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第7話「父親:半井和彦」

 木野都香沙(きのつかさ)との一件の後、半井和彦(なからいかずひこ)は帰って来るなり息子を自室へ連れ込むと、彼を抱き締めた。  息子、(もとき)は身を竦ませた後、無言で抵抗するが、その腕から逃れられずにいた。 「基、あの女とセックスしたのか?」  耳元で囁かれ、基は首を横に振る。和彦は基を一旦解放すると、彼の顔を間近で見つめた。 「ちゃんと口に出して答えろ。」 「…してないよ。」 「じゃあ、何をされた?」  頑なに口を閉ざした基の体は、父から得体の知れない恐怖を感じ取り、震え出した。 「基、服を全部脱げ。」  基は愕然とする。 「どうして?嫌だよ!」 「嫌なら、何をされたか全部話すんだ。」  基が黙っていると、和彦の手が彼のトレーナーをたくし上げてきた。 「脱いだら、話さなくていいの?」 「いいだろう。」  観念したように基は、震える手で上を脱いでいく。それを手伝うように和彦も基のベルトを外し、ズボンと下着を下ろした。  靴下まで脱がせると、和彦は嘗めるように白皙の裸体に視線を送った。 「寒いか?」  震えが止まらない基は頷いて見せる。彼の家の空調は家全体に行き渡り、全部屋、一定の温度を保たれているが、彼は震えを寒さの所為にした。  そんな息子を和彦は再び抱き締め、背中を優しく撫でた。 「…父さんは、木野さんに何をしたの?」 「自分は答えないのに訊くのか?…まあ、いい。…あの女には二度とおまえに近付かないように言い聞かせてきた。」  そこから和彦の声には悲しみが入り混じる。 「基!…俺の所為なんだよ。…俺があの女の誘惑を撥ね付けたら、おまえが傷付けられてしまった。…まさか、こんな事が起きるなんて、思ってもみなかった!」  父の悲しみが基に沁み込んでくる。基から力は抜け、震えが治まってきた。  今、自分が裸で抱き締められていなければ、普通に父親の愛情を感じられた筈なのに、と基はこの状況を客観視する。 「あの女は地方の支店に飛ばすように仕向けるよ。…基だって、二度と会いたくないだろう?」 「うん。…会いたくないよ。」  和彦の頬が基の胸に擦り寄せられる。基は再び寒気を感じ、思わず彼の頭を押さえた。彼は動きを止め、そこで微笑んだようだった。 「これから、不定期的に体を見せてもらうからな。」 「…何の為に?」 「おまえの事が心配だからだよ。…俺に確認される事が分かっていたら、おまえは不用意に誰かと関係を持ったりしないだろう?」 「確認されなくても…絶対にしないよ。…だから、そういうの止めてよ。」 「駄目だ。…世の中には木野のようなサイコパスがいる。…そんな奴らに、おまえを傷付けられたくないんだよ。」  父の言葉で基は、都香沙と初めて出会った時に脳内に広がった暗い闇を思い出した。それは都香沙の悪意、若しくは殺意が伝わったのではないかと想像する。 「なあ、基。…そろそろ性的な関心が出て来る頃だろう?親の目の届かない所で、何をするか分からない。…だから、絶対に確認する。」 「裸見ただけで、分かるの?」 「…分かるよ。父親だから。」  基は折れた。自分は今後、性的な事はしないだろうと思い至ると、何故か不安から解放される気がした。  基の進路を最終的に決めなければならない頃、和彦は妻の美月の前に一冊のパンフレットを置いた。市外にある私立の男子校のものである事に気付いた美月は、腑に落ちないといった様子で夫の表情を見つめた。 「基はここへ通わせる。」 「…遠くないですか?バスと電車で片道二時間半くらい掛かりそう。」 「知人の家にね、下宿させるつもりだ。…そこは寮もあるらしいが、変に悪影響があってはいけないからな。」  夫の息子への執着を知る美月は、怪訝な顔をする。 「基と離れて暮らせるんですか?」 「少し、距離を取ってみようと思うんだ。…っと言っても、毎週末、迎えに行って、連れ帰るつもりだけどね。」  その夫の意見は推奨すべきだろうと、美月は深く納得する。今の夫の息子に対する愛情表現は、一線を越えかねないと懸念する時がある。しかし息子の気持ちを考えると、進路を勝手に決めてしまうのは可哀想な気がした。 「基は承諾しないかも。…尚人君と地元の公立に行く約束してるから。」  妻の言葉に、和彦は少し不快さを表した。 「尚人君ね!…俺はどうもあの子が好きになれないよ。あの子の基を見る目が…何か嫌な感じなんだ。美月はそう感じた事ないのか?」  美月は首を傾げる。 「小学一年の頃から知ってますけど、そんな事は一度も。…頼りがいのある男の子に成長して、いい子だなって印象しかありませんけど。」 「兎に角、ここを受けさせる。…年明け早々に推薦試験があるが、基の成績なら問題ないだろう。」  美月は反論する余地がない事は分かっているので、そのまま納得してみせた。しかし、心配な点がひとつあった。 「あの…、下宿先の知人って誰なんです?」 「俺の高校の時の先輩なんだ。室生(むろう)さんといって、今、脳神経外科医をやってる。」  美月は記憶を辿る。 「…確か、数年前にお葬式に行きましたよね。」 「ああ、八年程前になるかな。彼の弟さんがね…。事故死だったかな。」  そこで和彦はマイナスな話を払拭する。 「室生さんには朔也(さくや)君っていう、大学生の息子がいるんだが、とても立派な息子さんらしくてね。…基のいいお手本になってくれると思うんだ。」 「そう、なら…、会ってみたいですね。」 「ああ、一度みんなで挨拶に行こう。」  基の意志のないところで、事態は動き始めていた。

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