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第2話

 10日早くおとずれた発情期は、ちょうど1週間続いた。  通常、Ωは日常生活に支障をきたすため、発情抑制剤を服用する。  ユウチも服用しているが、効きづらいらしく効果はない。  3歳から服用を続けている為、耐性が出来ているのかもしれない。  発情期の間は、学校にも行かず部屋に閉じこもる。  三条の家は、家族は勿論、使用人のほとんどがαだ。  だから、誰とも顔を合わすことが出来ない。  Ωの発情に煽られて、間違いが起こるのを防ぐためには仕方がないことだった。  そんなユウチのために、シュウも一緒に付き合ってくれる。  発情期の間は、蕩けて正気を保つことが出来ず、日常生活もままならない。  そんなユウチのあらゆるお世話を、それこそ性欲の解消から食事の支度まで、献身的に尽くしてくれるのがシュウだった。  面倒なはずのあれこれを嫌な顔一つしないでこなしてくれる。  本当に感謝していた。  与えてもらうばかりで、ちっともお返しが出来ない自分が不甲斐ない。  肩を落とすユウチに、僕も楽しんでいるから気にすることはないよといつも笑顔で答えてくれる。  それが、却って申し訳なく感じるのだった。  そんな発情期だが、今回は様子が違った。  意識が朦朧とし、体の奥底が疼くのはいつもと同じだが、なぜか入学式の彼の顔が頭にちらつき、シュウの愛撫に気持ちが高まらない。  そればかりか、体の内部を暴かれると、鳥肌が立ち嫌悪感に体が震える。  彼の存在を消し去り、シュウのことだけを考えようと努力をしても難しい。  とうとう、発情期の1週間、2人は体をつなげることは出来なかった。  こんなことは初めて。  泣いて謝るユウチに、「たまには、そんなこともあるさ。気にしないで」とシュウは優しく抱きしめた。  一瞬見せた、シュウの傷ついた表情に、ユウチの胸は張り裂けそうになった。  こんな思いをさせたい訳じゃない。  ユウチは、ますます落ち込んだ。  発情期が終り、一週間ぶりに登校した教室に彼はいた。  窓際の一番後ろの席でピンと背筋を伸ばして座っていた。  他のものなど目に入らないと主張するように、わき目も触れず一心不乱に手の中の文庫を凝視している。  彼の周りだけ、空気が違った。  見えない透明の壁で覆われているようだった。  そうやって、自分に近づくものすべてを拒否してきたのだろう。  実際、彼に話しかけるものは誰もいない。  ユウチは、フラフラと吸い寄せられるように近づいた。  硬質な黒い髪。  切れ長の涼しい目元。  通った鼻筋。  やはり、あの日の彼とそっくり。  だが、彼のはずはない。  あの当時で、ちょうど今と同じくらいの年齢だった。  だとしたら、最低でも30を超えていないと計算が合わない。 「おはよう。あのさ、僕のこと知ってる?」 「はぁ? あんた、このクラス? ずっと休んでた? どうでもいいけど、あんたのことなんか知らないけど?」 「じゃあ、年の離れた兄弟は? 幼い頃に行方不明になった……」 「いない」  ユウチの言葉を遮るように、言葉を被せ、それっきり文庫に目を落とした。  話しかけるなという意思表示なのだろう。  彼の名前はミチルといった。  両親を幼い頃に亡くし、児童施設から通っているということだった。  裕福な特権階級の子女が通うこの学園で、異色の経歴。  ピンと背筋を伸ばし、周りに人を寄せ付けない態度は、まるで侍。  「高潔な一匹狼」  いつしか、そう呼ばれるようになっていた。  なぜ、そんなに頑なに拒むのだろう?  まるで、自分を罰しているように。  ユウチは、ミチルのことが気になって仕方がなかった。      □  ■  □ 「みっちゃん、おはよう」  ユウチは、毎朝、ミチルに話しかけた。  最初の頃は無反応を貫き通されたが、最近では、嫌々ながら反応を返してくれる日もある。 