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第49話 Re:告白③

 涼矢に言った通りに、走って自分の家まで帰ったので、着いた頃には汗だくになっていた。玄関の物音に気付いた恵が顔を出した。「あら、和樹、おかえり。返事がないからどうしたのかと思ったら。まあ、汗びっしょりで。」 「シャワーして来る。」和樹はまだ肌寒いこの季節に、冷たいシャワーを浴び、汗だけでないべた付きを洗い流した。体にキスマークのひとつもない。洗い流してしまえば、もう、涼矢の痕跡はどこにもなかった。あいつの首筋には、残っているかもしれない。俺がつけた、赤い痣が。あいつ、気がつくかな。和樹はそんなことを思い、また欲情してしまいそうになるのを、どうにか抑えこんた。  ダイニングに行くと、もう恵も宏樹も食事を終えており、和樹の分だけがラップされた状態でテーブルに載っていた。 「おかえり。」と陽気な声で宏樹が言った。 「ただいま。」タオルで髪を拭きながら椅子に座る。恵がごはんをよそってくれた。 「どこに行ってきたの?」と恵が聞いてきた。初めての彼女ができた時は根掘り葉掘り聞いてきたものだが、聞けば聞くほど和樹が何も話さなくなることを悟ってからは、そのような質問をすることもめっきりなくなっていた。恵に対して何か違和感を与えたのだろうかと和樹に不安がよぎった。 「映画。」とだけ答える和樹。映画だけで丸一日を費やすわけがないことは、この場の三人全員がわかっている。恵は、誰と、どんな映画を見たのかを、それからどこで何をしていたのかを聞いていいものか迷っている素振りを見せた。和樹は和樹で恵のそんな様子には気づかないふりをして、「インド映画。おもしろかったよ。兄貴、知ってる?」と映画のタイトルを宏樹に告げた。 「知らないなあ。」 「貧乏な若者が、強欲な大富豪にいじめられてて、その娘と身分違いの恋に苦しんだりするんだけど、知恵で障害を乗り越えて、最後はハッピーエンド。ベタだろ。で、すげえ悲惨な、悲しい場面でも、歌ったり踊ったりするんだよな、インド映画って。街角で突然すっごい人数で踊り出すの。ハマるよ、あれ。あと、無性にカレー食いたくなる。」 「ちょっとおもしろそう。インドって世界一の映画大国なんだってよ。」 「へえ。」  二人の会話を聞いて、恵が少し安心しているのが見て取れた。女の子と二人で見てロマンチックな気持ちになるような映画ではなさそうだわ。和樹はそれ以上恵が干渉してこないことを察し、作戦が成功したことに安堵した。  食事を終え、部屋に戻る。たぶん、宏樹も間もなく来るだろう。そう思った瞬間にドアの外に気配を感じた。だが、入ってこない。和樹のほうからドアを開けると、案の定そこには宏樹がいた。「何してんの。」 「入るべきかどうか、迷ってた。」 「ふん。」鼻で笑い、和樹は部屋の中に戻る。宏樹が続いて入った。 「帰ってくるなり、シャワーとは恐れ入るよね。」宏樹はドアを閉じながら言う。 「ホテル行く金がなかったんで。」  宏樹は口元を歪めて笑った。こういうことにかけては、弟に太刀打ちできない。「何、結局、女と会ってたの?」 「いや。」和樹は床に座る。「走って帰ってきたから、汗かいたんだよ。」 「なんで走って帰る必要がある。しかも、おニューのシャツとジーパンで。」 「自転車がなかったから。」 「会話が成立してないぞ。」 「聞かれたことには答えてる。」 「質問の意図に反した回答はバツだ。」  和樹は会話を引きのばしながら、考えていた。本当のことを言っていいものか。「俺、現国は苦手だし。」 「じゃ、ひっかけ問題にはしないでやるよ。例のお友達とは、ちゃんと、けりがついたんだな?」 「うん。そのことね。」 「それしかないだろが。立ち入るつもりはないけど、あんな話聞いたら、気になるわけよ。にいちゃんとしては。」 「ついたよ。けり。」 「そうか。頑張ったな。」 「うん。女相手より、しんどいわ。」 「ま、何事も経験だから。」したり顔で宏樹は言い、「それ聞いて安心した。そいつも、まっとうな人生歩めると良いな。」宏樹はそんなことを言い、部屋を出て行った。  結局宏樹は勘違いしたままだ。嘘をついたのでもないけれど、本当のことも言えなかった。まっとうな人生か。和樹は宏樹の最後の言葉を心の中で繰り返した。涼矢も、俺も、まっとうじゃないところに向かっているのか。でも、仕方ないだろう。俺、あいつのこと、可愛いって思っちゃったし。離したくないって思っちゃったし。ああ俺、なんで東京の大学なんか行くのかな。もっとそばにいたかったな。でも、俺が東京に行くから、あいつは俺に打ち明けてくれた。それがなかったら、何も気づかなかった。それとも、気づかなければ良かったのかな。そうだな、そしたら、何も起こらなかった。こんな気持ちにならなくて済んだ。でも。  和樹は迷路に迷い込んだようだった。  兄貴、やっぱり、けりなんか、ひとつもついてないや。和樹はため息をついた。

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