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第十八話 蒼褪めた月
降夜はあれから……清涼に好きだと言わなくなった。
清涼に結婚してくれとか、愛していると言えだとか……そんなことを全く口にしなくなっていた。ただ、いつも不機嫌な顔をして、とっても恨めしそうな目で清涼を見つめていた。
中央教会から派遣された、清涼の後輩にあたる見習いエクソシストの女性が、この村の教会にやってきてから、降夜の機嫌は急降下していったのだった。
理由は……色々思い当たった。
特に仲良くしているつもりは清涼には全く無かったが、降夜が一人で家にいる間、二人でいることが腹ただしい……というよりは寂しかったのだと思う。
だから清涼は降夜に彼女ばかり構ってる!と責められる度に、そんなことはしていないと説明したし……家に帰って来なくなった……!と言って半べそをかくから、昼食を彼女達と一緒にとることもこれからは断って、昼には家に帰ると約束した。
降夜にまたあんな顔をさせたくはなかったからだ。
一人で……寂しそうに泣かせたくなかったから。
その日の昼間に二人で仲良く話していた……!
そう降夜に言われたときは、清涼は冷や汗をかいた。
別段疚しいことをしたわけではなかったが……あの時、彼女に食事を作りに行くと言われて、清涼は毎日食事を自分の為に作ってくれる人がいる。だから、家には来ないでほしい。そう言って断った。
そんなことを言ったと、降夜に知られるのが……恥ずかしかったのだ。
あんなに……いつも降夜の事を面倒だと言って邪険にしている自分が、照れながらそんなことを言ったなんて……!
だから、降夜にはたいしたことは話していないと言って誤魔化した。
降夜も、流石に清涼がそこまで節操なしだとは考えていなかったのか……渋々それで納得してくれて……心底安堵したのだった。
そして、あの……青い満月の夜がやってきたのだった。
その日……降夜はとっても機嫌がよかった。
森の家からとっておきのワインと、白いレースの付いたテーブルクロス……そして、森に咲く白い薔薇を手に戻って来た降夜を、清涼は玄関先で抱きしめた。
家に帰って明かりがついていないことに気づいて、清涼は慌てた。
ずっと機嫌が悪かったし……また、黙って森に帰ってしまったのかと思ったのだ。
迎えに行こうと思ったその時に、降夜が帰って来たから安心して降夜に文句を言った。
黙って出て行くな……!そう言った清涼に降夜は笑った。
いつもの……機嫌が悪くなる前の、降夜の笑顔だった。
そして、夕食の席で……今日は俺の誕生日なんだと降夜は言った。
なんで先に言わないと怒った清涼に、降夜は困った顔をした。
人間だったときには、誕生日を祝ってもらったことが一度もないんだ……そう言って少し寂しそうな顔をした降夜は、だから今日は俺が吸血鬼になった日だよ……そう言って、君が祝う必要なんてないと微笑んだのだった。
清涼は、それを聞いて呆れた。心底馬鹿じゃないかと思った。
たとえ……それがどんな日だろうと、降夜が特別な日だと思っているのなら……それを一緒に祝ってやりたいと、俺が思う訳がないと心底信じている降夜に、溜息を吐いたのだった。
まったく……お前は……!何も分かってねえ!
清涼はそう思って苛々したが、言わなきゃわからねえなら……仕方がない。
「来年には…贈り物を用意してやるからな。まあ…俺の安月給じゃあ、たいしたものは用意できないぞ?」
そう言って笑った清涼に……降夜は涙を零した。
それだけで十分だといって、嬉しいと泣きながら笑う降夜に、また清涼は馬鹿だと言った。
一年に一度……特別な日はどんな我儘だって許されるんだぞ?そう言って笑った。
嬉しくて泣いている降夜を見て、胸が満たされて……幸せだと思った。
いつまでも、こんな嬉しそうな顔だけを見ていたい……そう願った。
その夜……満月の青い光が満ちる寝室で、清涼は降夜の白い身体を抱いたのだった。
甘い……降夜の声が何度も自分の名を呼んだ。
「騒君…」
降夜だけが呼ぶ、清涼の名前だった。
他の誰も知らない。呼ばない……自分が降夜の大切な者だと言う証だった。
そして、その声は何度も清涼が好きだと繰り返した。
世界で一番……愛しているのは清涼だけだと言って……
身体の奥を清涼の熱いもので満たされながら……震える吐息と共に、何度も何度も……愛を囁いた。
それが……嬉しかった。
ずっと聞いていたい……その声で紡がれる、その言葉が清涼は好きだった。
いつか……その声に答えよう。そう思っていた。
なんで言ってくれないの?悲しそうな顔をする降夜に、清涼はいつでも口を噤んできた。
答えが見つけられない……そんな理由ではなかった。
答えは……もう、ずっと前から決まっていたのだから……
清涼は、降夜のその愛の言葉が怖かった。
それに答えたら……降夜は満足して、どこかへいってしまうのではないか……?そんな気がしていたからだ。
いつだって降夜は、清涼が自分の声に応えてくれることを、あれほど強く望んでいたのだ。
降夜がどんな高価なものにも執着しないことは、清涼もよく知っていた。
そんな降夜がたった一つだけ望むもの。それを手にしたら消えてしまう……そう思った。
だって、こんなにも美しくて優しい降夜が……自分を、欲しいだなんて清涼には信じられなかったのだ。
誰をも一目で魅了する……最も美しい吸血鬼。そんな彼が……自分を?
