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第十七話 最後の恋
かつて、自分の初恋の相手と……
八年ぶりに再会した清涼は、彼を……降夜を恨んだ。
人ではない化け物と知らずに、好きになってしまった自分自身を呪った。
あんなにも……楽しかった思い出を汚された気分になったからだ。
中央教会のエクソシストになって故郷の村へ帰った清涼を待っていたのは……あの時と変わらない姿の強大な力をもつ美しい吸血鬼だった。
あの地に……千年近い永い時を生きる、恐ろしい吸血鬼が住んでいる。そう聞いて、清涼は彼が……まさかその吸血鬼だなどと思いもしないで、その討伐の為に森に入ったのだった。
降夜が……心配だったのだ。
村人から隠れ住んでいた降夜に、どうしてこんなところに一人で住んでいるのか……?
そう尋ねたことが一度だけあった。
降夜はそれに、少し悲し気な顔で……こう答えた。
自分はかつて、人を不幸にすることを喜びとする主に仕えていたのだと。
その主の為に、自分はそれを悪い事だと知りながら……手を貸していたのだ。
だから、もう二度と人とは関われない……そう思って、ここで暮らしていたんだよと。
「だから…君はもうここには…来ない方がいい」
寂し気な微笑みで告げた降夜に、清涼は約束したのだ。誰にも言わないでやると。
だからそんな顔するなと……自分の頭を優しく撫でる、降夜の手を掴んで言ったのだった。
降夜の罪は……きっと清涼が想像する以上に重いかもしれなかった。
それでも清涼は降夜を責めようと思わなかったし、彼の傍から離れたいとも思わなかった。
何故なら……降夜は泣いていたのだ。
あの日、白い薔薇の中でたった一人で。悲しそうに……
眠りの中ですら……彼には安らぎがないのだろうと思えば可哀想だったからだ。
降夜と離れ……中央教会で過ごした八年の間、あの日……清涼が村を離れる事になったと告げた時の寂しそうな微笑みが……どうしても頭から離れなかった。
早く会いたい……!
一人にして、悪かった。そう言ってやりたいと思わない日は無かったのだ。
それなのに……清涼に向かって、久しぶりだね……?そう言って微笑んだその姿は……八年の歳月など嘘なのではないか?そう思う程に変わりが無かったのだ。
今まで、何人ものエクソシストが討伐に赴き……誰一人帰っては来なかった。
そんな、恐ろしい存在が……まさか……?
「お前が…本当に…?俺を騙して…いたのか…?答えろ!降夜!!」
絶叫は悲鳴のように…夜の森に響いた。
清涼が大人になったら、二人で見ようと降夜と約束した月の光が満ちた……白い薔薇が咲くその場所で、二人は再び巡り合ったのだった。
敵同士として……
結果として、清涼にも降夜を討伐……殺すことは出来なかった。
心臓を貫くはずの自分の剣は降夜の左腕を深く抉った。
手が震えて狙いを外したのだ。そして痛みに顔を歪める降夜の顔と……腕の傷から流れる赤い……人と同じ血を見た時に……もう、無理だと思った。
殺せない……!自分には、この美しい吸血鬼を、どうしたって殺せはしないのだと。
そんな清涼を降夜はその美しい深紅の瞳を、月明りに輝かせながら……不思議そうに見つめていた。
どうしたの……?今なら、君でも殺せるよ……?囁かれたその言葉に鳥肌が立った。
嫌だ……!反射的にそう思ってしまった。殺したくなんてない……!
清涼は降夜に見逃してやる……だから二度と自分の前に姿を見せるな。そう言って、彼をその場に置き去りにして森から逃げ去ったのだった。
それでも、自分を殺そうとしていたというのに、降夜は清涼の前に再び現れたのだった。
降夜は自分に会うために、太陽の下をのこのことやってきては、やっぱり昼間はなんか眠い……などと言って、教会のすぐ傍にある、清涼の家の玄関前に座り込んで……うたた寝をしていた。
それなら家で大人しく寝ていろと言えば、嫌だと言った。
寂しいから……一人は嫌だと言って、ずっと一緒にいてくれるって言ったじゃないかと……清涼を責めるのだった。
そんなこと……子供の口約束だろ!
