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第六話 血の花嫁
「なんで戻るんだよ?その花はコイツに運ばせればいーじゃねえか!」
野薔薇の花を少女に渡す為に一度町に戻ると言った降夜だったが、清涼は手に持った小さな蝙蝠を降夜の目の前にずいっと突き出してそんなことを言ってきたので、ちょっと困ってしまった。
野薔薇の花を持って来てあげると約束した、あの少女に自分の手で渡したい気持ちがあった。あの子の……喜ぶ顔が見たかったのだ。
「いや…なんだか、その子に運ばせるのはちょっと不安なんだよねえ…さっきみたいに女の子の頭の上に墜落されたら、せっかく作った花輪が壊れちゃうだろう?」
それに対する降夜の返答に納得がいかないのか……
キーキーと小蝙蝠も何か喋っていたが……残念ながら、降夜には使い魔の言葉など聞きとることができないので、それは無視することにした。
「うーん…そうか…確かにフォールにはちょっとばかし荷が重いかもなあ…?」
キーキーとか細い鳴き声で何かを訴えている、小蝙蝠を目の前にぶら下げながら首を傾げる姿は……本当におかしいから止めて欲しいんだけどなあ。
「その子…フォール君ていうんだね?落ちる…っていう意味かあ…!分かり易いけどさ?でも、その内着地が上手になったりしたら…そんな名前じゃ気の毒だよねえ?」
清涼の手によじ登って掌にちょこんと乗った、小さな手乗り蝙蝠を見ながら降夜が笑うと、何故かちょっと眉間に皺をよせたので、一体どうしたのかと思えばこんなことを言って来た。
「いや…コイツも前の主から受け継いだ使い魔なんだよ。だから俺が生まれる前から、ずっとずーっと着地が下手なまんま…っていうことだな!多分そこらの吸血鬼よりも長く生きている筈なのに…コイツだけは、何故か昔っからこうなんだよなあ…」
降夜は思わず目を丸くしてしまった。
そんなに長い時を生きているのか……?この小さな何の変哲もなさそうな……蝙蝠が?
驚いて声を失ってしまった降夜に気づいていないのだろう、困ったような面白がっているような……そんな顔をして、掌の上でキーキーと鳴いている小さな蝙蝠を指先でつつきながら笑う清涼を見て、降夜も笑った。
「ま、それさえ除けばかなり優秀な奴だからよ。村に戻るんだったら、コイツを連れてけ」
「え?ちょっと…!」
清涼はそう言って降夜の抗議も聞かずに上着のポケットに、小蝙蝠を押し込んだ。
それに対して、小蝙蝠は文句も……当たり前だけど言わずに顔だけをポケットからちょこんと出して、くりくりとした丸い目で降夜の顔を見上げて小さくキーと鳴いた。
まるで……任せておけ。とでも言っているみたいだった。
「はいはい…分かりましたよ!じゃあ俺は帰るね。今日中に一緒に来た二人には俺から話をして…明日には、ちゃんとここに来るからさ。それでいいだろ?」
「おう!もしあの二人がごねるようなら…俺を呼べ。お前の声をフォールが届けてくれるからよ」
「うん。分かった」
清涼の言葉に少しくすぐったいような気持ちで頷いた。
そして、どうやってあの二人に話したらいいのかとちょっとだけ頭を悩ませたが……まあどうにかなるだろうと開き直ることにした。
だって、もう決めてしまったのだから。
誰にどう言われても、降夜は心に決めたことを取りやめるつもりなどないのだった。
森で清涼と別れた降夜は、約束の野薔薇の花をあの小さな女の子に渡して、彼女と一緒に小鳥のお墓にその花輪を供えた。
ありがとう。お礼を言う女の子に微笑んで、降夜はこの少女の為なら……改めてそう思った。
そして町の宿屋に戻り、降夜の姿が見えないことにとても気を揉んでいた友人達に、自分がついさっきまで森で例の吸血鬼と会っていた事と、彼の申し出を受けることにしたことを伝えた。降夜は、京史と雅臣に自分が犠牲になると告げたのだった。
もう決めたからと笑いすらした。
なんでだ?京史は驚いて……そして怒った。
あの吸血鬼は、確かに昨晩伝言していったけれど……お前を行かせるつもりはなかった。
