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第5話「OL:木野 都香沙」
夏が終わり、バスケット部を引退した半井基 は、受験に備える為、ほぼ毎日塾へ通っていた。
学校から帰宅した後、夕食を摂ると、再び家を出た。同様の生活スタイルを送る、幼馴染で親友の芳山尚人 との待ち合わせ場所であるコンビニへ急ぐ。
人通りの少ない路地を抜けてから、近道の為に公園を横切って道路へ出る。そこで基は、冷たく真っ暗な海に落とされるような感覚を味わった。
――何、この感覚!?…気持ち悪い!
その時、一台の軽乗用車が、基目掛けて突進してきた。その車が接触するより先に、基は意識を失い、その場に崩れ落ちるように倒れた。車が直前で急ブレーキを掛けて停まる。そこへ尚人が走って来た。
「基!基!…おい、大丈夫か!?」
尚人が基を抱きかかえて呼びかけると、車の運転席の扉が開き、スーツ姿のスラリとした女性が降りて駆け寄って来た。
「大丈夫?…私、どうしよう。救急車、呼んだ方がいいわよね?」
「撥ねてないんでしょう?遠くから見てたけど、基が急に倒れたみたいだった。」
尚人の言葉に、女性は胸を撫でおろす。
「ええ。接触はしてないわ。…良かった、目撃してくれてて。」
尚人が軽く基の頬を叩くと、基は薄っすらと意識を取り戻した。
「尚人…?何で…ここに?」
「今日は祖父 ちゃんの車で、この辺まで来たから。それで丁度、基を見掛けて…。そしたら基が急に倒れたんだよ。」
基は倒れる直前の記憶を呼び覚ます。頭の中に浮かんだ映像が真っ暗だったので、単にブラックアウトが起こったのかと症状を疑った。
「その人は…?」
心配そうな顔で自分の顔を覗き込む女性に気付き、基は尚人に問う。
「車であなたを轢き掛けたの。…あ、勿論、接触はしていないのよ!急ブレーキが間に合ったから。」
尚人が答える前に、女性が必死な顔をして説明した。
基は尚人の手を借りて立ち上がった。
「大丈夫か?」
「うん。…塾行かなきゃ。」
「今日は休めよ。」
ふらつく基を支えながら尚人が言った。
「そうね、休んだ方がいいかも。…家まで送ろうか?」
女性に顔を覗き込まれ、基は顔を赤らめた。ショートボブの柔らかそうな髪に縁どられた顔は、あどけなさが残る美しい顔をしていた。
「ここから歩いて十分くらいのとこが、こいつん家なんで、俺が送りますよ。」
尚人が割って入り、女性の申し出を断った。しかし女性は引き下がらない。
「送らせて。…何となく責任感じてるし。」
女性が車の後部座席の扉を開いて促すと、尚人が折れて、基の体を労りながら後部座席に乗り込んだ。車が走り出すと、尚人が的確に道案内をした。
「この辺に住んでるんですか?」
尚人が問う。
「ええ。さっきの公園の割と近くよ。千十銀行に勤めてるの。私は木野都香沙 。」
問われた事以上に自己紹介した彼女は、ルームミラー越しに、ちらりと基に視線を走らせた。
「俺の父さんも同じ銀行に勤めています。」
基が言うと、彼女はほんの少し狼狽えてみせた。
「本当に!?…名前、訊いてもいい?」
「半井っていいます。」
「嘘!半井課長の息子さん!?…どうしよう!」
都香沙の反応に、尚人が運転を心配する。
「ちゃんと、集中して下さい。そこの角曲がったら、もう半井家ですから。」
家の門の前に車を寄せて停車させると、都香沙は吐息を洩らした。
「素敵なお宅ね。」
基の家は父親が結婚と同時に建てた、有名ハウスメーカーの家だった。
「有難うございました。」
二人が車を降りると、都香沙が窓を開けて彼らを呼び止める。
「あの、待って!…この事、お父さんには内緒にしてくれる?…別に悪い事したわけじゃないんだけどさ。」
「ああ、言わない方がいいのなら…。黙ってますよ。ね、尚人。」
中学生二人が一礼して家の中に入るのを見送ると、都香沙は冷たい微笑みを浮かべた。
――この住所、ナビには登録済みだったけどね。
基が都香沙と出会ってから三日が経過した放課後、基は忘れ物をしたという尚人を気にしながら、少しずつ校門へと歩を進めていった。
「先に行ってて、直ぐに追い掛けるから。」
そう尚人に言われ、ゆっくり歩いているのだが、尚人は一向に姿を見せない。仕方なく校門を出た所で、基は都香沙に呼び止められた。
予想していなかった人物の登場に、基は心臓を跳ね上がらせた。
「どうしたんですか?」
「…あれから大丈夫なのか、ずっと心配で。様子見に来ちゃった。」
初めて会った時のスーツ姿と違い、今日の都香沙はニットのアンサンブルに、フレアスカートを合わせた装いで、最初の印象よりも更に若く見えた。
「大丈夫ですよ。心配掛けてすみません。…あの、ずっと校門付近で待ってたんですか?」
都香沙は恥ずかし気に頷く。
「…そうなの。不審者って思われたかも。」
下校する生徒達はみんな都香沙を見ていく。
「あの、車で来てるんですか?」
「うん。…そこに路駐してる。」
