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第3話

旧保健室の前まで戻ってきて、ドアに手をかけたまま中々開けれなかった。 矢崎先生は来いよって言ったから来たんだし早く開ければいいんだろうけどどうしてか躊躇ってる。 鞄を握りしめ、迷った末にそっとドアに耳を近づけてみた。 ここを出て20分は経ってる。 矢崎先生まだいるのかな? 昼寝しに来たみたいに言ってたから寝てる場合もあるよね。 人の気配がするか、耳を澄ませてみる。 「―――」 ドアから離れてまじまじと部屋の様子は見えないのに見つめる。 人の気配というか話声がしてる。 矢崎先生以外にもいるのかな? そうだったら―――って緊張が緩んでドアを少し開けて中を覗き込んだ。 さっき矢崎先生とふたりきりで妙に緊張したから、他に誰かいるならいいかな。 そう思ったのと、入っていいのかな、って思ったのと。 本当ならノックすればいいのに、覗いてしまった。 電気が消えた室内。 薄暗い部屋の中から、喋り声が響いてくる、けど。 心臓が大きく跳ねて、ものすごい勢いで回転する。 ドキドキドキドキ、耳元で鳴ってるのかなってくらいうるさい。 だって、喋り声が。 矢崎先生ともうひとり誰か男の人の声。 笑い声と、掠れた声と、吐息。 衣擦れのような音。 揺れる視界の端にベッドが映った。 僕がきたときにはカーテンで閉め切られていた奥のベッド。 そのカーテンが開けられていた。 ベッドに、ふたり、いて。 え、え? 頭の中がパニックになる。 男のひとが男のひとに覆いかぶさっている。 片方は矢崎先生なのか暗いからわからないけど、でも、いまこの状況が見てはいけないものだってことは僕にだってわかる。 初恋もまだだけど知識は否応なく友達から入ってくるし。 それに男子校だと―――同性で……という噂も聞いたことはあった。 後退りして震える手で口を押さえる。 ドキドキ、ドキドキして心臓が口から出そう。 見ちゃいけない、ここにいちゃいけない。 静かにドアを閉めて立ち去らなきゃ。 息を潜めてそっとそっとドアを引こうとしてたのに。 「―――……高王子?」 矢崎先生の声が響いた。 大きな声じゃなかったけど僕の動きを止めるには充分だった。 ベッドが軋む音がして仰向けになっていた方の男の人がベッドから降りて僕の方へとやってくる。 それが矢崎先生でネクタイは外され肌蹴た胸元に乱れた髪にと、どこを見ていいのかわからない。 「チョコレート、うまかったか?」 からり、とドアが開かれ、ドアに手をかけたまま矢崎先生がうつむく僕を見下ろす。 「……は、はい」 足元しか見れない。顔を上げる勇気はでなくて早く逃げ出したい。 頭の中はパニックで落ちつこうとしても落ちつけなくて鞄を持つ手は震えてしまっていた。 「もう一個やるよ」 そんな僕の状態なんてまるで気に止めていないのか矢崎先生は「入れ」と僕の腕を引いた。 呆然としたまま僕は境界線を越え旧保健室へと足を踏み入れてしまった。 空気がやっぱり違う。 さっき来たときも思ったけど、廊下と室内とで大きくなにか別な空気を感じた。 奥のベッドに視線を向けることは怖くてできなくてうつむいたままでいるとドアが閉まる音と、鍵がかかる音が続いて響く。 思わず振り返ればドアを背にした矢崎先生が僕の真後ろに立っている。 「……こいつ?」 矢崎先生を見上げていた僕は新たな声の主に我に返った。 足音がもうひとつ近づいてくるのを見て目を見張る。 矢崎先生と同じようにネクタイは外され、少しだけ乱れた着衣。 短髪で男前と言っていい容貌をしているのは矢崎先生と同い年の数学の樋山先生だった。 「ああ」 「へぇ。高王子ね……」 自分の口が情けなく開きっぱなしになってるのはわかってるけどどうしようもできない。 え、樋山先生? 矢崎先生と樋山先生がベッドで―――。 頭の中がぐちゃぐちゃになってる僕の前に立った樋山先生は興味津々といった表情で見下ろしてくる。 矢崎先生も樋山先生も同じくらいの身長で、二人の間に挟まれると捕えられたような気分になった。 実際、身動きが取れない。 ほんの少し隙間はあるけど動けない空気が漂ってる。 「俺の直感が楽しめそうだって言ってる」 「悪い先生だな」 楽しそうに笑い声を立て僕を挟んで喋っている先生ふたり。 樋山先生もさっぱりとした性格で生徒たちから人気がある。 矢崎先生と同い年で大学も一緒だったって話は聞いたことがあった。 だから、仲がよくて……ベッドに一緒に……なんてそんな話……。 ただ昼寝をしていたとかじゃない。 僕を挟んで立つ先生たちからは、先生じゃない雰囲気が漂ってる。 見知らぬ大人の男のひと。 「なあ、美千」 不意に名前を呼ばれて驚いて樋山先生を見上げたら吐息が触れるほどに顔を近づけられ後退りしてしまった。 当然すぐに後の矢崎にぶつかってしまう。 「す、すみま、せん」 喉が干上がってしまったかのように声が張りついて掠れた。 ドンドンと心臓の音がうるさい、苦しい。 どうしよう、どうしよう。 わけわからないけど本能が警鐘を鳴らしてる。 僕は矢崎先生から離れようとうしたけど一歩二歩と樋山先生が近づいてきてまったく動けなくなるほどに挟まれてしまった。 「お前、さっき覗いてただろ? 見たか?」 後から声がかかるけどもう顔を上げれない。 視界に樋山先生の手が映って僕が持つ鞄が取られ、床に落とされた。 毎日ちゃんと教科書の持ち帰りをしている僕の鞄は重い音を響かせて倒れる。 その音にさえびくつきながら「見てません」と小さく首を振る。 見ました、なんて言えない。 へぇ?、とふたりが笑うのが肌越しに伝わってくる。 それほどまでに接近していた。 「じゃあ、見るか?」 「顔上げろよ、美千」 矢崎先生の言葉に『なにを』と思った瞬間に促すように樋山先生が言い、迷ったけど恐る恐る顔を上げると影が差した。 ―――これまでで一番の衝撃。 僕を挟んだふたりの先生が顔を寄せ合って、唇を触れ合わせた。 キス、してる。 呆然とする僕の目に生々しく触れ合う唇。 キスなんてしたことない僕の目の前でキスしてる先生。 唇が触れてるだけじゃない。 だって、いま舌が見えた。 先生たちは角度を変えて唇を合わせてる。 食むように触れ合ってるそこから水音が微かに聞こえる。 ディープキス。 単語でしかしらない。 初恋もまだでもちろん童貞で。正直自慰もあんまりしない僕にとって目の前でされるキスは刺激が強すぎる。 たまに矢崎先生から上擦った声が漏れ、樋山先生の吐息がこぼれ。 僕がいるということをわかってるのか。 僕の存在を空気とでも思ってるのか、先生たちはお互いの唇を貪りあってる。 舌が宙で絡んで、矢崎先生の咥内に吸いこまれてって。 僕の目はくぎ付けになってしまってた。

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