だから、それを伝えなかったのだと言って、降夜が勝手に清涼の申し出を受けてしまったことに酷く怒った。
こんな……吸血鬼の為の犠牲者を集めた村の存在を知り、ここで暮らす小さな子供達を見て、降夜がどんな気持ちになったのかは良く分かると言った。お前がどれほどあの子達を大切に思っていたのか……それを知っているから、だから心配だったと言って降夜に真剣な眼差しを向けた。
自分の罪を償う為……そんな理由で自分を犠牲になんてするんじゃないと、京史は言った。
それは唯の自己満足にすぎない。お前を大切に思っている、お前の両親を裏切る行為だと言って、降夜の決断を間違いだと糾弾した。
降夜は、それを聞いて嬉しいと思った。
いつだって降夜を心配してくれる……幼馴染の真剣な声を有り難いと思った。
京史の言っている事の方が正しいことも分かっていた。
でも……降夜は決してこの決断を覆すことはしなかった。
村人の為、小さな女の子の為、降夜の双子達……両親への償いの為……
そんなの言い訳だと降夜はとっくに気が付いていたのだから。
今でも、憎いと思っている。
決して許せはしない。吸血鬼は、降夜の大切な者を、愛する家族を奪ったのだ。
今も、諦めきれずに降夜の両親は、毎日教会で神に祈りを捧げているのだ。
どうか無事でと……失われてしまった娘達の為に必死で神に加護を願っているのだ。
降夜がバンパイアハンターになることを、降夜の身を案じて必死で止めたあの優しい両親を……自分の所為だと降夜が思いつめていることを、悲しんでくれるようなそんな人達を……
今も苦しめている……吸血鬼が、憎かった。
でも降夜は、気付いたのだ。いや……気づいてしまったのだ。
降夜が憎むべき相手が……金色を纏った、まるで人間みたいな顔をする清涼ではないという事に。
吸血鬼だから……それだけで彼を憎むことなど、金色の吸血鬼の存在を知ってしまった今、降夜には出来なくなっていたのだった。
その日の夜中に、降夜は息苦しさから目を覚ました。
自分の身体の上に馬乗りになっている男の姿に、目を見開いて……掠れた声をあげた。
「……雅臣…?どうして…」
降夜のその声に、ようやくお目覚めかと苦笑を零して、雅臣は苦し気な顔で唇を震わせた。
「……お前が悪いんだよ…!お前が…あんな吸血鬼なんかの所に行く…なんて言い出すから…!だから仕方がないんだよ。お前をアイツに渡す訳には、どうしてもいかないんだ!俺は…枢機卿になるんだ。その為には、どうしてもお前を…あの方に渡さなければならないんだ!それなのに、お前は…!」
そう言いながら、降夜の首筋に舌を這わせて……指先を肌蹴た寝間着の隙間から忍び込ませた。彼がこれから一体何をするつもりなのか、ようやく降夜にも分かった。
「……なにを、するんだ!やめろ…!」
そんな……どうして……?
思わず涙が零れた。
いつもつまらない冗談を言っていた雅臣からは想像もできないような……欲望に染まった彼の瞳も、荒い息遣いもなにもかもが……それこそ悪い冗談みたいに思えた。
いつだって、周りの女の子たちに歓声をあげさせるその甘い美貌が醜く歪む様は……まるで悪夢そのものだった。
「いや…だ!京君!あ…雅臣…京君は…どうしたんだ…まさか…!」
恐怖に駆られて、咄嗟に助けを京史に求めて……こんなことを黙って見過ごすはずのない、降夜のもう一人の友人の姿がないことにようやく気が付いて、思わず悲鳴を上げた。
「京史は…俺がしようとしたことに反対したから…だから、ちょっと黙っていてもらうために薬を使わせてもらったよ。まあ…多分命に別状はないだろうよ。いざという時にお前に使えとあの方から渡されていたものだ。安心しろ。あの吸血鬼がお前に求めるものは処女の血だ…だからお前が俺の物になれば…お前はアイツにとって用なし…だろう?お前も吸血鬼なんかの慰み者になることを選んだくらいだ…別にその相手が誰に変わろうと…そんなに変わりはないだろう?」
雅臣は、残酷な言葉を残酷な声で……降夜に告げた。
ああ……そうだね。その通りだ。降夜は静かに涙を溢れさせた。
そう……俺は……!
