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第十二話 氷の吸血鬼

「…君の望みを…聞いてもいいよ…?その代わり…俺の望みも聞いて貰うけど。それが嫌なら…あの煩いのを大声を上げて呼ぶけど…どうする?」  寝室に吸血鬼を引き入れ、降夜は目の前に立つ自分よりも背の高い、紺色の宝石の瞳を持つ吸血鬼に取引を持ち掛けた。  それを聞いた千駕は目を瞠り……そして楽し気な色を美しい瞳に湛えて笑った。   「く…はっ!ははははは…!いやいや…吸血鬼に取引を持ち掛けるとはね?恐れ入ったよ!流石は…降夜…彼と同じ名を持ち…彼と同じ姿を持つ者だ。いいだろう。元々俺は、君に会いたくてここへやってきたんだからね!君が…俺の望みを叶えてくれるというのであれば、願ったり叶ったり…!だよ。それに…君の望みはもう分かっているよ…降夜…君は、この名を持つ…もう一人の降夜のことが知りたい…そうだろう?」  そう囁く男の瑠璃色の瞳には、降夜の姿が映っていた。  だが……降夜は思うのだ。  果たして……彼の心の中には、一体どちらの降夜が映っているのだろうか……?と。 「彼は…降夜は、俺の父親で、その当時最も長く生きていた始祖吸血鬼…架希王神駕と呼ばれた男の眷属だった…」  そして、その言葉を最初に、もう一人の降夜……かつて、吸血鬼として永い年月を生きた吸血鬼の物語を、千駕は語ったのだった。  自らの快楽を追い求めることに、貪欲で……血と娯楽の為に、人の人生を狂わせることなど当たり前……そんな、誰よりも吸血鬼らしい吸血鬼と言われた悪魔の王。架希王神駕の右腕と呼ばれていたのが……彼だった。  幼い頃に神駕によって眷属にされてから、永い間彼と共に存在していた、誰よりも美しい吸血鬼。それが降夜だった。  漆黒の黒髪、白皙の肌……まるで焔を内に宿しているような美しい深紅の瞳を持つ美貌の吸血鬼。男も女も……誰でも一目で魅了する。  そんな彼は……氷の吸血鬼と呼ばれていたのだった。  誰にでも愛されるのに……誰も愛さない。  最も近くにいて、誰よりも降夜に深い愛情を注いでいた神駕でさえ……その手に掛けた非情の吸血鬼だった。  千駕が彼と出会ったのは……彼が、降夜がまだ神駕の眷属になったばかりの頃。  まだ幼い少年の姿をした降夜に出会ったのは、神駕の居城。狼の住む森の奥深くに屹立つ古城の中だった。    気に入った人間を見つけては、玩具のように弄び、時には気まぐれに眷属に迎え入れる…… そんな父親の最近のお気に入りを見てやろう……そう思って自分の生家に戻った千駕は、まるで生きた宝石のような彼の姿を一目見て、心を奪われたのだった。  欲しい……そう思った。  その深紅の宝石のような美しい瞳に、自分の姿だけを映してほしい……叶わぬ願いに身を焦がすほどに。 「君が望むものをなんでも上げる…だからどうか、俺のものになってくれないか?」  千駕がそう言うと、降夜は微笑んだ。  魂が……奪われるほどに美しい微笑みだった。  陶然とした顔の千駕に、降夜は言った。 「残念だけど…俺は欲しいものは自分で手に入れるよ。誰かから何かを貰う事に慣れていないんだ。だから、君のものにはなれないよ…ごめんね?」  美しい声で告げられた拒絶の言葉だったが、千駕は諦められなかった。  何度も何度も……会えば、降夜に何が欲しいと問いかけ続けたのだった。  そして、降夜も……なにも欲しいものはないと、繰り返した。  千駕の降夜に対する執着を、当然のように神駕は気づいていたが……その事を別段咎めたりはしなかった。分かっていたのだろう。降夜が、千駕の許へ行くことなどあり得ないと。  