吐き捨てるように言えば、悲しそうな顔で俯いた。
でも……降夜は呟いた。
約束通りに、君はちゃんと帰って来てくれたじゃないか……そう言って清涼を見つめた。
美しい……まるで宝石の様なその深紅の瞳は、真っすぐに清涼を見ていた。
結局……清涼は降夜に手を伸ばした。
この瞳が……誰か別の人間を映すことが、どうしても我慢できなくなったのだ。
初めて降夜を抱いた時は……ほとんど無理やりといっていい様な、酷い行為を強いてしまった。
降夜はずっと泣いていた……
それでも、清涼の血を言われるまま大人しく飲んで、隣で眠った。夜明け前に、森に帰ろうとした降夜に、清涼は自分だけだと約束させて……頷いた彼を森に帰してやった。
一度は、帰したけれど……
いつまで経っても……と言っても一週間だったが……姿を見せない降夜に、痺れを切らして森まで迎えに行った清涼は、白い薔薇が咲いているあの場所で蹲っている降夜を見付けて、自分がしたことを激しく後悔したのだった。
あんな風に、手酷く扱うつもりなんて本当は清涼にもなかったのだ。
だから、降夜に謝り……彼の手を引いて自分の家に連れて帰った。
その夜、作ったカレーを食べさせてやると、降夜は美味しいと言って、嬉しそうに笑った。 その笑顔を見て……清涼も嬉しかった。
もう……降夜を手放すことなど清涼には出来なかった。
その夜も、自分の寝室でまた……降夜を抱いたのだった。
それから、毎晩……降夜を腕に抱いて一緒のベッドで眠り、降夜が用意する食事を食べ……まるで、家族の様に暮らしたのだった。
「結婚式を挙げたい…」ある日突然、降夜がそんな事を言いだしたが……誰が?誰と?そう言って、清涼は呆れて取り合わなかった。別にそんなの挙げなくてもいいだろう。そう思ったのだ。
清涼の気のない返事に、降夜はつまらなそうな顔をしていたが……それでも、時々思い出したように清涼に結婚してくれとか、好きだと言えとか……言ってきた。
なんでそんなこと言わなきゃならねえんだと、その度に青筋を立てる清涼に、唇を尖らせてケチ!と言った。
そんな二人の暮らしだったが、降夜は、それから一度も森の館には帰らなかった。
時々は、何かを取りに行ったりしていたようだったが……それでも清涼が帰って来る前には、ちゃんと家に戻って来た。
昼は眠い……降夜はそう言っていたが、清涼が出かけた後に起きて家の掃除をしていた。
いつも清涼が、昼ごはんを食べに家に戻ると……降夜は大抵ソファーで眠っていた。
寝るなら……寝室のベッドで寝ろ。
何度清涼がそう言っても……降夜はいつもそこで眠っていた。
そして、眠る降夜の近くにはいつもバケツや、箒と塵取りなどが置いてあった。
掃除をして疲れて眠ってしまったのだと清涼にも分かっていた。
だから、清涼はそれらを片付け、降夜を抱えてベッドに運んで寝かせてやった。
無理しなくていい……そう言いたかったが、降夜がそれを聞かないだろうということが分かっていたので、清涼は降夜をベッドに運び続けた。
ただ、ベッドで寝るようにしろとは毎回言っていたが。
降夜がここに……自分の傍に居るのが、当たり前のようになってから暫くして、弟の息吹から、自分の結婚相手を連れて来るという手紙が届いた。
清涼は彼に、暫く森の家に戻っていてくれないか……?そう頼んだ。
降夜は、家族だけで過ごしたい。そう告げた清涼の言葉に頷いた。
次の日の朝……いつものように、一緒に眠ったベッドから黙って出て行った降夜に、清涼は少しだけ腹を立てた。
なにも、黙って帰る事ねーじゃねえか。
寂しい……そんな気持ちを誤魔化すように、清涼はそう呟いた。
息吹と、その彼女……華月は、仕事があるからと言って、一晩だけ泊まって次の日の昼には帰って行った。流石に今日は帰ってこないだろう……清涼はそう思ったが、眠るまで窓の外を見ていた。
明日には彼が帰って来るから……
清涼はカレーを作った。清涼の作るカレーが降夜はとても好きだと言っていたからだ。
一緒に二人で食べよう……たった三日……それでも降夜が居ない家は……広くて寂しかった。
早く帰って来て欲しい。一人きりで眠るベッドで清涼はやっぱり窓の外……森を見るのだった。
結局……三日過ぎても降夜は帰って来なかった。
一人で食べるカレーは……味気なくて食べる気がしなかった。元々そんなに美味しなんて清涼も思ってはいなかった。
ただ……降夜が、清涼が作るほうが美味しいといって、たまには作ってよと強請るので……降夜が料理を担当するようになってからも、度々作っていたのだ。
いつも美味しい美味しい……そう言って笑顔で、清涼の手で不器用に大きく切られた野菜を頬張る顔がとても好きだったから、作っていたのだ。
なんでだ……?こんなに待っているのに……なんで帰って来ないのだと。そう思って口に咥えた煙草をぐしゃりと握り潰した。
そして……降夜が出て行って五日目になって……降夜が戻らない理由に漸く思い当たった清涼は、慌てて降夜を迎えに行ったのだった。
なんてことを……!どうして、あんなことを言ってしまったのか……!
