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第九話 カレーと吸血鬼

「そういえば…降夜、お前…料理は得意か?」  漸く昼寝から目を覚ました吸血鬼はソファーから起き上がり、脚立の上で静かに本を読んでいる降夜へ向かって、そんなことを聞いて来た。  「……ん?料理…?出来なくはないと言いたいところだけどね…学校に入る前は、両親と一緒に暮らしていたし、学校の寮は食事つきだったから…俺が作れる料理は、今のところカレーぐらいしかないよ?」  降夜はいきなり何を言い出すんだと思ったが、正直にそう答えたら……あれ?なんだ……? その答えを聞いて、あからさまにガッカリした顔をした清涼の態度に首を傾げるのだった。  何故……?  降夜の疑問に、清涼は物凄く残念そうな顔のまま、そーだよなあ……と溜息まで吐いたのだ。おいおい……!俺に一体何を期待していたんだ……? 「ねえ…?なんなの…?料理できないとなにかまずいことでもあるのかい?君は…吸血鬼だろ!まさか…食事も人間みたいにきちんと摂らないといけない…なんて馬鹿なことを言い出すなよ…?」  降夜は、思いついたことをそのまま言って、思い切り嫌な顔をした。  確かに、降夜は人間だから、食事をとらなければ死んでしまう。食事はどうするんだろうとは、今の今まで清涼に言われるまでうっかり忘れていたけれども。まさか、吸血鬼が人間と同じように食事を欲するとは、流石に思ってもいなかったのだ。 「いや…俺の話じゃねーよ?俺は別に食事をしなければ死んじまうってことはねーけどよ…そうだよなあ…確かに俺も、お前と同じくらいの歳には…作れる料理っていえば、カレーとシチューしかなかったな。そうすると…お前の食事はどうすっかなあ…町の料理屋に配達を頼むか…?」  なるほど。漸く降夜にも清涼が何を気にしていたのかが分かり、ホッとした。  これで三食きちんと食べる……なんて言い出されたらどうしようかと本気で心配していたのだ。 「うーん…そうだねえ…簡単な料理のレシピ集とかがあれば…俺が自分で作っても構わないよ?まあ…そんなのが、この貴重な本ばかり集めた図書室にあるとは思えないけどね…!」  だから、そう言って降夜が軽い気持ちで言った言葉に対して…… 「そうか?料理の本なら…多分台所にあるぞ?それも…前の主の持ちもんだったけどな。俺は別に料理が好きって訳じゃねえし、必要もねえから読んだことはねえけどよ。お前が自分で料理してくれるんだったら、町の人間をわざわざこんな所まで来させる必要もねえし助かるな!」  清涼が目を輝かせてそんなことを言ってきたので……やっぱり止める……とはなんだか言い辛くなった降夜は、じゃあ……そのレシピを見せて貰うよと言ったのだった。 「……何?その目は…嫌なら別に食べなくてもいいんだよ?大体…君は食事を摂らなくても平気…そう言ってただろ!」  降夜の声に、目の前でなんとなくガッカリした顔をしていた清涼は慌てて……いや……そうじゃねえと言い訳をして、両手を合わせて頂きますと言うと、スプーンを手に持って食事を始めた。    変な気分だった。誰かと一緒に食事をすることには慣れている筈の降夜だったが……目の前で、もぐもぐとカレーを食べている清涼を見れば……溜息が漏れた。  まさか吸血鬼と一緒に食事をする日が来るとは人生何が起こるか分からない。  本当に……おかしな男……いや、吸血鬼だと思った。    清涼に案内されて、台所を覗いて見れば……確かに、随分と長い事使われていないことだけは分かった。何もなかったからだ。沢山の調味料入れは、空のまま……それぞれにラベルが貼られていたが……それはもう読めなかった。  ただ、調理器具は主が使わなくなってからも、手入れがされているのか、すぐに使えそうだったし、台所はきちんと掃除が行き届いていて、とても綺麗な状態が保たれていた。  一体何で……?ここでも降夜は不思議に思った。  吸血鬼の館なのに何故人間の家のように、台所があり……しかもそこが綺麗にされているなんて、不思議に思わない方がどうかしている。  人間と暮らしている。それなら納得はできるが、清涼に聞けばここに住むのは彼と、彼の僕たちだけで人間は一人も住んでいないと言うのだから。  おまけに……降夜は台所のテーブルの隅に、十冊ほど置かれていた本をパラパラとめくりながらまた溜息を吐いた。  随分と古いものだったが……作りもしっかりしているこれらの本は、先ほどの日誌と違い、今でも十分に読めるだけの保存状態が保たれていた。  それにしても、家庭料理のレシピ集から……本格的なコース料理。おまけにデザートのレシピまである……!  前の主も、たしか吸血鬼だったよな……?  降夜はそれを思い出しながら、もうどこから突っ込んだらいいんだよと……心の中で呟くのだった。  食材は、清涼に言えばすぐに町から持って来ると言うので、降夜はそのレシピ集を読むのを今日は諦めて、取りあえず自分が食べるだけならと、カレーの材料を彼に頼んだのだった。  そして、先ほど清涼をガッカリさせた……という訳なのだった。一体何を期待していたんだ? 「久々に食ったけど…やっぱりカレーは美味いな!それに、お前、意外と手つきが良かったし…これなら、すぐに色んな料理が出来るようになるだろうな…楽しみだな!」 「…そう。美味しかったんなら、良かったけどさ…料理してる時に人の周りをうろちょろするのは、もう止めてくれないかな?邪魔!それに…なんなの…?