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第十一話 新月の宴

 夕食をいつも通りに二人でとった後のことだった。  食後のお茶を飲んでいる降夜に、非常に機嫌の悪い顔で清涼が告げたのは、この館で魔族達によるパーティーを翌日の深夜に行うという事だった。 「……え?という事は…吸血鬼達が…この館に集まる…ってこと?それ…大丈夫なの?この町に、そんなに沢山の魔族とか来ちゃったら…危なくないわけ?」  驚いた降夜が心配を口にすれば……清涼は、まあ、当然中央教会には内緒だと言って……なんだかとっても嫌そうな顔をしたのだった。  なんで……?  そう思ってじっと顔を見つめると、それに気づいた清涼が……嫌々そんな顔の理由を話してくれた。 「お前の友達を助けた時のこと、覚えているだろ?あの時、知り合いにいかがわしい薬を集めている、変態がいるって言っただろ?そいつから、助けたお礼に…俺が館に迎え入れた人間の花嫁を自分に見せろ…そう言ってきたんだよ。面倒だし…ずっとそれを無視し続けていたらよ…仲間に話を通して、結婚のお祝いの宴を開こうってことになっちまったんだよ!しかも…俺が断れないように…弟まで呼びやがった!」  あーもう……なんでこんなことに……!と嘆く男の言葉に降夜は唖然とした。 「……え!君……弟が居るの?なんで…?だって、君は元人間でしょ?どうして吸血鬼に弟が居る訳?」  驚いて、思わず立ち上がりそうになってしまった降夜を見て、清涼は漸く降夜の言いたい事が分ったらしい。 「ああ。そう言えば…言ってなかったよな?俺には二つ年下の弟がいるんだよ。名前は息吹。結婚した相手が吸血鬼だったから、彼女の為に吸血鬼になったんだよ。俺よりも先に吸血鬼になることを決意してたんだけどよ…結果から見れば俺の方が先に吸血鬼になっちまったんだよなあ…」  そう言って遠い昔のことを思い出したのだろう……僅かに苦笑した吸血鬼を見て……降夜は声を失った。  兄弟そろって吸血鬼になるだなんて……どうかしてるとしか思えないよ……!  突っ込みどころがあり過ぎだろ!エクソシストが吸血鬼になるのが、もうあり得ないし……弟の結婚相手が吸血鬼だと知っていて……何故止めない!?  降夜は心の中でそう思っても……それを口にすることは出来なかった。  それを言うにはもう遅すぎるのだ。  降夜が生まれる遙か昔に、彼ら兄弟の運命は決まっていたのだから……   「そういう事…ね。まあ…君の話を聞いて驚くのも疲れたから、それはもういいや。結婚祝いのパーティーなんてあんまり気が進まないのは確かだけど、京君を助けてくれた人に、俺もお礼を言いたかったから丁度いいか。だって、君は俺がお礼を言いたいからその人に会わせてくれと頼んでも、駄目だの一点張りだったもんね!明日だね?君の弟に会えるのもちょっと楽しみだな~!」  降夜はそう言って、目の前で相変わらず、怒ったような顔をし続けている男に笑いかけたのだった。    そして、降夜が話を聞いた翌日、まだ夜になり切らぬ時刻に清涼は寝室に現れた。  まだ宴まで時間はあるだろう……そう思って、着替えていなかった降夜を清涼はベッドへ引きずり込んだ。  今夜、深夜から行われる宴の前に……他の吸血鬼達からの魅了の力を受けないように、より深く自分の所有の印をつけるためだ。そう言って降夜を寝室で思う存分に貪る金の吸血鬼は……眠りから目覚めた獣の顔をしていた。 「や…嫌だって…なんで…」    そこばっかり……そう言って降夜は、切なげな声で男を責めた。  白い降夜の裸体を背後から腕に抱えて金色の吸血鬼は、首筋に牙を突き立てながら……長い指先で降夜の胸元を、尖って赤く色づいた小さな果実のようなそれを、執拗に弄り回すことを延々と繰り返しているのだった。 「嫌じゃねえだろう…?