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そして……運命の日は意外と早くやって来た。
今から一週間前、霧咲が使用人全員に『一週間後に晩餐会をするから、各自準備をよろしくね』と言ったのだ。榛名以外の全員は『ついに婚約披露パーティーだ!』とピンときて、各自ソワソワと様々な準備を進めていたが、その中で榛名だけが沈んでいた。
(もうすぐ旦那様が誰かと結婚する……。なのにまだ転職先も見つからないし、顔を見れば離したくない離れたくないって思うし、もう生きてるのがしんどくなってきた……)
日に日に榛名の溜息の数が増えているのに周りはもちろん気付いているのだが、単なるマリッジブルーだと思い込んでそこまで親身になって心配する者はいなかった。
榛名の溜息に気付いた同僚は、そのたびにぽんと肩を叩いて『大丈夫、幸せになれるよ!』と心の中でエールを送るのだが、榛名はそれを『残念だったな、まあお前の身分じゃ妾がせいぜいいいところだよ』と言われているのだと受け取っていた。実に慰め損である。
せめて霧咲の前でだけは気丈でいなくては……と思うのだけど、やはり元気は出なかった。そして前よりもひどく霧咲を求めていて、自分でも引くくらいだ。
ちなみに霧咲も、榛名の元気がないのはマリッジブルーだと思っていた。もう今更プロポーズしてもサプライズにはならないかもしれないが、それでも榛名は笑うか泣くかして、自分を受け入れてくれるだろうと。
ようやく――準備が整ったのだから。
そして今日がその1週間後。榛名以外暗黙の了解の婚約披露パーティーの日である。
*
(ど、どうしよう……)
逃げたい。
逃げたい。
逃げなければ。
そう思っていたのに、今朝もやはり霧咲の腕の中にいて、逃げることができなかった。
もうこの際のんきに就職活動などしていられない。一刻も早くこの場所から去らなければ、精神を病んでしまうだろう。
晩餐会は夕方からだ。それまでになんとかして逃げなければ。婚約者の女の顔など見たくも無いし、記憶にも残したくない。
霧咲と結婚する世界一幸せで綺麗なお嬢様の姿なんか見たら、男で平民で平凡な自分がますます惨めに思えるだろうから――……
「ん……榛名、おはよう」
「お、おはようございます……」
「今夜、楽しみだね……ふふっ」
「え?」
「あ、いや……沢山の招待客を呼んだからさ。久しぶりに会う人達もいるんだ、友達とか…。君にも早く紹介したいよ」
「そう、ですか……」
残念ながら、榛名は霧咲の友人に会うことはないだろう。晩餐会までに……その途中でも、絶対にこの場所から消えるともう決めているのだから。
「……榛名、どうしてそんなに険しい顔をしてるの?」
「えっ?」
「心配しないで。身分をとやかく言う奴らじゃないから……君に岡惚れしないかだけが心配だけど、絶対悪いようにはしない」
「はあ」
(岡惚れって……なんのこと?)
「ね?だからそんなに不安そうな顔をしないで。大丈夫だから……」
「……………」
そう言ってぎゅっと抱き締められたので、榛名も抱きつき返した。この人のぬくもりをいつまでも忘れないでいたい。これからは、一人でも生きていけるように……。
(今日は、離してくれとか起きましょうとか言わないんだな……)
朝から珍しく甘えてくる榛名の様子を見て、霧咲は少しだけ妙に思った。
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