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第七話 家族のこと

「なあ、明日から…二、三日でいいから、お前、森に帰っててくれねえか?」  夕食の支度をしていた降夜に、清涼はそう言った。  今日は肉じゃがだよと言いかけて……降夜はそのまま固まった。  は……?  今……なんて言ったの?  驚いて、目を丸くした降夜の顔を見て……  清涼が、あ!違うちょっと待てと、慌てて降夜の肩を掴んだ。 「別に、お前がなんかしたとかそう言うんじゃねえからな!いや…今朝、息吹から手紙が届いてよ…明日の午後にこっちに来るって言うんだ。その時に、結婚したいと思っている人を連れて来るっていうからよ…だから、悪いんだけど暫く…まあ長くて三日くらいは家族で過ごすから、お前は森の家に帰っててくれねえか?」  とっても申訳なさそうな顔で、清涼は降夜の顔を覗き込んだ。  最初の衝撃から立ち直った降夜はようやく肩の力を抜いて……溜息を吐いた。 「ああ…そういう事!吃驚させないでよ…いきなり離縁されるのかと思ったじゃないか!息吹君ってたしか、君の二つ下の弟だったよね?中央教会のある大きな街のオペラ座で作曲家の弟子をしているっていう…へー!結婚するんだあ…あれ?でも彼…まだ随分と若いんじゃないっけ?」  そう言って首を傾げる降夜に……離縁てなんだ結婚してねえだろうがと、清涼は文句を言ってきたが、それを無視して降夜は話を続けた。 「そういう事なら、まあ…仕方ないね。分かったよ。三日でいいの?もし滞在が長引くようなら連絡してくれればいいから。いつもみたいに君が呼べば使い魔を送るから、それに言伝すればいい。それじゃあ…もうご飯できるよ。今日は豚肉で作った肉じゃがだよ!お皿取ってくれる?」 「ああ…悪いな。今日も…美味そうだな!皿はこれでいいか?」  ありがとうそれでいいよと言いながら……降夜は複雑な気分だった。  弟がまだ十代で結婚相手を連れてくるというのに、焦らないのか?と清涼の鈍感さに呆れる一方で、まあ……降夜と結婚しないとは言っても、だからといって他の人間と結婚もしないだろうということは分かっていたから、なんだかなーと思うだけにするのだった。   「ご馳走様。今日もすげー美味かった!お前、料理の腕どんどん上がってるな!」 「それはどうも。君は…偶に作ってくれるといえば相変わらずカレーかシチューだよね?だから仕方ないんだよ。流石の俺でも、毎日カレーとシチューは飽きるもんね…!」  二人で向き合って夕食をとった後に、食後のお茶の準備をしながら、降夜は清涼のお褒めの言葉に、苦笑を零した。  最初の頃こそ清涼の作る料理を世界で一番!と言っていたが……流石に二種類だけではすぐに飽きてしまった。仕方がないので降夜が料理を担当することになったのだった。  元々凝り性なのもあるが、同じ材料でも色々工夫して少しでも美味しい物を食べさせてあげたいという……降夜の愛情がたっぷり籠った料理がまずいはずはないではないか。  料理の腕じゃないよ!愛情だよ!と言いたいところだが……まあ仕方ないか。 「……ちょっと!お皿洗うんだから邪魔しないでよ…!」  お茶を飲み終わり、食器を洗う為に台所に立った降夜を背後から清涼が抱き寄せた。  それに、眉根を寄せて……文句を言う降夜に清涼は、皿は俺が明日の朝洗うからいいと言って、そのまま降夜を抱き上げた。 「……もう…!自分勝手過ぎない?」  寝室へ清涼に運ばれた降夜がベッドの上で怒った顔をしたが、清涼はそんなこと位じゃ気にもしない。うるせえと一言だけ言って降夜をそのまま押し倒した。  明日から……暫くの間だけだとしても、こうして二人で居られないのだから、少しでも長く清涼と話をしたかったのに。降夜はそう思ったがそれを口には出さなかった。  言っても仕方がないし、清涼とそんなに長い会話なんて期待できるはずもない。  だから、清涼の気持ちを優先することを選んだ。 「……そんなに、俺と離れるのが寂しいのかい?騒君は…本当に寂しがりやだね?」  くすくすと……笑いながら、清涼の首元に両手を絡ませて顔を引き寄せると、そっと……触れるだけの優しいキスを唇にした。大丈夫、三日なんてあっと言う間だよ?そう囁けば……清涼は、機嫌が悪そうな顔でうるせえ!と言った。  この家で清涼と暮らしてから……もう半年が過ぎようとしていた。  