お前は…ここ、弄られるの好きだろう?ほら…」  清涼は、唇を首筋から離して耳元で低く笑った。  その声に……ゾクリと身を震わせて降夜は唇を噛んだ。  男のその言葉と、視線を感じて恥ずかしかった。 「……まだ触っていねえのに…ここ…もうこんなに濡れてるぞ…?」  揶揄うように言われて降夜は俯いた。  そんなの……知ってる。  でも……!仕方ないじゃないかと、口にすることはできない。  降夜の羞恥に震える姿に、男は喉の奥で楽し気な笑い声を上げた。  そして……囁いた。  安心しろ……お前は俺のもんだ。  誰にも、指一本触れさせはしない……  囁く男の声は、いつもよりもずっと低く欲望に掠れているのだった。  その声に降夜は身体を震わせた。  その先の……快楽の予感に、心よりも先に身体が反応した。  男の指がゆっくりと降夜の腰へ降りて来る……焦らす様に……いたぶるみたいに。 「や…!いや…」  これ以上の刺激に、期待してしまう自分の浅ましさが恥ずかしくて、必死で拒絶の言葉を口に出してはみたが……その甘い響きは男の笑いを誘うのだった。  男の指で、唇で……信じられないくらいの快楽に咽び泣きながら……降夜は男を見つめていた。金色の……その瞳は降夜だけを見ていた。 「降夜…」  名を呼ばれて降夜は腕を伸ばした。  男の首に両手を回して、自分からその熱い唇を貪れば……身体の奥底に火が灯る。  もっと欲しいと強請る口づけは更に深くなり、二人の熱を更に煽った。  甘い吐息と掠れた声。  軋むベッドの音……    快楽に犯された意識の中、降夜は心の中で呟いた。  もう……手遅れだ……  なにもかも……全てが……もう遅い!  降夜はゆっくりと瞳を閉じた。  満月からは程遠い、細い線のような月が天に掛かる……新月の夜だった。  魔族達が集う宴に相応しい深い闇の夜。  降夜は清涼が用意した真新しい正装を纏い、来客を迎える為に夜の庭園に立っていた。  そのパーティー会場に漆黒の風が吹いた……降夜がそう思って瞬きをしている間に、その男は忽然と自分たちの前に現れた。 「やあ!随分と久しぶりだねえ…相変わらず元気そうだね清涼。この度は結婚おめでとう!」  そう言ってニッコリと微笑んだ人物は、黒い外套を纏った細身の若い男の姿をしていたが……彼を一目見た途端、背筋がゾクリとした。  なんだ……?一体どうして?降夜は訳も分からないまま、恐怖に身体を竦ませていた。 「お前も相変わらずいきなり現れるよなあ…星乱?わざわざ来てくれてありがとうよ!降夜…大丈夫か?コイツは確かに得体が知れねえ奴だが…お前に指一本触れさせはしねーから安心しろ」  清涼は男の挨拶を軽く受けると、自分の隣で蒼褪めた顔をしている降夜をそっと引き寄せた。大人しく回された男の手に身体を預ければ、ゆっくりと震えが収まって来た。  もう大丈夫だと、そう言って見上げた金色の瞳は、夜の中でも光を帯びて輝いていた。  それを見つめて……漸く降夜はホッとした。 「久しぶりだね…兄さん。元気そうでなによりだよ…その人が…降夜さん?」  穏やかな優しい声に、降夜がそちらを見ると金色の髪に金色の瞳……清涼と同じ色彩を持つ優美な姿をした青年が、じっとこちらを見つめていた。  この人が清涼の弟……か。  降夜の目から見ても、とても良く似た兄弟だった。  かなり長身の清涼と比べると身長は低かったが、なにしろスタイルが良かった。  手足が長い……!しかも顔……小さいなあ。俳優か歌手をやっていると言われても、降夜は驚かなかっただろう。優し気な声に相応しい、儚げな雰囲気をもったかなりの美青年だった。 「おお!息吹!久しぶりだな!お前も元気そうでよかった。なんか…今回は悪かったな…?急にこんなのを開くって千駕の奴に、勝手に決められちまってよぉ…!