君…食事は必要ないんだろう?なんで一緒に食べるの…?訳がわからないんだけど…」  一緒に食卓を囲みながら…清涼が嬉し気に言った言葉に、降夜は思わずそう言い返した。  だって、そうだろう……?  人の生き血を糧にしている吸血鬼が、食事を人と同じように楽しむ……あり得ないだろ!  大体……俺は君の為にここにやって来たけれども……それは食事を作る為では断じてないはずだろう?  どちらかといえば食料としてやってきた……が正解なのだ。そう思えば……少しだけ悲しい気分になった。  それでも降夜は元の生活に戻るつもりはなかった。  この、目の前で美味しそうに……いや、本当に美味しそうに食べてるな!カレーを頬張る吸血鬼の許を去る気は無かった。  たとえ……彼が人間など、ただの血の容れ物に過ぎないと思っていたとしてもだ。 「んー?まあ…俺が食べる必要がないのは本当だけどな?お前…これから先もずっと一人で食事するのか?そんなの、つまんねえだろ?やっぱり食事は誰かと一緒に食べる方が…美味いんだよ。だから、俺はお前が食事をする時は一緒に食べたい。別に一人分も二人分もそう変わんねえし…いいだろう?」  そう言って清涼は笑った。そして降夜はそれを聞いて戸惑うのだった。  男の言葉は、いつだって降夜を困らせる。  何故なら……その言葉は、全て降夜の事を思いやって掛けられているとしか思えないからだ。 「そう…だね。まあ確かに…一人分も二人分も手間は一緒だから、しょうがない。分かった君の分も作るよ。それにしても…よく食べるよねえ…!お腹が空いていたとか言うなよ?もう突っ込まないからな!確かに吸血鬼が人間の中に紛れる為に、同じように飲み食いすることがある…文献にもそう載っていたけど基本的に人間じゃない君達が食事して…なにかメリットってあるの?それと食べた物ってどうなるんだろうね…?」  何気ない本当に良く考えもしないで疑問を口にした降夜に、清涼は少し考えると……うーん……メリット……?などと呟いていた。  まさか……メリット=利点という単語の意味が分からないんじゃないだろうな…… 「そう言われると…確かに変だよなあ…?なんで食事で栄養が摂れる訳でもねーのに味覚がちゃんとあるんだろうな?食べ物は…人間みたいに胃で消化されるわけじゃねーみたいだけどな。一定の時間が経つといつの間にかどっかに消えちまってる…みたいな感じか?それに別に空腹も感じねーしな。ああ…!そう言えばお前は人間だから、トイレに行くよな?俺は糞も小便も出ねーから気にしてなかったんだけどよ。この館の…」 「……!ちょっと!食事中に何言い出してんの?あり得ないんだけど!!」  突然、清涼が食事中にも関わらず、人間の基本的な本能。つまり排泄行為について語りだしたので、思わず立ち上がって怒鳴りつけた。  本当に……信じられない!   顔を赤らめて、滅茶苦茶怒った顔をする降夜を見て首を傾げて…… 「ああ……?そっか。そういえば…人間だった頃に、親に食事中にそういうことを言うな…って言われてたかもなあ…?昔過ぎて忘れてた。その話は食事の後にする。だから…そんなに怒るなよ…」  そう言って、降夜の顔を伺う清涼は心底困っているようだった。  きっと俺が何気なく言った事に対して、普通に答えただけだったんだろうな。 「……分ったよ。俺も良く考えもせずに疑問を口に出して悪かったよ。まさか…答えが返って来るとは思ってなかったんだよ。もう怒ってないよ?君が言うように確かに、人間の俺にとってトイレが無いと非常に困るもんね。まさか庭に穴掘れとか言わないよね…?」  それは流石に嫌だよと、降夜が言えば……清涼は思い切り不機嫌そうな顔で何を言ってやがると唸った。  そんなことさせるかと言って、この館の一階に、ちゃんとトイレがある事を教えてくれたのだった。  場所は図書室のすぐ近くだ。それを聞いて、降夜はやっぱりと思った。  さっき、清涼が言った通りならば……吸血鬼にはトイレなど必要ないのだ。  でも、この館の元の主は吸血鬼でありながら、自分の住処を敢えて人間の住む館と全く同じ構造で造ったのだ。  恐らくは……その吸血鬼も元人間だったのだろう。それを、降夜は清涼に聞こうとは思わなかった。聞いても仕方がないからだ。  清涼は、この館の主から僕も受け継いでいると話していたのだ。  それならばその吸血鬼はもうこの世に居ない筈だ。  不死の存在のはずの吸血鬼に寿命などあるはずがない。  非常に考えにくいが、人間に倒されたか……もしくは、自ら命を絶ったか……どちらにしても、尋常ではないことが起こった筈だった。  でも、それを聞いたところで……降夜にはどうしようもないのだった。  銀の刃も効かず……聖水なんてただの水。そんな存在を殺す手段など、今の降夜には手に余る。そう、今はまだ…… 「それはそうと…お風呂もこの館にはあるんだろう?食事の後でいいから案内してくれるかい?」  降夜は、また黙々とカレーを食べ始めた吸血鬼に、苦笑しながらそう言ったのだった。   「…ん。分かった。お前も、もっと沢山食べろ。随分と細えから…そんなんじゃあ、俺が血を吸ったらすぐに貧血起こすぞ?」  それに答えを返した吸血鬼は、ニヤリと人の悪そうな……まあ、人ではないけれど。そんな笑みを浮かべるのだった。  そうだね……降夜はそれに苦笑して、自分で作ったカレーを再び口に運ぶと、そっと心の中で溜息を吐いた。

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