「……降夜…!!」
窓が破壊音と共に吹き飛び、その大音量よりもさらに大きな怒声を上げて、金色を纏った吸血鬼が降夜の許へと現れた。
「な…!」
降夜の身体を組み敷いた、雅臣が驚きの声を上げると、吸血鬼はその黄金色の目に殺気を漲らせた。
「……おい…!さっさとその汚い手をどけやがれ…!ぶち殺されてえのか?」
唸るような声を上げて、のしのしと二人の方へと近づいて来るその姿は、圧倒的な存在感を放っている。
降夜も驚いたが雅臣はもっと驚いたのだろう。降夜の身体の上で硬直して、ただ目を見開いて自分を視線だけで殺せそうな……恐ろしい顔の吸血鬼をただ見ている事しか出来ない。
二人が驚いている間に、清涼は降夜の上の雅臣をべりっと片手で剥がすと、ぽいっと窓から投げ捨ててしまった。
「降夜!大丈夫か?まったく…危なくなったらすぐに俺を呼べと言っただろうが!お前…あんなつまんねー男にヤラれた挙句、中央教会のド腐れヒヒ爺に売り払われるところだったんだぞ!いいか?ちゃんと次からはすぐに俺を呼べよ?お前が真っ先にあの…なんて名前だったか…とにかくもう一人いたろ…!アイツの名前を呼んだときはめちゃくちゃ頭にきたぞ!」
あっけにとられて、目の前の吸血鬼……清涼を見ていることしか出来ないでいた降夜を一方的に怒鳴りつけると、降夜の腕を掴んで立たせて、どこも怪我なんかしてねえだろうな!と眉間に皺を寄せて、降夜の身体をジロジロと眺めた。
「あ…うん。大丈夫…ありがとう…でも、どうして…?俺、君のこと呼んでないよね?」
降夜は、なんとかそう言うと、不思議に思って自分を非常に不機嫌な顔で見詰める清涼に尋ねた。
「ああ?言っただろう?フォールはお前の声を運ぶってよ。それによ…最初に会った時から、なんかあの男…胡散臭いって思ってたんで、教会内部に詳しい知人に頼んで調べさせてたんだよ。やっぱり碌な奴じゃなかったぜ!だから、慌てて迎えに来たら…案の定ヤバい事になってやがった!おまけにお前…全然俺の事呼ばねえし!本当に頭にくんなー!」
そう言って降夜の頭を小さく小突くと、清涼は溜息を吐いて本当に心配したんだからなと言った。
降夜は驚いて……自分を見つめる金色の瞳を見上げた。
なんで……?降夜の疑問の籠った眼差しに、清涼は眉を上げて溜息を吐きながら、答えを口にした。
「言っただろう?お前は…俺のもんだ。絶対に誰にもやらねーよ。だから、俺が守る。絶対にだ!いいか?もう一度言うぞ?もう二度と俺以外の奴に助けを求めるんじゃねーぞ!今度そんなことしてみろ、そいつの首をへし折って…お前の寝室にぶら下げてやるからな!分かったな!」
とんでもない、ありえない脅し文句を高らかに宣言する吸血鬼だった。
いや……吸血鬼だから、か?
降夜は、思わず口をぽかーんと開けて、目の前でドヤ顔をしている金色の吸血鬼。清涼の顔をまじまじと見つめて……そして吹き出した。
なんだよそれ……!ゲラゲラと笑いながら降夜は思った。
この吸血鬼が一番怒っているポイントが、自分に助けを求めなかったことだと気付いて、それがたまらなくおかしくて可愛いと思ってしまった。
「ありがとう。本当に…ありがとう…」
だから降夜は、素直に感謝した。それと、そんなこと絶対にしないでね?京君になにかしたら……俺は君の事嫌いになるからと付け加えれば、清涼は口をへの字に曲げて、悔しそうな顔をした。
「今回は、全面的に俺が悪いから…だから謝るよ。ごめんなさい。でも…京君を放って…君と行くことはできない。ちゃんと手当してからだったら、いいよ?ちょっと待っててくれるかい?」
降夜は、自分の事を心配して駆けつけてくれた清涼に、とても感謝していた。
迎えに来てくれてとても嬉しかった。
でも、このまま……自分を助けようとしてくれた京史をそのままにして、彼の許へ行くことは出来ないと思った。
降夜は寝間着の上に上着を羽織り、俺も一緒に付いて行くと言って聞かない彼を連れて、京史の部屋へ向かった。
「京君…ねえ…しっかりして!」
部屋の扉を開けると、京史は床に蒼褪めた顔をして倒れていた。
それに駆け寄り抱き起せば、小さく呻いて京史が微かに目を開いた。
それにほっとして、降夜が京史をベッドに移そうとしたのを見て、清涼が黙って京史の身体を抱えて静かにベッドに寝かせてくれた。
