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第3話「幼馴染:芳山 尚人」

 芳山尚人(よしやまなおと)の初恋の相手は、同級生の半井基(なからいもとき)という少年だった。  小学校に上がった頃、祖母が師範をする生け花教室に基の母親が生徒として訪れ、一緒に連れられて来たところを玄関先で擦れ違ったのが、基との最初の出会いだった。  基は人見知りなのか、特に口も利かず、母親の習い事が終わるまで、部屋の隅でいつも大人しく待っていた。  まるで精巧に造られた人形のように整った顔を、誰もが称賛し、その度に基は俯いていた。  尚人自身も初めて人を綺麗だと思い、最初に彼が男だと聞かされた時は心底疑った。そして胸のときめきの遣り場にも困り、誤魔化すという事を学習した。  何度目かの来訪の際、尚人は勇気を出して基を誘い出し、自室に連れて行くことに成功した。同い年という事もあり、最初は恥ずかしがっていた基も、直ぐに心を開いて、笑顔を見せるようになった。  それから二人は公私共に認める親友となったが、尚人の基に対する恋心が消える事はなかった。  尚人は基の父親が苦手だった。まだ若い容貌とは裏腹に、かなり厳格なオーラを湛えた彼は、尚人の姿を見る度に、冷ややかな視線を送ってきた。尚人は子供心ながらに嫌われていると感じ、基の家に遊びに行く時は、いつも基の父親がいない事を願った。  そんな事もあり、大抵、一緒に遊ぶ時は、尚人の家へ誘った。  小学校最後の夏休み、一人で外泊を禁じられていた基が、初めて尚人の部屋に泊まった時の事だった。  深夜、基は体に違和感を抱いて目を覚ました。何かが全身を嘗めるように這っている感覚に、彼は体を硬直させる。  目を開けると、薄闇の中、何か黒い異形のものが、彼の体を撫で回しているようだった。不快さを感じ、彼は隣で眠る親友を起こそうとしたが、声が出なかった。そのまま動けずにいると、黒い影が彼の胸を(まさぐ)り、同時に、まだ未精通の股間を揉みしだき始めた。 ――やめて!  強く心の中で叫び、やがて基は意識を手放した。  翌朝、基が目を覚ますと尚人の姿は既になく、純和風な広い部屋の中に一人だと気付くと、急に恐怖感が込み上げてきて、慌てて親友の姿を探した。  トイレ付近に行くと、脱いだ下着を手に持ってトイレから出て来る尚人に遭遇した。 「漏らしちゃったの?」 「違うよ。…夢精って分かる?」  基は首を傾げる。その様子を見て、尚人はほっとしたような顔を見せた。 「あのさ…、今日は俺、もう帰るよ。」  急な基の言葉に、尚人は驚いて引き留めに掛かる。 「どうして?…今日も泊まっていいんだよ。」  基は首を横に振り、目に涙を浮かべた。 「昨日の夜、幽霊見た。」 「幽霊!?…白い?」 「いや、黒い影みたいなもの。体が動けなくなった。」 「金縛り?」 「多分、そう。…尚人は大丈夫なの?」 「俺は生まれた時から此処に住んでるけど、そんな経験はないよ。夢だったんじゃない?」  基は閉口する。夢だと言われれば、そんな気がした。しかし基の恐怖心は解消されず、その日以来、彼が尚人の家に泊まることはなくなった。    中学二年になったくらいから、尚人は急激に身長が伸び、基との対格差が大きくなった。そのせいもあり、基への庇護欲は大きく増していった。 しかし、それを行使できない事件が立て続けに起こると、基の存在は少しずつ彼から遠ざかっていった。    中学三年の秋、基が車に轢かれそうになった事件が最初だった。基を轢き掛けた車から若い女性が降りて来て、基は彼女に誘惑され、そして呆気なく失恋してしまった。 その後、その女性が原因で、家族とぎくしゃくし出した基は、市外の高校を受験させられ、彼の父親の知人宅に下宿させられる事になった。  そこで最も悪しき事件が起こる。高校一年の初夏だった。基が下宿先の大学生の息子に強姦されてしまったのだった。  身の危険を感じた基から携帯電話に連絡があり、急いで駆け付けた尚人だったが、既に基は凌辱の限りを尽くされ、尚も激しく体を穿たれている最中だった。  その時の光景は忌むべきものであったが、何年経っても尚人の脳内で再生され続け、熱を煽られた彼を何度も吐精に追い込んだ。    自己嫌悪が膨れ上がった尚人は、基への接し方すら分からなくなってしまっていった。