「…………」 「さては課題をやってくるのを忘れたでしょ?」 「…………」  ユウチの言葉に、ミチルの眉間の皺がさらに深くなる。  構わずに言葉を続ける。 「ダメだよ、ちゃんとやらなきゃ。絶対に、見せてあげないから」 「はぁ?」  とうとう、耐え切れないとばかりに、ガバリとミチルが文庫から顔を上げる。  その表情は憤りよりも、呆れに近い。 「ちゃんとやってるし」 「やっと、顔を上げてくれた」  ミチルが目をあわせてくれたのが嬉しくて、思わず満面の笑みを浮かべると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。 「どうしたの? なんで、そこで驚くの?」 「いや……なん、つーか、これだけ無視してるのに、懲りないと思って」 「だって、みっちゃんのことをもっと知りたいし」 「俺は、知られたくないっ」  口調はキツイが、不機嫌に顔を歪める表情が年相応の男子高校生そのまんまで、今度は声をあげて笑ってしまった。  ミチルは、ますます眉間の皺を深くして怒った顔をしていたが、実はそれほど怒っていないことはわかっていた。  本当は優しくて、気がいい人なのだ。  ミチルのいろんな表情を引き出したい。  もっと、彼を知りたい。  隙を見つけては話しかけるという事を繰り返すうちに、ユウチだけには笑顔を見せるようになった。  笑顔と言っても、唇の端を少し吊り上げるだけのわかりにくいものだったけれど。 「俺に話しかけていて、平気なの?」 「どうして?」 「あいつが番なんだろ? 他のαに話しかけて怒られないの?」 「この学園はαばかりだよ。そんなことを言っていたら誰とも話せなくなっちゃう。シュウは公正な人だから、そんなことでは怒らないよ。それにまだ、番になってないし」 「いつなる?」 「卒業したら」 「あいつが、おまえの運命の番?」 「わからない。でも、すごくお世話になっているし、生涯をかけて恩を返していけたらいいなとは思う」  番になったら、奥座敷という名の地下牢に入ることは決まっている。  そこで、シュウの子供を沢山産むのだ。  パーティなどの外交や、三条家の内部の取り仕切りは、新しく娶るシュウの妻がやることになっている。彼女はもちろんα。  彼女とは会ったことはないが、美人で気立てが良く、家柄もいい最高の女性らしい。  ユウチに求められているのは、αの子供を産むこと。  Ωからしかαの子供は産まれない。  だから、どんなに最高の奥さんでもΩではない彼女には産めない。  外出もシュウ以外の誰とも面会できず、ただ、子どもを産むだけの人生。  それでも、構わない。  シュウと三条家の為に自分が出来る精一杯のことだ。 「ユウチ、帰るぞ」  教室の入り口にシュウが佇んでいた。  ユウチは、ミチルに軽く手を振りながら慌てて走り寄る。  シュウの時間を少しでも無駄にしてはいけない。  シュウはユウチの腰を抱き寄せると、首にチュッと音を立ててキスをした。 「シュウ、こんなところで駄目だよ。みっちゃんに見えちゃう」 「見せてるんだよ」 「そんなのシュウらしくない……」  シュウは思いつめたように、ユウチの手を取った。 「ユウチ、卒業まで待たずに今すぐ、番になろう」 「どうして?」 「早く、僕たちの子供が欲しい」 「学校は?」 「通信にすればいい。今日中に奥座敷に移れ」 「え、今日中……せめて、明日は? クラスのみんなにお別れがしたいし。おじさんやおばさんに了承を得なくていいの?」 「今日中だ。勘違いしたら駄目だよ。相談じゃなくて、これは次期三条家当主の僕の命令。決定事項だよ」  シュウがこんな口調でユウチに命令することは一度もなかった。  グッと、胸元を握りしめる。 「……はい」  ユウチの胸に浮かんだのは、最近、ようやく見ることが出来たミチルの笑顔だった。  

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