男の足元に侍っていたりしたのだろうか……
考えただけで、ゾッとした。
冗談じゃない。俺は、絶対にアイツを殺すんだから。いや……アイツだけじゃない……この世の全ての吸血鬼を滅ぼしてやるんだ。
俺から大切な者を……家族を奪ったあの悪魔の一族を根絶やしにすることだけが、俺に残されたたった一つの……
「…こんなところに居やがったのか?随分探したぞ。なんだ、お前一人だけじゃなかったのか…?今回は、三人か…今回のバンパイアハンター志望者はよ」
「!!!」
物思いに沈んで……いや、失敗に終わった吸血鬼退治に落ち込んでいた、降夜の意識を引き戻したのは……その討伐し損ねた当の本人。吸血鬼である穂村清涼の声だった。
「……!!な、な、なんで君がこんな処にいるんだよ?」
驚きすぎて……なんて言っていいのか分からなかったので、こう言うのが精いっぱいだった俺に、男は普通に話しかけて来た。
「なんでって、お前を探してたって言ったじゃねえか。ほら…お前の短剣。もう使い物にはならねえけど、これを持って教会に帰ればバンパイアハンターの資格が貰えるからな。お前らはどうする?俺と戦ったっていう証拠があれば、資格は貰えるぞ?何日もかかると面倒だから、今夜のうちに済ませておきてえんだけどよ…?」
そう言って、ああ面倒癖えなあと、うんざりした顔をした吸血鬼を呆然と見つめる事しか出来ない俺達だった……
「……なんか…納得いかないんだけど…」
結局、俺達は宿屋に唐突に現れて、しかも俺の落とし物……自分の心臓を刺した短剣を渡しに来たという吸血鬼に戦いを挑むという無謀なことをせずに、ちょっと話を聞きたいんだけどと席に座らせて、自分たちが飲んでいたワインを振る舞い説明を求めたのだった。
そして、聞いた話の内容が常軌を逸していたので……つい本音が出てしまったというわけだ。
納得いくか!!
この吸血鬼が国に認められたキチンとした領主で……この町を治めており、教会のバンパイアハンター試験の試験官を務めているだとう!?
なんなの?あり得ないんだけど。
でも、実際にこうして話を聞いてみれば……納得いかないままでも、認めない訳にはいかないのもまた事実だった。
殺せないのだ。
人間がどう足掻いても殺せない……そんな存在なのだと、当の本人から聞かされて眩暈がしそうだった。
この目の前で、勧められたワインを大人しく飲んでいる金色の吸血鬼のように、齢五百を超えもう七百年近くを生きているという、始祖吸血鬼に近い存在になると、太陽の光も全く平気で……心臓に刃物を刺したくらいじゃ死んだりしないというのだ。
だからこの町のように、吸血鬼の為の生贄を集めた集落が国の至る所に存在するという……まるで、悪い冗談のような話を聞かされて途方に暮れるのだった。
吸血鬼は人間の手で決して滅ぼすことなどできない存在なのだと、世間に公表するわけにもいかず、教会は力の強い吸血鬼と手を結んで世界を騙すことを選んだのだ。
実際に、悪さをする吸血鬼はバンパイアハーフ……所謂、混血が上手くいかずに暴走した本物の化け物で、それらには教会で教えている方法で簡単に退治が可能らしい。
まあ、簡単と言っても……それなりに大変そうではあるけれど。
「まあ…仕方がねえよなあ…殺せないんじゃあ、後は閉じ込めることぐらいしか出来ねえもんな。だから、お前の力が足りないせいじゃねえよ。それに、躊躇なく心臓に刃物ぶち込んで来るなんて…久々にすげー度胸がある奴だな、って思ったぞ?聖水は俺には効かねえって教えてやろうとしたのに…お前、あるだけ投げつけて逃げてっただろう?勿体ないことしたな!」
落ち込んでる俺に、更にとどめを刺すような男の言葉だった。
ああ……!給料の何か月分をドブに捨てたのだろう俺は……!泣きそうだ。
そう……無駄だったのだ。
全てが……努力も根性も、神の奇蹟すら……この目の前の男には通用しないのだ。
世界にはこれと、同じだけの力を持った化け物がうようよいて……そして、それに対抗する術を俺達人間は持たないという、残酷な現実だけがこの手に残ったのだった。
結局、残りの二人、京史と雅臣はバンパイアハンターになるのを諦めると言って、男に挑むことをしなかった。
まあ……何をしても平気だと言われても、教会側の息がかかった奴の心臓に刃物を突き立てる気がしないのも分かるし。それに……男が語った真実があまりに重すぎて嫌になったのだろう。
吸血鬼を、唯一倒せると言われるバンパイアハンターが、教会が作り出した虚構の存在だと知ってしまえば……わざわざそんな者になりたいなどと、誰も思わないだろう。
「それで?お前はどうするんだ?」
男は二人の意思を聞き終わった後、俺にそう問いかけた。
どうする……か。
どうもしないよと言いたいところだったが、そんな軽口を叩ける余裕なんて俺には無かった。
男が返してくれた血の色の錆が付いた銀の短剣を、大人しく教会に差し出して……ありもしない幻想を見せたあいつらの言いなりに働き続けるのも癪に障るし、国の嘘を塗り固めるための道化になるのも嫌だった。
「お前…教会に帰る気がないなら、俺の処に来ないか?」
黙って俯いた俺の耳に、そんな言葉が聞こえて思わず顔を上げると、驚くほど近くに男の顔があった。
金の……恐ろしいほどに澄んだ瞳が俺の目をじっと見つめていた。
一体何をと、言うよりも先に男が続けた。
「お前…処女だろ?あ、男の場合は童貞か?俺は純潔の血しか飲まねえんだ。だからお前も条件に当てはまるんだよ。血の花嫁…俺の妻になれば、一日中俺を殺す機会があるぞ?もしかしたら、そのうち殺せるかもしれねえし…お前が来てくれるんだったら、この町の娘を毎月差し出す家もなくなるぞ?どうだ?いい案だと…」
男が最後まで言い切るより先に、俺は叫んだ。
「なにが、花嫁だ!俺は男だ!ふざけるな!この…変態吸血鬼!!」
とんでもないことを……言いやがった!あり得ない、あり得ない……!
しかもこんな公衆の面前で……人の……!なんだ、あれ?もういい!!
とにかく恥をかかされた俺は、手に持ったワイングラスを思い切り男の顔面にブチ当てて、部屋に逃げ帰ったのだった。
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