4 / 6
第4話
気怠い体を引きずるように出社した俺を待っていたのは、もっと辛い現実だった。
フロアに入ると、こそこそと顔を突き合わせて話し込んでいる同僚の姿を見かけ、俺は何気なく後ろを通り過ぎながら「おはようございます」と小声で挨拶をした。
「ちょっと、浦沢っ」
びくっとして振り返ると、隣の席の吉村が真剣な顔で手招きをしている。
まさか、先日の原田課長との事がバレたのかと緊張したまま近づいていくと、いきなり肩をがっしりと引き寄せられた。
「な、何するんだよっ」
「おい!知ってるか?あの魔王様に恋人が出来たって」
「え……?」
「今朝、秘書課の女の子と同伴出勤したらしいぞ。昨日と同じスーツ着てたって噂」
「魔王って……天城専務?」
「他に誰がいるよ?あの唯我独尊の独身貴族もついに落ち着くかって感じ。イケメンではあるけど、感情出さない男のどこがいいのかな……。やっぱり女はみんな、イケメンと名が付けば何でもいいのか……」
忌々しそうに顔を歪ます吉村の横顔をマジマジと見つめる。
他人を寄せ付けないオーラを放つ彼が、自ら女性にアプローチを掛けている構図が浮かばない。
どんな言葉で、どんな声で……彼女を口説いた?
昨日と同じスーツということは、一夜を共にしたってことだよなぁ……。
俺に切なげな顔を見せた時はもう、秘書課の女性を抱いた後だったってこと?
もう……ビッチな俺はお払い箱ってことになるのか。
俺しか入ることを許さない寝室に足を踏み入れることは出来ないのか。
「眞欧……」
「ん?どうしたんだ?」
「あ、いや……。そうか、彼女がいたのか」
「大勢の女の誘いをすべて断ってきた彼を堕とした奴って、一体誰だよ……。うわぁ、気になるよなぁ」
確かに気になる。
俺の体を「好きだ」と言ってくれた彼が選んだ女性。
彼女の方が俺よりもレベルが上だったってことなんだろう。
「あの人のセックスとか、マジ激しそうだよな……。口数は少ないけど精力有り余ってる感じがする」
一回の射精で腿を伝い落ちるほどの量を吐き出す彼のペニスは、凶暴で抑えがきかない。
それを受け止められるのは俺だけのはずだった……。
腹の奥の方がキュン……と収縮するのを感じて、俺は下腹を押さえ込んだ。
夢の中の彼は俺が気を失うまで激しく突き上げて、何度もマーキングした。
形を覚えてしまった俺の中が、急激に襲った虚無感により求め始める。
ないものねだり――もう、彼を受け止めることは出来ない。
「――おい。今日のお前、なんだか変だぞ?どうかしたのか?」
「別に……。いつもと同じだけど」
「もしかして……。お前も魔王信者だったとか?魔王ロスに悶え苦しむ女子社員と一緒か?」
「まさか……。ゲイじゃあるまいし」
そう――俺はゲイだ。
吉村の言う通り、すでに魔王ロスに陥っている一人だ。
夢と現実の境目が曖昧になる。
軽く眩暈を覚えて、俺は吉村の元から離れると自分のデスクに向かった。
椅子を軋ませて腰掛けると、目の奥がジンジンと痛む。
目頭を指先でギュッと摘まんだまま俯く。
(気持ちが悪い……。吐きそうだ)
寝不足と悩み過ぎで、混乱をきたしている脳の血管がパンパンに膨れ上がっているように感じる。
今はもう何も考えずに仕事に没頭したほうが良さそうだ。
眠っても彼に会える気がしない。
それならばいっそ、眠くならないように鞭打って動くしかない。
社内にいれば眞欧と顔を合わせる確率が上がる。あの顔を見てしまったら、俺の涙腺は多分……崩壊する。
「――おい、吉村」
「んあ?」
「これから外回り出て来るから、ミーティングで伝達頼む」
「はやっ!ミーティング終わってからでもいいんじゃないのか?」
「ちょっと寄っていきたい取引先あるし、俺……もう出るわ」
バッグの中に必要な資料を突っ込んで、早々に席を立つ。
出勤してきた者が、入れ違いに出て行く俺を訝し気に見送る。
今の俺、どんな顔してる?
