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第4話
結局、番うこともセックスすることもなく、子供のように縋るシュウの体を抱きしめて眠った。
目覚めると、シュウの柔らかな眼差しがユウチを包んでいた。
寝顔をずっと眺めていたらしい。
「すごい、幸せ」
ユウチの前髪を掻き上げ、額に唇を落とす。
その言葉通りの幸せな笑顔に、なぜかユウチの胸は痛んだ。
「今夜、番おう? ちゃんとお祝いのご馳走を準備する。ユウチは何もしないで僕の帰りを待ってて」
シュウは鼻歌交じりに身支度を整えると、地上に消えた。
残されたユウチは何もする気が起きず、ただ一日、時計を眺めて過ごした。
シュウはその晩、戻らなかった。
次の日の朝も顔を見せず、深夜になってようやく地下に降りてきた。
昨日のご機嫌な様子とは違い、足取りも重く目が血走っている。
シュウは、ボスンと勢いよくソファに身を埋めると、頭を掻きむしった。
「番うのは延期になった。あの女が僕たちのことを聞きつけて、邪魔をしてきた」
「あの女?」
「嫁になる予定の女だよ。お前と番うのは、自分と結婚してからにしろって、正式ルートでクレームをつけてきた。自分が番(つがい)の後に嫁に入るのが許せないらしい。三条家としてその言い分を受け入れることが決定された」
「延期なら、地上に戻っていいの? 学校にいける?」
意図せず、弾むような口調になる。
失言に気付いたのは、凍り付くような冷えた眼差しを向けられたからだ。
「へえ? ユウチは延期になって嬉しいんだ? 僕は、こんなに残念で仕方がないのに」
「別に、嬉しい訳じゃ……」
「いいよ。どうせ、ユウチは僕と番いたくないんだろ?」
「そんなことない。番になるって、この三条家に引き取ってもらったときから決めていたし、自分の人生をシュウに捧げるつもりだよ。さっきのは、ただ学校に行きたかっただけで」
「学校? ユウチ、そんなに勉強が好きだったっけ?」
「いや、あの、学校というより、ちゃんとみんなとお別れがしたかっただけで……」
「みんなじゃないだろ? 会いたいのは、あいつだろ?」
言葉に詰まった。図星だったから。
「相手が、あいつなら良かった?」
「違う。シュウ以外は考えられないよ。ましてや、みっちゃんとなんて、考えたこともない」
「あいつのこと、好きなんだろ?」
「だから、違うって。似ていたから……火事の時に助けてくれた、あの人とそっくりだったから、気になって」
最初は、そうだった。
あの人と似ていたから気になった。知らず知らずのうちに目が追っていた。
だけど、今は……。
「わかった。上にも、学園にも戻っていい」
「………」
「その代わり、あいつと一言も話すな。裏切りは許さない」
「……わかった。約束する」
執拗にミチルにこだわるシュウの態度に不可解なものを感じながらも、ユウチにはどうすることもできない。
ただ、ただ、悲しかった。
涙に滲む目元を隠すように、ユウチはうつむいた。
□ ■ □
「風邪?」
教室に入ると、ミチルが話しかけてきた。
素っ気ない態度を装っているが、心配してくれていたのがわかる。
彼から話しかけてくれたのは初めて。
本来なら、満面の笑みで返すところだが、嬉しい気持ちを必死に押し殺す。
ユウチは、無表情に頷き、回れ右をした。
視界の端で、彼が眉を潜めたのが見えた。
その後も、彼が近づくたびに席を立つ。
会いたくて仕方がなかった。
ずっと、彼のことを考えていた。
学校に行くことが出来て、折角会えたというのに、逆に彼を避けている。
ミチルと話さないと約束をした。
約束は守らなくてはいけない。
シュウを裏切ることはできない。
何度も、物言いたげなミチルの視線とぶつかる。
苦しい。
水中でもないのに、息が出来ない。
今までだって、そんなに会話していた訳じゃない。
だから、簡単だと思っていた。
それが、こんなに苦しいとは想像していなかった。
耐え切れなくなり、教室の外に出る。
人気のいないベンチで休んでいると、カサリと葉を踏む音がした。
振り向くとミチルが立っている。
「逃げるな」
少し掠れたハスキーボイス。
威圧的ではないのに、逆らえない。
俯いたままのユウチの隣に座る。
「何があった?」
「………」
「あいつに俺のことで何か言われたのか?」
「………」
「欠席の理由は、それ?」
「………」
答えようがない。
「わかった。困らせたい訳じゃない。もう、話しかけない。最後に一つだけ言わせてくれ……」
顔を上げて、彼を正面から見つめる。
何を言うのだろう。
非難の言葉だろうか?
息を潜めて言葉を待つ。
「ありがとう。お前に救われた。ずっとお礼を言いたかった」
「………」
「これで、お別れだな。ほら、最後の挨拶は?」
まさか、お礼を言われるとは思わなかった。
瞠目しているユウチに、握手の形で右手を差し出す。
口の端をわずかに上げた、いつもの笑顔。大好きな笑顔だ。
ユウチも、それに応えるように、おずおずと右手を出した。
本当に、これでお別れ。
これからは、同じ教室にいても、言葉も…視線さえも交わすことはないだろう。
指先が触れ合った瞬間、全身を電流が衝き抜ける様な衝撃が走る。
ミチルも感じたのだろう。目を見張っている。
「お前は、俺の………いや、何でもない。……じゃあ、先に教室に戻る」
ミチルは、軽く手を挙げると校舎に戻った。真っ直ぐ背筋をのばして歩く。前を向いたまま。後ろは振り返らない。
ユウチは、指先を凝視した。
涙が次から次と溢れ出る。
あの衝撃は、「運命の番」の証だ。
やっと腑に落ちた。
気になって、仕方がなかった理由。
顔を見るだけで、胸がドキドキした理由。
気付きたくなかった。
知らないままで過ごしたかった。
だって、知ったところで、引き返せない。
自分は、シュウの番になるのだ。
それ以外の道はない。
最後の挨拶ができた。
これで十分。
「……ありがとう……ありがとう……」
とめどなく流れる涙をそのままに、何度もミチルのくれた言葉を繰り返した。
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