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第52話 Re:告白⑥
まっとうな人生。それは、たとえば川島綾乃のような女の子と恋に落ちる人生だ。和樹は少し離れた席の綾乃を見た。斜め後ろの角度から見える綾乃。きれいなロングストレートの髪。華奢な肩。制服越しにもわかる曲線。じっと見ていると、綾乃が気配を察したのか、和樹のほうを振り返った。一瞬目があったと思ったが、すぐにまた前を向いた。さっきの柴の件で、和樹が自分を柴から奪還しようとしなかったことが気に入らないのかもしれない。綾乃は勝気だから、絶対に自分の口からそうとは言わないだろうけれど。
和樹はクラスメートの誘いを断り、どこにも寄らずにひとりで帰宅し、ひとりで部屋にいた。学校からの帰り道、自転車を漕ぎながら、涼矢の家まで行ってしまうことも考えた。でも、ちゃんと考えると約束したのだ。和樹はひとりで静かに部屋で過ごすことを選んだ。
部屋は相変わらず散らかっていた。和樹はぼんやりと片づけ始めた。引っ越しは今月末だが、最低限の家電や家具は手配済みで、新居に直送される手はずになっているので、引っ越し荷物自体はそれほどの量はない。この部屋もこのまま和樹の部屋として維持され、別の用途に使われる予定はない。そうだとしても、多少は整理整頓しておくべきだろう。現状の散らかり具合では、見かねた恵が和樹の不在をいいことに勝手に掃除に入り、あれこれ手を付けるに違いない。高校生男子の部屋のこと、母親に見られたくないものはひとつやふたつではないのだ。
雑多に重ねてあるプリント類や雑誌を束ねていると、何かに挟まっていた写真がひらりと落ちてきた。去年、水泳部が地区大会で入賞した時の集合写真だ。中央には当時の部長だった津々井、その隣に副部長を務めていた涼矢が写っていた。みんなは満面の笑顔だが、涼矢は口角を少し上げただけであまり嬉しそうではない。涼矢らしいな、と和樹は思い、クスッと笑った。
写真の中の涼矢は、自分もそうだが、今よりも一回り以上大柄に見える。比較対象は昨日のベッドの涼矢だ。久しぶりに見る涼矢は、思っていたよりも細くなっていたが、触れると確かな筋肉がそこにはあり、綾乃やミサキとは違う生き物だった。抑えようとしても漏れてくる喘ぎ声も、女性のそれとは違っていた。
「好きだよ、和樹。すげえ好き。大好き。」
強制して言わせた愛の言葉。好きと言われたことは何度もあるけれど、その言葉だけであそこまで欲情したことはなかったし、卑猥な言葉をぶつけることも、自分の下半身を触れと指示したこともなかった。「女の子にそんな下品なことはしない」というのは事実だった。涼矢に対してだけに起きた衝動。小さくて柔らかな生き物よりも、タフなあの生き物をこそ仕留めて、意のままにして、征服したい。和樹の中に、そんなサディスティックな劣情が芽生えていた。同時に、ずっと自分に思いを寄せていた涼矢に報いてやりたい、大事に、優しくしたいと思う気持ちもまた、嘘ではなかった。今までの恋愛では経験したことのない感情だった。
「やりたいだけだろ。」涼矢の苦し紛れに言った言葉が、真実をついていたのかもしれない。自分は未知の性欲に突き動かされているだけで、恋をしているのではないのかも。でも、それじゃダメなのだろうか。相手と一緒にいたい、触れていたい。更にその先に行きたい。それは「まっとうな」恋愛と同じじゃないか。
考えても、答えは出なかった。いや、最終的に答えを出すのは、涼矢だ。すべてはその後に考えよう。和樹は涼矢に責任転嫁するように、それについて考えるのをやめた。
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