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第3話

これは夢だ。 トビアスはすぐに悟った。 あんなにも痛かった全身がふわふわと軽く、己の手足が透けて見える。まるで自分がそこに存在しないかのように。 辺りを見渡すと、一面に緑が生い茂っていた。何かの花だろうか。全て同じ形の葉をしていた。 そしてそこに現れた、美しい悪魔。 微笑みを浮かべて一面の植物に水を与えている。その水は掌から湧き出ているように見えた。 そして、自分の身体から一人の男の姿が抜け出した。自分の中から出て行った男は、美しい悪魔に近寄ると、その細っそりした背中をふわりと抱き締める。 悪魔らしからぬ、幸せに満ち足りたその表情を見せるのが自分ではないことが、心に靄を作った。 目が醒めると、やはり天使がこちらに手を伸ばしていた。 トビアスが最初に目を醒ましてから既に5日。 ダニーもアレクも村に帰れただろうか。自分はどういう扱いになっているのだろう、もしかしたら死んだことになっているかもしれない。 トビアスは天使が微笑む天井の部屋から一歩も出ていない。けれどこの数日間で、ある程度の事情は飲み込めた。 この館の主であるあの美しい悪魔はユリアンというらしい。 ユリアンはもう随分と長いことトーマスという男を待っているようだ。そして自分がそのトーマスによく似ていること。 トーマスは人間だということも。 ユリアンは毎日3回の食事をきっちり同じ時間に運んできた。それとは別に朝になると香り高い紅茶を、ティータイムには芳醇な香りのコーヒーとお菓子まで。 そして相変わらずトビアスをトーマスと呼んで、楽しそうに1人で喋りたいだけ喋り、1時間ほどで出て行く。 徐々に怪我も癒えてきたのか、ベッドに腰掛け自力で食事を摂ることは出来るようになった。 ユリアンは自分が人違いをしていることを余程信じたくないのか、トビアスの話を都合のいいところしか聞いてくれないのだった。 「トーマス!トーマス、見てください!」 事態が動くのに、更に1週間の時を要した。 満面の笑みを浮かべて飛び込んできたユリアンは、トビアスが寝ているベッドを通り過ぎ、初めてカーテンを開けて窓を開け放った。 久しぶりの新鮮な空気。 心地よい風。 降り注ぐ太陽の光。 それらを受けて揺れて光る、一面に広がる赤と白。一等多いのは、紫だ。それは見事な光景で、トビアスは息を呑んだ。 トビアスは花には明るくない。 庭一面を覆う花たちが全て同じ種であることだけはわかったが、その花が一体何の花なのかは分からなかった。 ただ壮観で、目が離せない。 「あなたが去ってから一度も咲かなかったんです…やっぱり私の魔の力が良くないのかと…諦めなくてよかった…」 ユリアンが流す涙はまるでダイヤモンドのように輝いている。その涙が白い頬を伝い一粒ぽたりと落ちた時。トビアスの脳裏に、細切れの古い映像が流れ込んできた。 そうこれは、記憶。 忘れてしまった、前世の記憶だ。 前世で、トビアスは確かにユリアンに出逢っていた。

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