その間、毎晩降夜はこうやってベッドの上で彼と抱き合っていた。一日も欠かさずに。  ちょっとおかしいんじゃないかと……降夜ですら思うくらいの清涼の執着は、降夜を安心させていた。  どこにも行かないで欲しいと、言葉だけでなく態度でこうも示されたら……嬉しくない訳はない。  いくら不死の吸血鬼でも、さすがに毎晩はキツイなあと思っても降夜は清涼を受け入れる。  どんなに身体が辛くても、心の底から沸き上がる喜びには勝てはしない。  その癖……未だに降夜の事を好きだと口にしない清涼に、呆れるのも……もう飽きた。  仕方がない……これは、根競べだと今では思っているのだった。  負け惜しみ……とも言うかもしれないけど。 「……んん…っ!ね…?俺が好き?だから…寂しいんでしょ…?」  深く清涼に貫かれて激しく揺さぶられながら、降夜は清涼の背中に爪を立てるようにして……彼の耳元で囁いた。 「……っ!別に寂しくねえ…!お前…が、俺が目を離した隙に…他の奴にフラフラいかねえようにしてやってるんだ…よ…!」  降夜の囁きに、掠れた声で清涼がそんな強がりを言うのだった。  全く……!素直じゃないなあ……    言葉は本当に素直じゃない癖に……清涼の腕は、降夜が何処へも行かないようにと、強い力で引き寄せることを止めないのだ。  零れる吐息も……全部飲み込まれる様な口づけに奪われ、目が眩むような強い快感に全身を包まれて……降夜は全てを清涼に預けるのだった。  夜明け前に……降夜は清涼の家を出た。  流石に体中がとっても痛かったが、それは我慢した。  朝までいたら、清涼と言葉を交わしてしまえば、たとえ数日のことだとしても別れが辛いと思ったのだった。  清涼の事を寂しがりと言った降夜だったが、自分がそれ以上の寂しがりだと自覚していた。  だから、すやすやと……幸せそうな寝息を立てる清涼が起き出さない内に家を出たのだった。 「あーあ…!なんか、やっぱり家を追い出されたって気がするなあ…別に結婚してないけど!」  そんな独り言を呟きながら……降夜はまだ薄暗い森の中を久しぶりの我が家へと帰るのだった。  その日の夕暮れ時に降夜は清涼の家の中を、近くにある木の上から……こっそり覗いていた。  だって、やっぱり寂しかったんだよ!そう言い訳しながら……清涼達に、ばれないように気配を見事に消して家の中の家族団欒の風景を興味津々に眺めるのだった。   「あ…!あれが…息吹君かあ…やっぱり騒君に似てるなあ…イケメンだなあ…」  降夜の肩に乗った小さな蝙蝠が、降夜の声にキーキーとか細い声で同意を示した。  この小蝙蝠は清涼が大好きなのだ。  いや……彼のふわふわした髪の毛がとても気に入っているらしい。  着地がとっても下手くそなこの子にとって……痛くなくて、しかも滑らない彼の頭上は天国……らしかった。降夜も、以前は頭の上にボテ……ッと墜落されていたが、降夜の髪質だとうまく掴まることが出来ず、そのまま地面に滑り落ちる羽目になるので……降夜の肩に墜落する場所を変えたのだった。   そんな主従が自分たちを覗いているなんて、気付いていないのだろう……まあ当たり前だが。  普段は、仏頂面が基本の清涼も穏やかな表情を浮かべている。  なんか、それがすごく面白くはないけれど……まあ、母親に次いで父親も亡くしてしまったこの兄弟にとってこの世でたった二人だけの肉親なのだ。赤の他人の降夜と比べるべくもないのだろう。  でも……  そこで、降夜は思わず昏い表情を浮かべたのだった。  彼女は……いいのかい?そう問いかけたい気持ちを抑えるのが……とても辛かった。  だって……彼女は……  降夜には、一目で彼女……華月が人間ではないことが分かった。自分と同じ……吸血鬼だと。  しかも、非常に稀有な始祖吸血鬼の血を引く……ほぼ純正の吸血鬼だと分かった。  降夜のように、元人間の吸血鬼など珍しくもなんともないが……生まれながらに魔族である者は稀だ。  降夜の友人にも、二人ほどしかいない。  その者たちは当然のように低級悪魔なんか比べ物にならない位の強い力を有していた。  だから、人間がそういった上級魔性と関わり合いになれば……必ずと言っていいほど悲劇が起こる。  清涼のように、生まれながらに強い力を持った人間は稀だ。彼の弟だからと言って……いい結果にならないと思うんだけどなあ……  降夜はそっと溜息を吐いた。  