それを含め、事件後、母方の親戚の家に預けられ、また別の市の高校へ転校してしまった基を、尚人が手中に落とそうとする事はなかった。  高校から進路が分かれてしまった尚人と基だったが、電話やメールのやり取りは頻繁に行い、時折、お互いの学校の友達も含め、遊びに行くこともあった。  大学生になっても、それは変わらず続き、尚人は基への恋情を周囲に悟られないように再燃させていった。  大学二年の夏休み、基が大学を休学してアメリカの大学に長期留学する事を知らされた尚人は、急に焦燥感に襲われ、彼を居酒屋に呼び出した。快く応じてくれた基が、少し遅れて個室の扉を開けて入って来る。 「ご免、遅れて。…ちょっと迷った。」  二人きりで会うのが久し振りだった為か、尚人は、そこはかとなく緊張した。 「いや、来てくれて有難う。」 「何?その改まった感!」  基が苦笑しながら、メニューを手にした。 「基、酒、飲めるんだっけ?」 「飲めるよ。…尚人はまだ未成年だからダメだね。」 「あと二ヶ月後だし、見逃してくんない?」  適当に注文し、頼んだ物が全て運び込まれた後、尚人は基の留学の件について話を振った。 「もう決定事項なんだよな?留学って、いつ帰って来んの?」 「一年後。語学以外にも学びたい事あるし。」 「…大丈夫なのかよ?」 「何が?」  無垢な瞳を向けられ、尚人は言葉を詰まらせる。 「治安…とかさ。…男だって、その…、危なかったりするだろう?」 「あ…、ソッチの話?」  不意に基は吐き捨てるように言い、ハイボールを一気に煽った。機嫌を損ねてしまったかと思い、尚人は取り繕う言葉を探すが浮かばない。 「アメリカじゃさ、俺なんかよりも尚人みたいなタイプの方が襲われやすいんだよ。」 「は?何だよ、それ。…真面目に心配してやってるのに。」  基に笑顔が戻り、尚人は安堵した。 「本当なんだって。羽京さんもさ、尚人と同じくらい背ェ高くてガタイいいんだけどさ、留学中にゲイの人に襲われそうになったって言ってた。」 「未遂?」 「未遂。」 ――やられりゃ良かったのに。  尚人は内心毒づいてみる。基が従兄である羽京の話をする時、その表情は恍惚となっているように見える事があり、尚人にとって羽京の存在は不快でしかなかった。 「前も訊いたとは思うけど、羽京さんが基の初恋って事、本当にないんだよな?」 「前に否定させてもらった筈だけど?…羽京さんは俺のヒーローって感じ。小さい頃さ、羽京さんは何かヒーローに変身出来るんじゃないかって、真剣に疑ってたんだよね。」 「へぇ。まあ、実際に、あの事件から立ち直らせてくれたのは、あの人だしな…。」  基の動きが止まった。突如頭の中に流れ込んできた映像(ヴィジョン)に、全てを支配されたからだ。それは男に犯される自分の姿で、初めて客観視する光景だった。 「尚人、やめて…!」 「何を?」  苦し気な表情の基に、尚人は手を伸ばした。いつ振りなのか分からない基の肌の質感に、尚人は我を忘れそうになる。 「尚人、俺の…事件の後、カウンセリング受けたんだよね?」 「受けたよ。…でも、あんな事、そう簡単に忘れられるわけないだろう!」  基の腕を掴む尚人の手に、力が込められる。 「放せよ。…もう、俺、帰るから。」 「急に、どうしたんだよ?」 「おまえが…思い出させたからだよ!」  立ち上がろうとした基を、尚人は壁際に抑え付けた。そしてそのまま唇を奪おうとして、基から平手打ちを喰らった。そこから尚人は何かがブチ切れたようになり、基の頬を打ち返すと、腹を数発殴って大人しくさせた。隣の客がかなり盛り上がっている為、尚人の暴力は、歓声や拍手に掻き消されていく。  抵抗の弱まった基の唇を執拗に貪り、尚人は彼の口内を蹂躙した。その後、息を乱して基の耳元で囁く。 「もっと早く、こうすればよかった。」  基のジーンズのベルトを外し、ジッパーを下ろすと、尚人は下着の中に手を滑り込ませ、彼のものを弄った。 「基が…汚されてしまう前に、俺が…。」  そう囁いた後、尚人の股間に基の膝蹴りが命中した。激痛に悶えていると、基が尚人の顎を引き上げた。 「俺の事、汚れてるって思ってるんだな。…それなら、二度と触るな!」  基は衣服の乱れを直すと、尚人を残して帰って行った。残された尚人は床に拳を叩きつけ、自分自身を呪った。  そこで二人の関係は一旦壊れ、彼らは疎遠になってしまった。

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