降夜がただの、元人間の吸血鬼ではないことが分かったのは……それからすぐのことだった。  彼は、その当時は大聖堂教会派と呼ばれていた、今は中央教会と名を変えている聖職者達の総本山の……枢機卿のある一族を、自らの手で根絶やしにしたのだ。  しかも、ほぼ全員を公開処刑にするという……慈悲の欠片もない方法で。  降夜の恐ろしさはそれだけではなかった。その家から除名されていた、小さな町の娼婦に身を落としていた、最後の血族であった女まで探し出して殺したのだ。  一人残さず完璧に。この世からその血族をたった一人で、降夜はあっという間に消し去ったのだ。降夜が神駕の眷属になって……僅か十年ほどしか経っていなかった。  恐ろしいまでの、実に冷血な吸血鬼らしい行いだった。  神駕に勝るとも劣らない非情な行為を……まだ少年にしか見えない降夜は平然とやってのけたのだ。  神駕は、降夜のその手腕に……狂喜乱舞した。  素晴らしい……!流石は私の降夜だと言って褒め称えた。  それを聞いて、ほんの少しだけ微笑んだ降夜を見て千駕は思った。  彼の心は……まるで氷の様だと。  どんなことも。どんな言葉も……決して彼には届かないと分かったのだった。  欲しいものなどない。その降夜の言葉が全て本当のことだったのだと……  だからと言って降夜を諦めることも出来なかった。  会うたびに、どんどん美しくなっていく……その姿に焦がれ続けて……気づけば数百年経っていた。  そして、降夜は遂に……自分を自らの眷属に迎え入れた架希王神駕から、始祖吸血鬼の力を奪い……彼を殺したのだった。  満月の美しい夜だった。  神駕がこよなく愛した……白い薔薇の群れは、降夜の手によって流された始祖吸血鬼の血を浴びて……天上の美を湛える美しい青い薔薇に変わっていた。 「…たった一晩だけしか咲かないそうだよ。こんなに美しいのに残念だね…… この薔薇はやはりこの世のものではないんだろうね。千駕…俺は言ったよね。欲しいものは自分で手に入れる…って。これが…俺が欲しかったものだよ。この…青い美しい薔薇…花言葉は、神の祝福、奇跡、不可能…だったかな?俺はね、吸血鬼になんてなりたくなかったよ…あのまま…死んでしまいたかった…でも、俺は彼の手によって生かされた。だからね、同じことをしてやりたかったんだ。彼の意思に関係なく…その人生をこの手で終わらせたかった…それが叶って満足だよ」  静かな声で囁かれた、降夜の言葉は夜の闇に溶けた……  唇に満足そうな微笑みを浮かべて、彼は自分を見つめていた。  そして、さよなら……俺はもう行くよ。そう告げると、神駕の僕達を連れてその古城から立ち去ったのだった。 「あの後…降夜はこの場所で人から隠れて、長い間ひっそりと暮らし続けた…まるで、あの時の非情さが嘘の様な…穏やかな暮らしぶりだった…」  千駕はそう言って、自分を見つめる降夜の瞳を覗き込んだ。  そこに……もう一人の降夜を見つけようとするみたいに。 「そして…降夜は、あの男…清涼と出会い…殺された…!」  告げられた、その言葉は……降夜の心を突き刺した。  まさか……とは、思えなかった。  多分そうだろうと、半ば予想していた言葉だった。  それでもそれは……降夜に深い悲しみを呼び起こすのだった。  なんで……どうして……!叫びたい気持ちにさせるのだった。 「そう…なんだね…話してくれてありがとう…それで…?君の望みは何?」  降夜は、そう言って微笑んだ。  かつて同じ名で呼ばれた吸血鬼と同じ……  美しい微笑みは、目の前の男の視線を釘付けにしたのだった。

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