この家に連れて来て、まるで閉じ込めるようにして二人で暮らしていても、いつか……清涼に飽きてどこかへ行ってしまうのではないか……?そんな不安が消えなかった。
だから、降夜が囁く言葉を……自分に強請るその声をいつまででも聞いていたかった。
愛していると……永遠に言ってほしかったのだ。
でも……そんなことを理由に、降夜に何も言わなかったことを、清涼はすぐに後悔したのだった。
突然……深夜の寝室に響き渡った……彼女の声。
「……この…悪魔…!」
降夜へ向けられた鈍く光る……拳銃……
清涼が、声も出せず……降夜を助ける為に手を伸ばすことも出来ないでいる間に……目の前で、心臓を撃たれて降夜は……
「降夜…降夜…目を開けろよ!嫌だ…こんなの…あんまりだろうが…!」
倒れた降夜を抱き起して、必死に彼の名を呼び続けた。
降夜の左胸は真っ赤な血の色の穴が……不自然なほどに大きく空いていた。
人間なら死んでいる。でも……降夜は吸血鬼だ。しかも……始祖吸血鬼の力を継いだ強い力を持った……!そう自分に言い聞かせないと、気が狂いそうだった。
嫌だ、嫌だ……嫌だ!絶対にそんなの……嫌だと叫んだ。
清涼の声に、降夜がゆっくりと瞳を開いて……清涼は泣いた。
よかった……死ななかった……!そう言って降夜に、自分の血を残らずやると囁いた。必ず助けてやる……そう言った清涼に降夜は、もう自分は助からないと告げたのだった。
なんで?どうして……!そう言った清涼に降夜は微笑んだ。
ずっと一緒にいたかった。でも……いつか君に置いていかれるのが怖かったんだと……そう告げられて……清涼は更に泣いた。
自分と同じことを……降夜も思っていたことを初めて知って……そんな不安のせいで、降夜に何も言えなかったことを……激しく後悔したのだった。
「お前が…好きだ…ずっと、ずっと前から…お前だけが好きだ!」
降夜にそう囁けば……嬉しそうに笑ってくれた。
ありがとう……やっと、言ってくれたね?
苦しそうな息をしながらも、降夜は嬉しいと言って涙を零した。
あんなに、何度も……言ってほしいと言っていたのに。
何度も、清涼の事が好きだと言ってくれていたのに……!
もっと早くに、言ってやればよかった。
こんなに幸せそうに笑うなら……いくらでも、言ってやればよかった……!
遅すぎる後悔に、どれほどの涙を流しても全ては遅すぎたのだった。
最後に……降夜は微笑んだ。
とても美しい……幸せそうな笑顔を残して……
清涼の腕の中で……彼が最後に望んだように白い灰になって消えてしまった。
清涼は魂が壊れてしまう程に泣き叫んだ。降夜の名を喉が涸れるまで呼び続けた。青い月光が……白い灰を青白く染め上げていた……
どれくらいの時間が経ったのか分からないまま……清涼は腕の中の白い……かつて自分の恋人だった、その身体がそのまま消えてしまう事を恐れた。
窓の隙間から入る僅かな風に……降夜が飛ばされるのが嫌だった。
シーツの上で、彼を……最愛の者の変わり果てた姿を必死でかき集めて……そのまま包みこんだ。そして、床に落ちていた服を着こんで……寝室の箪笥の奥に、ずっと隠してあった大剣を取り出した。
「ごめんな?お前を一人にはしないって、ずっと一緒に居るって約束したのに…沢山泣かせたな…?本当に…ごめんな…」
清涼は、腕に大切そうに降夜を抱きしめた。
もう……あの温かな体温も、柔らかな感触も感じることができないことに、静かに涙が零れた。
ああ……!
もう二度と戻らないのだ。
あの声が自分の名を呼ぶことも、美しい深紅の瞳が自分を見つめることも……柔らかな細い腕が自分に伸ばされることなど……この先永遠にないのだ。
それなら……
清涼は腕のなかの降夜に微笑んだ。
もう、離しはしないと囁き……白い布に頬を摺り寄せた。
あの……お前が好きだった……白い薔薇の中で一緒に居よう……今度こそ永遠に一緒だ…… そう囁いた。
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