迷惑じゃなかったらいいんだけどよ…」  清涼は顔を綻ばすと、降夜にこいつが俺の弟だと紹介してくれたのでぺこりとお辞儀をして……初めましてと挨拶をした降夜に、弟の息吹君はとっても嬉しそうに微笑んだ。  うわーなんか美形が笑うとすごいな……!そんな感想を抱いていた降夜だったが…… 「よかった…!兄が、長い間ずっと一人きりだったことを、心配していたんです。でも…あなたが居てくれるなら…僕も安心できます。これからもどうか、兄の事を宜しくお願いしますね」  その随分と礼儀正しい挨拶に、今度こそ吃驚したのだった。  いや……本当に清涼の弟なのか……?そんな疑問まで浮かんでしまった。  降夜の困惑した顔を見て、清涼はどうした?と聞いてきたが……別に何でもないよ?君の弟は、随分としっかりしているねと言えば、嬉しそうに、そうだろ自慢の弟なんだ!と返されて……もう、いいやと思ったのだった。 「ねえ…そういえば、例の京君を助けてくれた人は来ていないの?」  清涼と共に、庭園の中を挨拶して回りながら……降夜は、昨日の夜から会いたいと思っていた、京史のことを助けてくれた、怪しげな毒物をコレクションしているという人物はいないのかと聞いてみた。 「ああ…そう言えば、まだ来てねえみたいだな…全く、言い出しっぺの癖に…!こういう所がどうにも気に入らねえんだよな!」 「誰が気に入らないだって?そっちこそ、俺が好意から手を差し伸べてあげたというのに…お礼一つ満足にできないなんて…相変わらず、無礼な男だなあ!」  清涼の文句に、間髪入れず答えを返して来た男は……他の人達と同じような、漆黒の外套を纏っているというのに……随分と華やいだ雰囲気を持ってそこに存在していた。  波打つ豊かな髪は……濃い焦げ茶色。その瞳は……暗い夜の中で、ひっそりと輝く瑠璃色。  さっき会った清涼の弟の息吹も、随分と人目を引く容姿をしていると思っていたが……こちらの青年は、さらに目立つ容貌を持っていた。  色彩の点で言えば……清涼だって随分と目立つのだが、それとは違う華やかさを持った青年だった。 「初めまして俺は千駕。清涼の古い友人の一人です。やっとあなたに会えた…!本当に嬉しいな…」  そう言って、男は降夜の手を取り、恭しく腰を屈めると手の甲に唇を押し当てた。 「……っ!てめえ…!人の降夜に勝手に触るんじゃねーよ!」  清涼が怒声を上げて、降夜の身体を素早く抱きかかえて男の手から奪い返すと、唸り声を上げて……威嚇した。  なんか……もう、獣だよね……清涼の態度に呆れて何も言えない降夜に向かって、千駕と名乗った吸血鬼は片目を瞑ってじゃあまた後で……そう囁いて、何事も無かったように去って行った。  あ、そう言えば……お礼を言うのを忘れていたなと降夜は思ったけれども、相変わらず自分を腕に抱えたまま……千駕の背中を睨み付けている清涼にそれを言っても仕方がないかと思い、まあ、あとで様子をみながらお礼を言えばいいかと、その時はそう思ったのだった。  一通り、集まった魔族達に挨拶し終えたところで、清涼は降夜を連れて館の中に戻った。   これから……夜が明けるまで宴は続くと言う。  いくら降夜が、自分と暮らしているとはいえ……自分以外の吸血鬼達と一緒にいるのは辛いだろうと言って、部屋で休んでいろと言ってくれたのだ。  その心遣いがとても嬉しかったので、降夜は素直にその好意に甘えることにした。  ここに来て半年……清涼の伴侶として暮らして、もう半年が過ぎていた。  最初から、降夜はこの吸血鬼のことを憎からず思ってはいたが、今では……多分清涼が想像する以上に、彼に対して心を許していた。  唯一人……自分を伴侶として選んだ吸血鬼のことを、自分もまた……彼だけを特別な存在として思っているのだった。  だから……彼が望むのならば……彼の弟のように、吸血鬼の眷属になっても構わない……それくらいには思っていた。  