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第十五話 初恋
降夜と一緒に……何故かクッキーを作る羽目になった俺は……言われた通りに、バターと砂糖をぐりぐりとボールの中で掻き混ぜていた。
「うんうん…上手だね~!じゃあ…卵を入れるから、そのまま良く混ぜてね」
降夜が卵を掻き混ぜていた手を止めて、清涼の方のボールを覗き込んだとき、その音が聞こえた。
パサパサ……という小さな羽音に、清涼はぎょっとして顔を上げた。
「おま…!フォール!なんで、こんなところに…!ていうか…こっちくんなよ?お前、こん中に落ちたら…そのまま一緒にオーブンで焼いてやるからな!!」
清涼の頭の上で、小さな蝙蝠はクルクルと飛び回りながら、キーキーと……抗議するみたいな声を上げたが、クッキーと一緒にオーブンで焼かれるなんて、ごめんだと思ったのかは分からなかったが……とにかく、台所からまたパサパサという小さな羽音を立てながら去って行った。
はあ……危なかった。心底ホッとした顔をした清涼を見て降夜は可笑しそうに笑った。
おい……笑いごとじゃねえだろうが!
そう言って睨めば、ごめんごめんと言いながらも、降夜はニコニコと笑っているのだった。
なんでそんなに楽しそうなんだよ……!
ぶつぶつと文句を言う清涼に、降夜はだって……と言った。
「……今まで、俺の友達と言えば…まあ、ごくたまーに会う友人はいるけどさ。いつも一緒に居るのは…フォールとシルバーだけだったからね。こんな風に、誰かと一緒にお菓子を作る事が出来るなんて…幸せだなあ…って思ったんだよ。おまけに、フォールをあんなに怯えさせるなんて…!あの子…多分人間だったら…号泣してるね!だって…オーブンで焼くぞだなんて…!おっかないなあ…!本当に君って…面白いよねえ…」
降夜は、そう言ってとても楽しそうにくすくすと笑った。
別に清涼だって、フォールを本当にオーブンで焼く気などなかった。ただ……折角作っているクッキーを台無しにされるのが嫌で、そう言っただけなのだ。
そんなに、フォールを怯えさせるつもりはなかった。ちょっと可哀想だったか?
あとで会ったら謝ろう……
それにしても幸せ……とか。
いくらなんでも大袈裟すぎだろうと清涼は思ったが、顔が赤くなるのは止められなかった。
それを誤魔化したくて、一生懸命にボールの中のバターをぐるぐると掻き混ぜた。
漸く生地が出来上がった。黒い生地には……ココアが入っているのだと、作って初めて知った。
そうか……チョコレートを溶かしていれているのかとずっと思っていた。なんかチョコっぽい味するし。
後は、白と黒の二種類のクッキーを作る為に生地を伸ばして……それぞれ、好きな形の抜き型を使って、ポンポンとくりぬけばいいのだ。
その作業は、想像以上に難しくて……楽しかった。
綺麗に抜くにはね、余分な力を使わないで均等に力をかけるんだよ……?
降夜が、そう言って軽く上から抑えるようにして、綺麗に形をくりぬくのをみながら、清涼もやってみた。
最初は……あんまり上手くできなくて、ちょっとイラッとしたが……何度でもやり直せるよ?ほら……!そう言って降夜が清涼の手から、失敗した生地を取って、端っこにくっ付けてまた平らな生地に戻してくれた。
だから清涼は安心して、自分が納得できるまでクッキーを作る事に夢中になれたのだった。
クッキーが焼き上がるまでの間、少し時間があるからお茶でも飲んでようかと、降夜が台所でお湯を沸かしている間に、清涼は台所にあるものを眺めていた。
見たことが無いような……道具が沢山あったのだ。
あんまり使って無さそうだが……どれも綺麗に磨いてあった。調味料が容れてある小瓶には、一つ一つ、ラベルが貼ってあり……綺麗な字でそれらの名が書いてあった。
ソルト……シュガー、ブラックペッパー……これは……クミン?なんだコレ……??
