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第二話 お隣の吸血鬼
もう寝よう……明日も早い。
寝間着に着替えた清涼は、風の音ではない物音を聞いて窓に近づいた。
パサパサと……鳥の羽音よりも若干リズム感が劣るその音は、聞きなれたものだった。
「……ったくよお…!こんな夜更けに…面倒癖えなあ」
溜息を零しながら清涼は寝室の窓を開けた。
それは……清涼が開けた窓からするりと室内に這入りこみ、清涼の頭上にボテッと音を立てて落ちた。
「……あーもう!だから、お前は慌てすぎなんだって、いつも言ってんだろうがぁー!!」
清涼の頭の上で、もがき苦しんでいる小さな蝙蝠を掴みあげて思い切り怒鳴れば……キーキーと、か細い声で小蝙蝠は何事かを訴えかけてきた。
もしかしたら少し乱暴に扱ったのでそれに対する抗議だったのかもしれないが……知った事かと思った。
「……相変わらず、声が大きいね?もう夜中だよ…?近所迷惑を少しは考えるべきなんじゃないかな?そのうち騒君のせいで夜眠れません…そう言って村の人たちが教会に押し寄せてくるようになったら、君の上司であるその教会の神父様はとっても困るんじゃないかなあ?君は中央教会のエクソシストで…正式にはその教会の神父って訳じゃないでしょ。要するに、居候…お手伝いさんだよねぇ?少しは自分の立場を自覚しなよ…」
清涼の掌にちんまりと収まった小蝙蝠から……若い男の声が流れ出したことに清涼は別段驚いた様子も見せなかったが、その話の内容には思わず、うんざりした顔をしてしまうのだった。
「……うっせえなあ!こんな夜中に一体何の用だよ?くだらねえ用事だったら…ただじゃ済まねえぞ!」
額に青筋を立てはしたが……小蝙蝠に向かって少しだけ声を低くして清涼はそう言うと、開けた窓を閉めて、ベッドに腰をかけた。
この……掌サイズの小さな蝙蝠は、清涼が派遣された教会の、すぐ近くの森に住む吸血鬼の使い魔なのだ。見た目こそ、普通の蝙蝠と変わりないように見えるが、主の声を運んだり、主が話したい相手の声を主に届けることができる、非常に便利な能力を持っているのだ。
本人を目の前にしているわけでもないのに、その声が小さな蝙蝠から流れだすのをはじめて聞いたときには流石に吃驚したけれども、それももう慣れた。
教会のお隣に住んでいる吸血鬼。この小蝙蝠の主である……降夜との付き合いはもう随分と長いのだ。
なんでまた……悪魔払いの専門家であるエクソシストが、悪魔の親玉ともいうべき吸血鬼と知り合いで……おまけにこんな風にしょっちゅう関わる羽目になってしまうのか……
いや……それはもうどうでもいい。
あれは遠い過去の話なのだ。昔の……取り返しのつかない自分の愚かな過去など、今更蒸し返したところで仕方がないと、清涼は頭を振ってそれらを乱暴に振り払った。
「もう…本当に偉そうだよねえ君は!まあ、それはいつもの事か…」
くすくすと、軽い笑い声の後に呆れた声を上げた降夜だったが……
そうそう……それで肝心の用件はね……清涼の許へ深夜に使い魔を飛ばして来た理由を話したのだった。
「……ああ…本当に…面倒癖えなあ…!!」
清涼は月明りだけを頼りに夜の森をのしのしと……怒りも露わに歩きながら盛大にぼやいた。
なんでまた、こんな夜更けに森の中を歩く羽目になっているのかと言えば……つい先ほど交わした降夜との会話を思い出して、更にムカムカと……腹を立てて舌打ちをしてしまうのだった。
そうだアイツが悪い。
まったく……人の迷惑を少しは考えろよ馬鹿吸血鬼が……!
心の中で悪態を吐きながらも、清涼の足は降夜が住む森の奥を目指して進み続けた。
清涼が寝ぼけ眼の村の医者を叩き起こして、肩に担いで村の水車小屋まで駆けつければ……降夜が告げた通りに、村の若い男女が血に塗れて床の上で呻いていた。
明らかに情事の最中に、襲われたのが丸わかりの……乱れた着衣のままのその二人を、連れて来られた医者は目を白黒させて見ていたが、清涼の言葉に慌てて自分の仕事を思い出し、手当をしながら、命に別状はないと太鼓判を押したので、清涼は手当ての終わったその二人を、とりあえずそれぞれの家に放りこんで自分は夜の森へと向かったのだった。
降夜が清涼の家まで、使い魔を寄越したのは……このことを教える為だったのだ。なんで、そんなことを知っていやがると着替えながら、聞けば……
「なんで…って…森の中でそれをやった…って言う犯人に会ったからだよ?」
あっさりと種明かしをした降夜に、声を失ってしまった。
おい……!今なんて言った?犯人……だと?
「だから、騒君は今すぐお医者さんを連れてその二人を助けに行ってよ?犯人は、ちょっと今情緒不安定っぽいからさあ…こっちは、俺がまあ…なんとかするからさ。明日の朝には教会に出頭するように説得しとくから。それじゃあ、後の事は宜しくね~!」
「……っ!おい、ちょっと待て!降夜!」
一方的に言いたい事だけを言って……小蝙蝠はぴたりと喋るのを止めて、清涼の顔をくりくりとした丸い瞳で見上げてキーキーと小さな声で鳴いた。もう……降夜の声がその小さな生き物から流れることはなかった。
清涼は顔を顰めて溜息を吐くと、その小さな蝙蝠を窓から外に出してやった。
パタパタと……小さな黒い影が森に向かって飛んで行くのを黙って見送ると、村の医者を呼びに行くために、家を飛び出した。
あいつは……本当に何を考えてるんだ……?
医者を連れに行く間も、二人を助けるために水車小屋まで駆けている間も……医者が彼らを手当てしている間も。清涼は、ずっと降夜の考えなしとしか思えない……無謀な行動に腹を立てていたのだった。
二人の人間を刃物で切り付けた人間と二人きりでいるとか……危ねえじゃねえかと、注意する前に一方的に話を打ち切ったことにも苛立った。
確かに降夜は人間じゃない。吸血鬼だ。
ちょっとやそっとでは死にはしない……かもしれないが、それでも切り付けられれば血を流すと清涼は知っていた。
おまけに、降夜は人の血をもう数百年単位で吸っていないと……清涼に言ったのだ。
不死の存在である吸血鬼であっても、その不死力の源である血が足りなければ最悪死に至るということは、以前降夜から聞いていた。
「だから…もし、君が俺を殺したかったら…今ならもしかしたら殺せるかもね?新米エクソシスト君…」
くすくすと楽し気な笑い声を立てて……そんな物騒なことを平気で言う。頭のおかしな吸血鬼……それが、降夜だった。
「くそっ!アイツ…本当に何を考えていやがる…」
殺されるんじゃねーぞと……清涼は思った。
お前は……俺が殺すんだから。だから……俺以外の誰にも殺されるんじゃねーよと、ぶつぶつと呟きながら夜の森を歩き続けた。
それは、まるで……執着と呼ぶには、あまりにも強すぎる、恋着とでも言うべきものだったが……清涼には全く自覚がないのだった。
そして、降夜の住む森の館に到着した清涼は、更に怒り心頭に達する羽目になったのだった。
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