確か友人と狩りに出て、嵐が来て。 雨風を凌げる場所を探していて…そうだ、足場が崩れて崖から落ちた。その後の記憶がない。 辺りは暗く静かで、今が夜であることがわかった。嵐も去ったようだ。 ここは…見た所古い館のようだが、前々からよくこの森には狩りに入っていたのにこんな場所があったなんて全く知らなかった。 建物は古そうだが手入れはしっかりと行き届いている。部屋に飾られた調度品は、田舎者のトビアスにはよくわからないが高価そうなものばかりだ。 あの生き物が崖から落ちて気を失った自分を助けてくれた。これで間違いはなさそうだが、それにしては不可解だ。 自分を「トーマス」と呼ぶあの生き物は一体なんなのか。それに逸れた友人たちは無事なのだろうか。 「…ちくしょう、助かったのかわかんねえなこれじゃ…」 ズキンと胸が痛んだ。 再びカチャリと控えめな音と共に、今度はふんわりと食欲そそるいい匂い。あれの話を信じるのなら2日眠っていたというし、随分と腹が減っていたようだ。 「久しぶりですが、美味しく出来たと思うんです…」 男は少し照れ臭そうに微笑んで、トビアスが寝かされているベッドに横付けしてあるサイドテーブルにトレイを乗せた。 ほわほわ立ち上る湯気に、ついに腹の虫が鳴き声を上げた。 「さぁ、どうぞ。」 「や、待て！自分で…」 自分で食べられる、と言おうとしたが、生憎どちらの手も自由には動かなかった。 目の前の男は驚いた様子でそれを見ていたが、額にそっと掌を当てて制されて…そしてふっと力が抜ける。 どういうわけか、同時に痛みも消えてしまった。 男はスプーンをトビアスの口元に運んで、ちょんちょんと唇をノックした。反射的に開けた口内に流れ込んできた、優しい味。 「…あんた一体…なんなんだ…」 呆然と呟くと、それは目を見開いた。 が、すぐにクスクスと楽しげに笑った。まるで鈴の音が鳴るような声で。 「冗談はやめてください、もう…悪魔をからかったりして、相変わらずお人が悪い。」 「あくま…？」 「…トーマス、一体どうしたんですか？なんだか変ですよ。」 ピリッと空気が張り詰めた。 お互いの出方を探って、最初に口を開いたのは、トビアスだった。 「…俺の名はトーマスじゃない。悪魔の知り合いなんていない。人違いだ。さっさと帰してくれ。」 ギャア！ギャア！ 名前も知らない鳥が、大きな声で飛び立った。 不気味な館だ。 二人の話し声と食器の音以外はなんの音もせず、静かに揺らめく蝋燭の炎だけがこの空間が絵画の中ではないことを教えてくれる。 真紅の瞳が驚愕に見開かれ、人智を超えた美貌が引きつるのを、毅然として見ていた。 「なにを…そんな嘘…」 「嘘じゃない。わかったらもういいだろう。ダニーやアレクはどこだ？まさか殺したんじゃないよな、あんた悪魔なんだろ？」 男は信じたくないと言わんばかりに首を振る。 サラサラの長い髪が揺れて、そこだけ繊細な光があるようだった。 「私が貴方を間違えるはずがない！」 悲痛な叫びさえ、歌うようだった。