不思議そうに首を傾げている、清涼の姿を見て降夜はくすくすと笑っていた。
料理とか……全然し無さそうな……っていうか、物を食べてる姿が想像できないような、そんな降夜の一面が見られて、嬉しいと思った。
クッキーが焼き上がり、二人で出来栄えを眺めて……笑顔になった。
とても美味しそうに出来上がっていたのだ。
冷めるまで待てなくて……まだ熱くて柔らかなそれを、一つだけ摘まんで口に入れれば、とても美味しかった。今まで食べた、どのクッキーよりも甘くて美味しかった。
「美味い…!なんだこれ…?なにか材料が違う…のか?お前…高い材料…使ったのかよ?」
清涼は、降夜が金があることをいいことに、恐ろしく高級な材料をかき集めたのでは……と恐れて、思わずそう聞いてしまった。
「いや…?卵もバターも…小麦粉も砂糖も…ふつーのだよ?だって、君にそんな繊細な味が分かるなんて、とてもじゃないけれど思えなかったからね!無駄遣いはしてないから、安心してよ。それにね…このクッキーが美味しいのは、そんな理由なんかじゃないよ?」
降夜は清涼の言葉に苦笑して……なんだか随分と失礼なことを言ってきた。味がわかんないとか失礼だろ。ムスっとした顔の清涼に……微笑んで、続けてこう言った。
「君が生まれて初めて、自分の手で作ったクッキーだからじゃないかな?一生懸命美味しく作ろうと頑張ったでしょ?それで美味しくない訳ないじゃないか…それに…」
降夜は、小さなハートの形をしたクッキーを摘まんで、はい、あーん……と言って、清涼の口にそれを入れた。素直に口を開けて、もぐもぐと、それを食べている清涼を見ながら、自分の為に作られたお菓子が、甘くて美味しいのは当たり前だよ?と笑ったのだった。
それから……降夜と一緒にクッキーを食べた。沢山作ったからお土産にどうぞ。
そう言って、降夜は紙に包んだそれを袋に入れて持たせてくれた。
いいのか……?目を輝かせる清涼に、降夜は俺はそんなに沢山は食べないから、弟と一緒に食べると良いよと言ってくれたのだった。
ありがとう!お礼を言う清涼に、降夜はどういたしましてと笑って、今度はケーキでも作ろうか?また、二人で一緒に作ろうねと言った。
俺は、まあ……別にいいけどと言ったけれど、それがとても嬉しかった。
春の終わり頃に……降夜と初めて出会ってから、季節はいつの間にか秋になっていた。
相変わらず暇さえあれば、降夜に会いにくる清涼を、いつも通りに彼は木陰で待っていた。
もう、寒くなってきたから家に居ろ。そう言い出せなかった。
上等そうな黒いマントを羽織り、時々はシルバーという名の、銀色の狼に凭れかかって、清涼が来れば、嬉しそうに微笑むその顔を一刻も早く見たいのは……清涼も同じだったからだ。
でも……あの日……秋の長雨のせいで、暫くの間外へ出かける事が出来なかった清涼が、漸く雨が弱くなった隙に、こっそりと家を抜け出して、あの森に出かけた時。
本当に、そこに降夜が居るなんて、思ってもいなかったのだ。
「あ…騒君だ…!」
そう言って降夜は微笑んだ。
木の根元にいたからか、ずぶ濡れと言う程濡れてはいなかったが……上等そうな黒いマントは水分を含み、随分と重たそうだったし、黒い髪はしっとりと濡れていた。
「お前…!こんな、雨の中…一体いつから居たんだよ!あーもう!ずぶ濡れじゃねえか…手も…こんな冷てえし…なんで家に居ないんだよ…馬鹿か!」
清涼は降夜に駆け寄ると、その手を取って……その冷たさに怒りを爆発させた。
なんで、こんなところで待ってるんだよ……!
雨に濡れると分かっていて、寒いのは苦手だと言っていた癖に……!
清涼の、怒った顔を見て……降夜は小さくごめんねと呟いた。
「……雨がね…少し小降りになっただろう…?もしかしたら…君がくるんじゃないかなって思ったんだ。ここに来るまでに、雨に打たれたら…寒いかなあって思って、それで…」
降夜はそう言って、羽織ったマントの内側から白いタオルを取り出した。
ほら……君が風邪を引くといけないと思って、持って来たんだよ。ちゃんと乾いてるでしょ?
清涼の顔を、優しくタオルで拭いながら……降夜は微笑んだ。
温かい……その温かさは、降夜の体温で温められていたからだけではなかった。
なんで……なんで……?
清涼は、泣くのを堪えて必死に怒った顔をし続けた。
お前は、馬鹿か……!そんなこと気にして……お前が風邪を引いたら意味がねえじゃねえかと言って、清涼の顔を拭く為に屈みこんだ降夜の首に、しがみ付いた。
せめて……少しでも温められるように。そう願う様に降夜を抱きしめた。
「騒君…ごめんね?心配かけて悪かったよ…だから、もう怒らないでよ…」
降夜が、そっと清涼の髪をタオルで拭いながら囁いた。
馬鹿な……奴だと思った。
来るかもわからない……他人。しかもこんな子供なんかの為に……自分が濡れることなど気にしないで、懐にタオルを持って……それだけの為に、こんな場所で待っているなんて……!
こんなに、誰かに思われた事など無かった。
両親と弟には、大切に思われていることを知っていたし、自分だって大切に思っている。
でも……血が繋がっているわけでも、特別な関係でもない筈の清涼に、風邪を引かせたくなかった……それだけの理由で、自分を待ってくれていた降夜が……
「お前は…本当に馬鹿だ…!もう、二度とこんなところで…雨に濡れてるんじゃねえぞ!約束しろ。もし…それを破ったら…絶交だからな!」
込み上げる……激情を噛み殺して降夜にそう言った。
二度と、こんな風に……冷たい雨の中で待たせたりしない……そう心に誓った。
この時……清涼は知ったのだ。
この胸の痛みと、幸福をもたらすこの感情の名前を……
誰よりも寂しがりで……誰よりも優しい。
この人が……好きだと……初めて気づいたのだった。
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