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第17話 兄①

 その時、母親から夕食ができたわよと声をかけられ、食卓についた和樹だったが、何を食べてもまったく味がしない。失恋の日以来のことだ。水泳の大会で負けたってここまでショックではなかった気がした。  食卓を囲んでいるのは、母親と兄の宏樹だ。営業職の父親は日付が変わる頃にしか帰ってこないから、これがいつものメンバーだ。和樹の箸がいつになく進まないのに気付いたのは、母親より宏樹が先だった。大学生でラガーマンの宏樹は、大雑把な外見と違い、意外と他人のことを良く見ていて、繊細なところがある。 「どうした、カズ。体調でも悪いのか。」 「うん、ちょっとね。」 「あら、そうなの。食べたら早く寝て、明日は学校休んだら? 明後日のことがあるし。」母親が冷蔵庫の扉に貼ってあるカレンダーに目をやる。明後日の土曜日、父親と一緒に東京に行き、春からの新居を物色する予定になっていた。 「平気。ちょっと疲れが出ただけ。メシはもういいや。風呂入って寝るよ。」和樹はいつもの半分も食べずに席を立った。  風呂につかりながら考えるのは、やっぱり田崎のことだった。「絶対来い」と言った以上、自分が明日休むわけには行かない。明日会えなければ、土日は東京に行く。となると、月曜日までチャンスがない。  チャンス。チャンスって何のチャンスだ。和樹は自問自答した。それは田崎に会えるチャンスのほかにない。だが、会ったところでいったいどうする。あいつの気持ちには応えられない以上、あいつを苦しませる時間を延長するだけじゃないのか。でも、このまま卒業したら、あいつの言う通り、もう一生会えないような気がする。それは嫌だ。何故かわからないけど、そんな形で田崎と会えなくなるのは、なんだか、すごく嫌だ。  和樹は湯に顔面を沈めて、しばらく息を止めた。集中できない時によくそんなことをやる。

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