でも、まだ決心がつかないままだった。  何故なら…… 「やれやれ…やっと煩いのが消えてくれたか…!まったく…本当に面倒な男だなアイツは…」  物思いに沈んでいた降夜の耳に、驚くほど近くから男の声……千駕の声が聞こえてきて、思わず降夜はベッドから飛び上がった。 「え…?なんで…どこにいるの…?」  きょろきょろと……部屋の中を見回してみても、誰の姿も見えない事に……降夜は恐怖を覚えて、自分の身体を両手で抱きしめた。  そうだった……どれほど、人間に近い姿をしているとはいえ……彼らは魔族なのだ。  その事実に、降夜の背中を冷たい汗が伝った。   「ああ…そんなに怖がらないでも大丈夫。ここ…!こっちですよ~」  その声の出どころを探していた降夜の耳に、コツコツ……という、窓を叩く音が聞こえた。  そちらを見れば……漸く窓の外にさきほど出会った、華やかさを身に纏った吸血鬼の姿を見付けることが出来た。 「……怖がるな…ってどう考えても無理でしょ?なんでこんなところにいるの…?清涼にバレたら…君、命が危ないよ?まあ…どうせ死にはしないんだろうけどさ…」  能天気に、ひらひらと掌を振る吸血鬼に降夜は呆れた。そして、そういえばお礼を言わなければ……降夜はそう思って窓の前に近づいた。  窓越しではあったけれど、頭を下げて……先日はとっても助かりました。ありがとうございますと言ったのだった。 「どういたしまして。清涼なんて、ありがとうの一言すらなかったんだよな…あいつ…本当になんなんだろうね?まあ…そんなのは、別にいいんだ。ねえ…部屋に入れてくれない?流石に外から入れば結界が壊れてすぐにあの馬鹿が飛んでくるんだよね…!君が内側から開けてくれると助かるんだけどな?」  そう言って……人の視線を惹きつける瑠璃色の美しい瞳に笑みを浮かべて、千駕は降夜の心を絡め捕ろうと……甘い声でお願いと囁いた。  でも……降夜には、その吸血鬼の魅了の力は通じない。  別に坑魔の力が強いと言う訳ではなく、清涼の牙を受けたことで……彼以外の吸血鬼からの魅了の力を受けなくなっているのだ。  それでも……彼の持つ魅了の力の強さは十分に感じ取れた。  清涼ではなく……並みの吸血鬼の束縛くらいだったら、容易く破れるんじゃないか……?  流石は……長い年月を生きる吸血鬼だと降夜は思った。  この男が唯の吸血鬼なんかではないことは、一目見て分かった。存在感がほかの吸血鬼達とまるで違っていたのだ。  そう……例えるなら王者の風格とでも言えばいいのだろうか……?  恐らくは、この千駕と名乗った吸血鬼は古い……貴重な血を引く吸血鬼の一人なのだろう。  古い血族の吸血鬼は、その力も強大だと言われている。彼もまた始祖吸血鬼……千年を超えて生きる化け物の一人なのだ。 「……そんなこと、俺がするとでも思ってるのかい?吸血鬼を自ら部屋に招くような…そんな危険を冒すわけないだろう?」  馬鹿なの?そう言って肩を竦めた降夜を見て、千駕は目を細めて微笑んだ。  それは、傲慢な彼には似つかわしくない……酷く切なげな微笑みだった。    一体どうして……?  思わず降夜が問いかけようと口を開きかけた時に、その言葉が聞こえたのだった。 「……まるで…降夜そのもの…だな」  ぽつりと呟かれた……その溜息のような言葉に、身体が痺れたように動かなくなった。  降夜……?  自分と同じ名前であるのに……それは全く別の人間を指して言われたことだと気付いたのだ。  それは……誰?  降夜は、目の前の男を見つめた。  その瑠璃色の宝石の様な美しい瞳もまた……自分を見つめていた。  迷いは一瞬だった。  降夜は窓を開いて……千駕を部屋へと招き入れたのだった。

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