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第十六話 始まりの夜

 初恋は実らない。なんて、誰から聞いたんだろう……?  清涼は目覚めたばかりのぼんやりとした気分のまま……誰だったかな……星乱か?などと考えていた。右腕の中には……温かな体温があった。  まだ……眠っているのか。  静かに眠る美しい白い貌……  先ほどまで見ていた、夢の中の彼と瓜二つのその顔を見て……清涼は微笑んだ。  やっと……戻って来たと。  長い長い……それこそ永遠とさえ思える程の年月を、人の生き血を啜る化け物になったとしても……それでも生きて来た理由が、この腕の中にあった。  降夜……清涼が望むものは……唯一人だった。  かつての、自分の恋人であり……命よりも大切な者の名前だった。  あの日……あの美しい青い満月の夜に……  降夜を失ってから、七百年……彼が、降夜が吸血鬼として生きて来た年月が過ぎ去っていた。  今でも、あの時の後悔を、慟哭を……清涼は忘れてはいない。  一度は後を追おうと思った清涼だったが、それをしなかったのは…… 「う…ん…?清涼…?もう…夜になったの…?」  寝ぼけた降夜がそう言って、自分の胸に擦り寄って来た。  温かい……その体温に胸が詰まりそうだ。柔らかなその黒い絹糸の髪を撫でながら、清涼は囁いた。 「……そうだ。もう夜だ…これからはこの時間が…お前の時間になる。朝の輝かしさも、昼の温かさも…無縁の世界が、お前の住む場所になる。お前をこの夜の国へと…連れて来た俺を、憎みたければ憎んでいいぞ?それでも…」 「…俺を手放しはしない…でしょ?今更それに文句は言わないよ…それにしても、なんか…どこが変わったか、良く分かんないね…?そうだ!試しにどこか切ってみて…」  清涼の言いかけた言葉を、降夜が続けて……なんだか不穏な事を言い出したのでデコピンしてやった。  いててて……!滅茶苦茶痛いんですけど!降夜が文句を言ってきたが、言っていい冗談とそうでないこと位……お前も分かれと、怖い顔をすれば、ごめんなさいと素直に謝った。 「まったく…いきなり何を言い出すんだお前は!いいか?お前は俺の眷属にはなったが…まだ完璧な吸血鬼ってわけじゃねーんだよ。吸血鬼はな…人の血を吸って、初めてその力を手に入れるんだ。だから…お前が今、銀のナイフで傷を負ったら大変なことになんぞ?分かったな!」  清涼が、そう説明してやると……降夜はなーんだちょっと残念と、本当にガッカリしたので、お前なあ……と思わず顔を顰めてしまった。    今朝……降夜を自分の眷属にすると言った清涼に、彼は頷いてその細い首を差し出したのだった。  普段飲む時よりも、大量の血を奪う事になる。だから、起きるとき少し辛いかもしれない……そう言った清涼に、分かったと言って、大丈夫だからと降夜は微笑んだ。  白いシャツの釦を外して、彼の白い首筋に……自分が残した牙の痕に唇を寄せれば、小さく身体を震わせた。ぎゅううっと胸元に縋り付く白い手は……緊張から血の気が失せていた。  止めてやった方がいいのだろうか……?  一瞬そう考えた清涼だったが、それはやっぱり出来ないと思った。  漸く降夜が自分を受け入れる覚悟を決めてくれたのに……それを無視することはできない。    大丈夫……そんなに怖がらなくてもいい。そう耳元で囁いて降夜の頭を自分に引き寄せた。  もう……無理だ。これ以上……待てないと思った。    降夜から、自分の事を血の容れものだと……そう思っているだろうと言われて、清涼はそんなこと最初から思ってねーよと言った。  じゃあ……なんでいつまで経っても最後までしないの……?そう聞かれて溜息を吐いた。 「……俺の事を好きだと言わない奴を、無理やり抱けと…?そんな事出来ねえよ…大体、俺は最初からお前が良いって言ってただろう?何回好きだって俺に言わせれば、お前は気が済むんだ!」  清涼はそう言って、自分を泣いた顔のまま見上げる降夜に口付けた。  泣きながら……清涼の事が好きだと言った降夜が、ただ愛しいと分からせたくて、全部を与えるように深く口づけた。 「……だって、君…ベッドの中でしか…好きだって言った事ないよね…?しかも…普段は大抵、怒鳴ってるし…いっつも、いっつも…すぐ不機嫌そうな顔するし…」  降夜はそう言って、清涼を詰った。  そう言われても……な。 「……そんな事、普段からそうそう言えるか!お前だって…さっき、漸く言ったじゃねーか!人の事言えるかよ?まあ…でも、そう言うんだったら、これからは毎日顔を見る度に言ってやる。それでいいな?後悔…すんなよ?」  まるで脅すような宣言をした清涼の顔を見て……降夜は目を丸くした。  そしてようやく……笑ってくれたのだった。  そんな、脅迫みたいな告白聞いたことが無いよ……!そう言った降夜に、他の誰にも言った事ねーから当たり前だろと言って、また口付けた。  そう……誰にも言った事などない。降夜だけだった。  好きだと、愛していると……言ってほしいと囁いたあの声に、答えてやったのは……  降夜が、自分の腕の中で息絶える直前の……ほんの僅かな時間だけだったのだから。

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