基は校門から離れるように示唆して、都香沙の軽自動車へ向かった。
「木野さんは人目を惹くタイプだから。」
「…そんな事ないわよ。あ、名前、憶えててくれたんだ。」
都香沙が嬉しそうに微笑むと、基は赤面して俯いた。
「今日も塾?」
「はい。」
「…残念。ケーキでも奢ろうかと思ってたのに。」
「さぼってもいいですよ。」
基自身、自分の答えに驚いていた。
「本当に?」
都香沙は助手席に乗るように基を促した。ふと親友の事を過らせた基だったが、誘われるままに都香沙の車に乗った。
駐車場を併設する大きなカフェレストランへ、都香沙は基を連れて行く。
「背、思ったより高いね。…今、ヒールが高い靴履いてるから、私の方が大きいって思い込んでた。」
「ああ、それ、よく言われます。いつも隣にいる奴がデカいからかな。」
「…半井課長よりは小さいよね?」
「父ですか?…そうですね。五センチくらいの差だとは思いますけど。」
店内に入り、テーブルに着くと、都香沙はケーキのメニューに目を輝かせた。季節柄、マロンフェアをやっているようだった。
注文を済ませると、都香沙は基に質問を繰り出した。
「名前、基君だったよね?お友達が呼んでた…。」
「はい。」
基は自分が名乗ってなかった事を改めて認識した。
「今、三年生?」
「はい。」
「受験生なんだ。…ご免ね、塾、さぼらせて。…ってか十五歳?」
「はい。」
「課長が二十八歳の時の子供なんだね。私とは十歳違うんだ…。」
都香沙の年齢が分かったところで、基は然程、驚いた様子を見せなかった。その反応に都香沙は不満気な顔をした。もっと若く見られたかったらしい。
基が都香沙の年齢から、従兄の羽京を連想して思い浮かべていると、彼女が勘ぐるような視線を向けてきた。
「今、好きな子の事、考えてなかった?」
基は軽くむせる。
「考えてないですよ。…好きな子とかいないですし。」
「本当に?」
「本当です。」
「でも、モテるでしょ?」
「モテないです。全く…。」
「ふぅん。…綺麗過ぎるからかな?」
基は伏し目がちになる。
「そんな風に言われるの、好きじゃありません。」
「そうなんだ。じゃあ、もう、言わない。」
紅茶とケーキのセットが運ばれて来て、一旦話が途切れた。そこから他愛ない会話が進み、時間が経過すると、基は少し不安に駆られ始めた。
「帰りたい?」
「…母に連絡してなかったので。」
「ああ、ご免ね。じゃあ、帰ろうか。」
完全に日が暮れてしまった中、都香沙が運転する横で、基は母親への言い訳を考え始めた。そんな基へ都香沙は誘惑ともとれる言葉を投げ掛けて来た。
「…基君さえ良ければ、たまにこうして会わない?」
基は思考の全てを都香沙に奪われる。
「あの…、でも…。」
「ダメ?」
「いや、俺、中学生ですよ…。」
「そうだね。…何かイケナイ約束せがんでるみたい。…ただ会ってお話するだけだよ。ダメ?」
再度問われ、基は断れずに了承してしまった。
基の家の近くまで来ると、都香沙は基の家より少し離れた場所に車を停めた。
「基君、携帯電話持ってる?」
「いえ、まだ…。」
「じゃあ、これ!」
都香沙が携帯電話を差し出して来た。訝し気な顔をしていると、腕を掴まれて握らされる。
「自分の為に買った二台目の電話なんだけど、使ってないから基君に貸してあげる。」
「でも…。」
「連絡、その方が取りやすいでしょ?…この事は、誰にも言っちゃダメだよ。」
その日から都香沙がメールを頻繁に送ってくるようになった。一日に一回は彼女の写真が添付されており、時にはバストや太腿が強調された写真もあった。
基は戸惑いながらも、初めて性的な高まりを感じるようになっていった。罪悪感に駆られながらも、淫らな都香沙を想像しては手淫を繰り返す。
「基さ、あの女の人と会ってるだろう?」
肌寒さの増した秋の終わり、学校帰りに尚人が唐突に切り出した。
「あの女の人って?」
基は惚けてみせる。
「銀行員の…木野って人だよ。…大人の女の人と街を歩いてるの見たって奴が数人いる。」
基は溜息を吐き、隠すのを諦めた。
「会ってるよ。」
「まさか、つき合ってないよな?」
「…どうかな?」
「俺達、受験生なんだぞ!そんな女と会ってる場合じゃない筈だ!」
「成績は下がってない。」
基は立ち止まると、尚人の怒りの籠った瞳を真っ直ぐに見つめた。その瞬間、尚人は不意に泣きそうな顔になった。
「その人の事、好きなのか?」
「…多分、そう。」
「遊ばれて終わりだぞ!」
「…今は、先の事とか考えられない。」
「基!」
尚人が基の腕を強く掴んで引いた。
「放せよ。…今日も彼女と約束してるんだ。」
「行かせないっていったら?」
「行かせてよ。…そしたら、目が覚めるかも知れないだろう?」
基が至近距離で囁くと、尚人は体を硬直させ、彼を解放した。その顔は赤らんでいる。基は微笑むと、親友を残して歩き出した。
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