どうしよう……?清涼に教えた方がいいかなあと悩んでいるのだった。  上級魔性であればあるほど……自身の正体を隠すのが上手い。降夜がそうだったように……  だから、きっと二人……清涼と息吹は彼女の正体を知らないのだと思ったのだ。  よし……やっぱり教えよう。  降夜はそう決めると、気配を消したまま……素早く家の傍に近寄った。  丁度、清涼と息吹が窓際のソファーに二人で座り、彼女はお風呂に入りに行ったところだった。  窓を叩こうと伸ばした降夜の手は、空で止まった。 「兄さん…彼女は…華月は僕の街に古くから住んでいる…伝説の吸血鬼の一族の出なんだ。付き合うようになって…暫くしてそれを告白された。最初は…吃驚した。でも…それでも彼女がいいと思った。たとえ…神に背くことになっても、後悔しないと決めた。僕は彼女と結婚しようと思う。でも…兄さんに嘘を吐いて彼女の正体を隠したままなんて事はしたくなかった。だから、二人で話し合って…兄さんには本当の事をいう事にしたんだ。急にやってきて…こんなことを言ってごめん。兄さん…僕を…彼女をそれでも家族だと…そう言ってくれる?」  真剣な目で清涼を見詰めて息吹……清涼とよく似た顔が告げた言葉は……降夜の身体を氷付かせた。  知って……いたのか。驚きと……そして彼の告白に込められた、真実最上の愛の言葉に……身を心を切り裂かれるような痛みを感じて、唇を噛みしめるのだった。  なにそれ……?頭おかしい……んじゃないの?  ぐるぐると……降夜の頭の中で彼の言動に対する抗議の言葉が激しく回り……眩暈がした。  そんなの騒君が許すはずないよ……!だって君は、彼のたった一人の大切な弟なんだよ!  叫び出したい衝動を必死に堪え……降夜は清涼の言葉を待った。  お願い……!どうか……お願いだから……! 「……そうか。やっぱりな…実はな、最初に華月に会った時に気づいたんだ。あ、この女の子は人間とは違うなって。だから、お前が気づいてないんだったら…教えた方がいいのか、それとも黙ってたほうがいいのか…さっきまで迷ってたんだよ。本当の事言ってくれて…ありがとうな息吹。俺がこんな職業だってのもあるし…勇気がいっただろう?お前は凄いな!流石は俺の自慢の弟だ。彼女がお前の伴侶になるんだったら…もちろん彼女も俺の家族だよ。だから、これからも遠慮なく二人で遊びに来いよ?まあ…見ての通りなんもねえけど…いつでも歓迎するからよ!」  騒君……!  祈りは……降夜の願いは……もっとも大切な者の手で打ち壊されてしまった。   降夜はその場からそっと立ち去り、昏い森へ帰るしかなかった。  たった……一人で……  泣きながら……森を歩いた。  えっえっ……と子供のようにしゃくり上げながら降夜は泣いた。  いつまででも、涙は止まらなかった。  どうして……?零れた呟きは掠れて……夜の闇に掻き消されてしまうほどに弱々しかった。  なんで、俺は駄目で……彼女ならいいの?  理由なら……分かっていた。  自分が吸血鬼だから……清涼自身も言っていたように彼が悪魔を退治する……エクソシストであるからだ。  でも……!  降夜は泣きながら……叫んだ。ずるいと喚いた。  女だったら良かったのか……?そんなの俺にはどうにもできないじゃないかと泣いた。  あの家族の団欒は、とても幸せそうで温かそうで……  でも……どこにも降夜の居場所はなかった。  それが……悲しかった。  一緒にいると言った癖に。どこにもやらないと言った癖に……!  家族の為に降夜が邪魔だと平気で切り捨てた清涼を恨んでも……憎めはしない。  当たり前だと、降夜にはちゃんと分かっている。  誰が好き好んで大切な家族に吸血鬼を会わせたがる?  でも……息吹は彼女を自分の伴侶にすると清涼に言ったのだ。  そして、清涼は彼女を自分の家族にすると……言ったのだ!  もう……帰れないと思って降夜は泣いた。  あそこには、もう俺の居場所なんてないのだと思い知らされて涙を零した。  いつまででも……涙は枯れなかった。  吸血鬼になっても、涙は出る。血だって流れる……心だって傷つくし……悲しくて死んでしまいたいと思う夜だって……あってもいいじゃないかと降夜は泣いた。

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