「京君を運んでくれてありがとう。まだ、薬が効いているみたいだね…心配だから夜明けまで様子を見た方が…」
降夜の呟きに、清涼は眉根を寄せた。
「この薬…なんかあんまり良くねえぞ?多分…質が相当悪い物が混じってやがる。これは…仕方ねえな…アイツになんとかしてもらうか…」
京史に使われた薬の匂いを嗅いで、これは良くないものだと断言した清涼は、すぐにそれに対する対応を考えついたらしい。
あんまり気乗りしない表情だったが、それでもなんとかすると言ったのだった。
「え…?そんなにまずいもの…なの?でも…なんとか出来るんだよね?」
縋るような降夜の声に、清涼は面白くなさそうな表情を浮かべはしたが、ああ、多分大丈夫だと言って、フォール……とあの小さな蝙蝠を呼んだ。
……相変わらず頭の上に墜落されたが、頭上で暴れる小蝙蝠を今度は溜息だけを落として掴みあげると、床に落ちていた小さな瓶を渡してアイツに頼んで来いと、そう一言だけ告げれば、小さな蝙蝠はキーと甲高い声で一声鳴いて夜の空へと飛び去った。
「この薬は…恐らく古い魔術を使った痺れ薬の一種だろうな。お前に使うつもりだったと、あの馬鹿が言ってやがったが…お前に使われなくて本当によかったぜ!まあ…この手の薬を収集するのが趣味の…変態が俺の知り合いにいるからよ。そいつなら、解毒剤も持っているはずだ。そいつに言わせると…毒は解毒剤がなければ価値が半分。だそうだからな!全くいい趣味してると思っていたんだが…今回はおかげで助かったな」
清涼は、心配そうに京史の顔を覗き込んでいる降夜の頭をそっと撫でると、まあそんなに心配しなくてもなんとかしてやるから、安心しろよと笑った。
その笑顔を見て降夜は息を詰まらせた。
どうして……?
降夜の心に再び疑問が浮かんだ。なぜそこまでしてくれるのかと思ったのだ。
「…降夜、お前は少し休んでろ。コイツは俺が見ててやるから…疲れてるだろう?」
降夜の顔を覗き込んで、清涼は眉を顰めてベッドの脇に置かれた椅子に座る降夜の肩を、自分に引き寄せた。
「いや…大丈夫だよ…こんなことになったのは、俺の所為なんだ…京君は、悪くないのに…」
清涼に寄りかかりがら、降夜は泣くのをを必死で堪えた。
こんなに優しくしてもらう資格なんて、自分にはありはしないのだと分かっていた。
全部全部、俺が悪いのに……!
「……だから、お前はなんでも自分の所為にしちまう癖…もう止めろ!いいか?全部あの…馬鹿が悪いに決まってるんだろうが!お前はなんも悪くねえ!大人しく少し寝てろ」
そう言って、清涼は降夜の頭をぐりぐりと撫でて、安心しろ、コイツは俺が必ず助けてやるからよと囁いた。
本当に君は、変な吸血鬼だよ。
なんでそんなに、君は優しいんだろうね?
降夜は、心の中で……そっと彼に問いかけた。
森に迷い込んだ村人を当たり前のように助けて。危ないことをするなと叱り飛ばして……おまけに、大切そうに落ちた薬草を一つ一つ丁寧に拾ってあげるようなことをして。
子供のように、降夜が作る花の輪をキラキラした目で見つめて歓声を上げて。降夜が危険な目に遭えば……呼ばなくても助けに来てくれるような……
優しい吸血鬼。本当に、おかしな吸血鬼だよ君は……
降夜は、大きな掌で頭を撫でられながらゆっくりと瞳を閉じた。
もう……泣きたいような心細さは無くなっていた。
だから、自分が例え、彼にとって新鮮な血を飲むためだけの、ただの血の容れものだとしても構わないと思った。それでもいいから……
夜明け前に、小さな蝙蝠が小さな小瓶を持って戻って来た時には、降夜は隣に座った清涼の肩に凭れて静かな寝息を立てていた。
清涼は、その眠りを妨げないように腕に降夜を抱えたまま、京史に薬を飲ませてやると、薬の効き目が現れるのを待った。
京史の呼吸が正常に戻り、もう心配がない事を確かめると漸く表情を緩めた。
降夜の様子を見ればまだ眠っていた。その安らかな寝顔に微笑んで……
清涼は自分が纏う黒い闇の外套の中に、降夜を包むようにして抱き上げると、そのままその宿を出て森へと向かったのだった。
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