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第54話 前日②

「え、おまえ彼女いんの。」 「いない。」 「片思い中?」 「柳瀬に言う必要はない。」 「いいだろ、教えてよ。ていうか、それならそれで、俺ヒナちゃんにそれ伝えなきゃだし。紹介した手前。」 「俺には関係ない。」 「関係なくないだろ。おまえがドタキャンしたせいなんだから。」 「連絡しなかったのは悪かった。」 「本当かよ。全然悪いと思ってなさそう。悪いと思ってるなら、教えてよ。これから告るの? 脈ありな感じ? 俺の知ってる子?」 「うるさいよ、柳瀬。今とても微妙な時期なので、そういう質問は遠慮してください。」涼矢がわざとらしく棒読みで言う。 「なんか意外。田崎くんがねえ。」その会話に突然入ってきたのは、綾乃だった。涼矢の二つ後ろの席だが、間の席の女子が別のクラスに行っていて空いていたため、二人の会話が筒抜けだったようだ。和樹の前では涼矢と呼んでいたが、水泳部員ではない柳瀬がいたせいか、あるいは、他の女子からの「男子にベタベタしちゃって」という誹りを避けるためなのか、田崎くん、と呼んでいる。 「だよな。」柳瀬は綾乃との会話の機会を逃そうとはしなかった。「こいつ、中学の時から結構モテてんだけど、全然そういうのなかったから。こんな卒業ギリギリになって、そんな話が出てきてびっくりだよ。」 「モテてないよ。」と涼矢。 「おまえが気が付いてないだけだ。それに、話しかけるなオーラがすごいからな。」柳瀬が言うと、綾乃はフフッと笑った。自分の言葉に綾乃が笑ったことで、ますます調子に乗る柳瀬。「なあ、片思いって断言しないってことは、うまく行きそうなんだろ? 相手もまんざらでもないって感じ?」 「さあね。口ではどうとでも言えるからな。心の中まではわからない。」和樹は自分が責められている気がした。 「口先だけでも好きって言ってくれるなら、のっかったほうがいいよ。」と綾乃。「だって、絶対無理だったら、言わないでしょ? 心の中の一部でも好きだからそう言うのよ。だったら、その一部を信じるなあ、私なら。一部を全部にするのは、その後に努力すればいいことだもん。」  柳瀬も、涼矢も、また周辺の男女も、綾乃の言葉に聞き入り、黙ってしまった。和樹も、和樹と雑談していた連中も含めて、クラスのほぼ全員が、綾乃の恋愛トークを聞いていた。綾乃もそれに気づき「やだ、私、なに語ってんだよって感じだね。恥ずかしい。やだあ。」と口元をおさえて、足をバタバタさせた。綾乃とつきあったり別れたりしているせいで、彼女がこういう目立つこと、特に恋愛に関することで何かをすると、その次には和樹の反応に注目が集まってしまう。和樹がそれを警戒していると、「川島先生、大変勉強になりました。参考にさせていただきます。」と涼矢が言い、ぺこりと頭を下げた。いつも無愛想な涼矢が「好きな相手がいる」と発言したり、また、こんな風にふざけてみせたりした意外性のおかげで、和樹への注目はそがれた。それがどこまで涼矢の意図によるものなのかは不明だったが、周囲は「田崎ってこんな奴だったんだ」という驚くことに精いっぱいで、和樹のことは意に介さなかった。  それにしても、涼矢と綾乃が語っているのは、ほかでもない、和樹のことなのだ。そうとは知らない綾乃は、言わば無自覚に敵に塩を送る発言をしてしまったことになるが、今の和樹にとっては、ありがたい流れだった。

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