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第2話 銀の太刀
永田が提供してくれたリビングで被害者達から話を聞く。
帰宅時にいきなり足首を掴まれてこけて、膝を擦りむいた。いきなり身体を絞められた。路地裏へと腕を引かれた――など。
どれもこれも思い過ごしや、不注意で片付けられそうなものだが、それはきちんと己の存在を主張していた。足首に、首に、二の腕から手首にかけて――麻縄で絞められたような、アイビーが巻きついたような一見葉っぱに見える小さな無数の手形。聞けばどれだけ日数が経とうとも消えないのだと言う。
「はぁ……」
出されたお茶に手を伸ばすついでに、拓真はテーブルの上をちょこまかと動く魔になりきれていない憎念の塊を指で弾いた。永田達には暇を持て余した拓真が指を弾いて、手悪さでもしているように見えた事だろう。
人だったモノでもない。山に根付いていた植物でもない。背中を蹴られたと言った者には何の動物かは解らないが立派な蹄の痕が残っていたのだ。
「マジか」
事のついでにと地名を入力して検索した結果を映し出したスマートフォンの画面に思わず声が漏れた。
あの山でたくさんの人間が飢えに苦しみ亡くなっていた過去が淡々と書かれていた。彼らの魂を慰め鎮めていた山神は魔に取り込まれ、もういない。
「東雲さん? どうかしましたか?」
「あぁ、いえ、そろそろ時間ですね。障りのあった皆様にも御同席いただいて――失礼」
会話を邪魔するように震えたスマートフォンに目をやり、本家から送られた明日の依頼内容のメールを確認すると拓真は音もなくソファから立ち上がり、永田達を促してすっかり薄闇に包まれた夜の気配漂う中を目的の場所へと迷わず歩き始めた。
先頭を歩く拓真が何やらブツブツと呟いているが、永田達にはさっぱり理解できないどころか聞き取れもしなかった。
「あの、東雲さん? さっきから何を……」
その問いに拓真は答えなかった。
この新興住宅地が造られなければ、道を覆う程の魔が放たれる事もなかったのだ。こんなにたくさんの魔が群れをなしていれば、多少波長の合う人間ならば何らかの害を受けるのも全く不思議ではない。
そして今、拓真の背後には波長が合い実害にさらされた人々が列をなしているのだ。だからこそ話しかけられようとも魔を遠ざける呪法の詠唱を中途半端に止めるわけにはいかないのだった。
ブチブチと拓真にしか解らない魔を踏み潰しつつ、買い手の付かなかった荒れ放題の一角へと辿り着いた。この空き地の真正面に、朽ちかけの社がポツンと建っていた。
「結界を張ります。無傷でいたいなら、どうかこの中でお待ちください」
拓真の指示に素直に従う者もいれば難色を示す者もあり。四隅の内、最後の一つを残して結界を張り終わった拓真は、無意味に着飾った中年女性に刺々しい視線を送るとわざとらしく溜め息をついた。
ちょっと忘れ物をしましたの、なんて言っておいて離席したと思ったら別人かと見紛う程に化粧をし着飾って再び現れたのだ。
明らかに拓真を意識した行動を無視する事も仕事の内だ。
「貴女が最後です。入っていただかないと結界が張れません」
「結界ったって、おまじないみたいなものでしょう? 気休めでそんな汚い所に、私入りたくないわぁ」
――もう良い……見せてやれ。こいつのような己の事しか考えられぬ人間が招いた結果だ――
呆れに満ちた声に顳顬 を押さえていると、声の質が変わった。
――お前に色香を振りまく方が大事なようだな。あぁ、香水臭い。俺はアレは守らんぞ――
それは困る、と拓真は声に返した。依頼で人を殺してしまったとあっては先祖代々続く退魔を生業とする東雲家の大醜聞だ。本来ならかすり傷ひとつでさえ許されないのだ。その為の結界なのだが、入ってくれないとなると危険が増す。もし怪我をさせてしまったら――?