清涼は、何度目になるか分からない後悔に、胸を押しつぶされそうになりながら……森を駆け抜けた。
あんなに……当たり前のように一緒にいたのに。
帰るなと言って引き留めたのは清涼だったのに……家族だけで過ごしたいからと、降夜が邪魔だと言って追い出したのは……清涼だった。
それなのに……帰れるわけねーじゃねえか……!
今頃……降夜はどうしているだろう?
また、寂しそうにしているに違いなかった。
胸が痛んだ。
一人にしないと……誓った気持ちに嘘は無かったのに、結局降夜を一人にさせたのだ。
白い薔薇が咲くその場所で降夜は眠っていた。
あの……子供の頃に清涼が降夜を見付けた同じ場所でシルバー……銀色の狼にその身体を預けていた。
そして、清涼が声を掛けようと近づいた時に、その白い頬を涙が一筋流れた。
悲し気な顔……それもあの時と全く同じだった。
清涼は、それを見て……拳を握りしめた。
なんて……なんて馬鹿なんだ俺は……!
たった一人で眠りながら、泣いている降夜を見た時に……もう二度とこんな風に、涙を流させないと、こんな……誰も知らないような場所で一人きりで泣かせはしない……そう誓った癖に……!
「降夜…」
名を呼べば、美しい深紅の瞳が清涼を探して……彷徨った。
不安気な子供のようなその顔を見て、清涼は降夜を胸に抱きしめた。
「俺が悪かった。迎えに来たんだ…帰ろう」そう告げた清涼に、降夜は泣きながら……帰れないと言った。迷惑になるから……君の邪魔になるから……俺の居場所があそこにはない。そう言って首を振り、涙を零した。
こんな顔をさせるつもりも……こんなことを言わせるつもりも無かった。清涼は自分の迂闊さに腹を立てた。いいから一緒に帰るぞ!そう言って、強引に歩けば降夜が、尋ねた。ご飯……作るの面倒なのか、だと?
馬鹿か……!メシなんて食えればなんでもいい。お前が居ないのが嫌なんだ……!
そう、言えればよかったのだろうが……生憎と清涼にそんなことが言えるはずもなく、カレーを作ったけれど飽きたから、明日は違うものを作れ……!そう言うのが精いっぱいだった。
でも……降夜はそれを聞いて嬉しそうに笑った。
騒君の作るカレー……好きだよといって。
その日の夜に、二人で食べたカレーは……とても美味しかった。
そうだったのか……
目の前で、相変わらず大きすぎる野菜を、一生懸命に頬張る降夜の顔を見ながら……清涼は分かったのだ。一人きりの食事がどうして、味気ないのか……その理由を知ったのだった。
もう……降夜が居なければ……駄目なのだ。
隣に彼が居なければ……何もかもが色あせて、寂しさだけが募るのだと。
美味しかった!ご馳走様。そう言って微笑む降夜を腕に抱いて……清涼は思うのだった。
もう……後戻りなどできないと。
降夜を失う事……それは、自分の死と同じ意味なのだと、思い知ったのだった。
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