「一晩くらい相手しなきゃダメだろうなぁ……」
この場にいる全員に金を積んで黙らせた上で、拓真に気がある御様子の御婦人の身体も満足させねばなるまい。
――は? お前、何を言っている? お前は俺のモノだろうが? 抱く? アレを? 絶対に許さんぞ――
「なら、俺の貞操の為にもいざって時は頼むぞ、柊漣 」
「ねぇ、拓真さん? 早く始めてくださらない? 陽も落ちて怖いし、寒いわ」
わざとらしく両腕でふくよかな身体を包みつつ、胸を強調して見せる事も忘れない。怖いなら四の五の言わずに結界に入れ! と怒鳴りたいのをぐっとこらえて、拓真は結界内にいる人々に対して開始の声をかけた。
「拓真さん、私はどこにいれば良いかしら?」
甘えたセリフも聞き流し、拓真は目を閉じた。
掌を社に向け、氏神に力を貸してくれるようにと念を送る。風が庭木や雑草を揺らす音のみだった空間が突如として騒がしくなった。
社からの応えがないうちに、大挙をなした魔がそこまで迫り来ていた。
「氏神様、ここは紛れもなく貴方様の地だ。これ以上、貴方が魔に穢されるのを防ぎたい! どうか!」
散り散りだった魔が集まり始めている。恐らくはこちらの力を推し量り、対等もしくは勝てる見込みのある姿となるつもりのようだ。
――諦めろ。そちらの答えは、否だ――
地鎮祭も執り行なわれず、こんな寂しい場所で住民の誰一人として手を合わせもしない。神力も弱り果てた状況で手を貸してくれるなんて、あるとしたら奇跡だ。
「貴方の思いは理解した。だが見ていていただきたい。私達は貴方の地を守る」
掌を下ろし、うぞうぞと集まり、巨大な一体と化した魔の群れに向かい合おうとした瞬間、くいっと腕を引かれ、人肌の柔らかい物を押し付けられた拓真の眉間に深い皺が刻まれた。
「な、なんなの? アレはなんなの? 怖いわ、拓真さん!」
「離れろ。邪魔だ」
決して絶やさなかった笑みの消えた顔は弱い月の光を受けて、黒い瞳が冷酷な光を宿した。振り払われた御婦人は一瞬悔しそうに口元を歪めたが、目の前の光景にガタガタと震えだし、しゃがみ込んだ。
枯れた松を思わせるヒビ割れた肌とそれを取り巻く蔦葉に、かつて姥捨の風習があった時代にこの山に捨てられた老人達の絶望に満ちた幾つもの眼球。頭には鹿の角、山犬の鼻、だらりと垂れた先の割れた蛇の舌。下半身は獣の集合体のようだ。イタチ、鼠、猪……。かつてこの山に住み、命を繋いでいたもの達。人間によって命の連鎖を断ち切られたもの達。
醜悪な姿形とキツい腐臭が辺りを侵して行く。
「厄介だな……お前の仲間もいるぞ。殺って良いのか?」
――ふん。あの程度の魔とこの俺を同列に語るな。三枚におろしてやれ――
「口の中をか? なかなか難しい事を言う」
ズドン、と地面が揺れた。その衝撃で巨大化した魔からパラパラと蛆が落ちる。その蛆さえも牙を持った蛭と蛆の結合体だった。
身を縮め、口を開けて飛びかかって来た蛆だか蛭だか解らないモノを拓真は軽く手の甲ではたき落とすと、それは清濁入り乱れた悲鳴をあげて空中で霧散した。次に飛んで来るのは蔦葉か鳥の羽か。それとも、本体が直接攻撃して来るか――。
「や、や……お願い、入れて! 私もそっちへ入れて! ふ、ふ、服なんてどうでも良いわ! 見えないの? 貴方達にはあの化け物が見えていないの!?」
「三田さんはどうしたんだ? 何を見てるんだ……?」
綺麗に整えたはずの髪を振り乱しながら、結界内に入ろうと騒ぐが、見えない壁に弾かれる。そして結界内の人々はそんな彼女の様子に首を傾げている。見えるわけがないのだ。その為の結界なのだ。
魔の身体に着いた無数の眼球がぎょろりと動いた次の瞬間、二人へ向かって同時に葉と手のついた枝がゆらゆらと伸ばされた。
「柊漣!」
――やっとか。遅いわ、たわけ――
柏手の如く胸の前で手を打つと、拓真の身体が大きく仰け反る。打ったまま合わせた状態の手に、音もなく真っ白な日本刀の柄が現れた。拓真は臆する事なく自らの身体から銀色に光り輝く美しい日本刀を取り出すと、その刀の放つあまりの霊力に拓真へと伸ばされていた魔の触手はみるみる腐り落ちた。
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