起き抜けにオナニーしちゃうくらいの淫乱男?それとも失恋を受け入れられずに意地を張っている憐れな男か……。
でも、眞欧はリアルの恋人じゃない。
俺の恋人は忍だけだ。何を落ち込む必要があるのだろう。
今日は仕事にならないだろう。日中は外で時間を潰して、誰もいなくなったフロアで静かに仕事に集中したほうがいいのかもしれない。
(とりあえず駅に向かうか……)
会社を出て、緩い坂を下りたところに地下鉄の駅がある。
俺は重い足取りを意識しないように、軽く息を弾ませる速さで歩き始めた。
* * * * *
終業時間少し前に会社に戻った俺のデスクには、またもやたくさんの伝言メモが貼られていた。
それに目を通しながら、就業のチャイムと共に「お疲れ様でした」と背後を通り過ぎる同僚の気配を感じて、電話の受話器を肩に挟んだ。
数件の取引先に電話し終え、急ぎの用事だけを優先的に片付けた俺は、パソコンのモニターを見ながら新規開拓企業のリストを眺めていた。
部長はとりあえず打診しろとは言うが、N社のことを未だに引きずっている今、どうしても踏み切れないでいる。
今度、また同じことが起きれば、報告書だけでは済まないだろう。
僻地の営業所に飛ばされるぐらいならまだいいが、社へのダメージが大きければクビが飛ぶ可能性もある。
今回は特別な咎めもなく片付けたが、眞欧の逆鱗に触れれば、もう後はない。
営業部にとって彼は脅威である。彼の機嫌次第で人生が左右される。
「――そう言えば」
俺にセクハラした課長の原田は、まだ上層部に気付かれていないようだ。
今日も帰社した俺を舐めるように見てから、ニヤリと笑って見せた。
完全無視を決め込んでいたが、彼の方もいつ上司に告げ口されるかと気が気ではないはずだ。
数多くの被害者がいるにもかかわらず、それをあえて俺が訴えるなんて、また面倒な事になるのは目に見えている。
社長をはじめとした役員たちに睨まれながらの事情聴取はもうこりごりだ。
人差し指でカリカリとマウスをスクロールしながらため息をついた時、スマートフォンがSNSメッセージの受信を知らせる。
片手間程度の気軽さで画面をタップすると、忍からのメッセージが表示される。
そこには写真が添付されていた。
忍と見知らぬ男が頬を寄せ合って笑っている写真……。
『恋人出来ました!さよなら~っ』
画面を凝視したまま俺は動けなくなった。
短いメッセージを何度も読み返す。
どう見ても別れを告げる内容にしか解釈出来ない。
マウスを握る手に嫌な汗が滲む。
一番恐れていた、嫌な予感が的中した瞬間だった。
あの夜、俺と別れてから時間を気にしながら向かった先は、きっとこの男の元だろう。
顔は可愛い系、俺よりも年下……だろうか。
従順で実に素直そうなネコ。忍のタイプは本当はこういう男だったのだろう。
俺みたいな面倒くさい男と嫌な顔一つせずに付き合ってくれていたことを感謝すべきだろうか――いや、直接会って話すとか、せめて電話で伝えるとか、SNSで何の前触れもなく一方的に別れを突き付けて来るなんて、どこまで酷い男だ。
今ドキと言えばそれまでだが、彼にとってこんなにあっさりと終えられる関係だったということは、俺に囁いた数々の愛の言葉が全部嘘だったとしか思えない。
これから同じように愛を囁かれても、それを信じられる自信がない。
うわべだけの薄っぺらい言葉に心はない。
ただ、性の捌け口としてだけの関係を続けていただけ。
「俺って――どこまで単純でバカなんだろう」
この人しかいないと思い込んで、彼の心変わりにも気づかなくて。
いや……待てよ。もしかしたら、俺は二股をかけられていたのかもしれない。
詐欺師レベルの騙しのテクニックにまんまと引っ掛かって踊らされ、裏ではこの写真の男と笑い者にされていたかもしれない。
いつかと同じように目の奥が痛い。
しかし、思ったよりも落ち着いている自分がいる。本当なら、もっと取り乱してもいいと思うのだが……。
なぜだろう……ストンと腑に落ちたような感覚に、むしろ安心感さえ覚える。
(もしかしたら、俺は忍の事を……?)
好きだ、愛している……と言っていたのは自分に暗示をかけるため?
俺の心は、最初からあの人のところにあったのかもしれない。
それも報われない恋だ。
「一日で二度も失恋するとか……あり得ないよなぁ」
普段から自分の行いが悪く、バチが当たったとは考えにくい。
それなのに、こんな酷い仕打ちがあっていいものだろうか……。
ここ数日、悪い事しか起きていない。これだけ身も心も痛めて来たのだから、訪れる幸せは想像を絶するレベルでなければ納得がいかない。
今夜、彼は夢の中でこんな俺を慰めてくれるだろうか?もしかしたら、もう二度と彼には会えないのかもしれない。
そう思うと急に胸が締め付けられるように苦しくなった。忍に振られたというショックよりも、夢の中で眞欧に会えない辛さの方が勝ったのだ。
「バカバカしい……。俺もかなりイカれてるな」
自嘲気味に吐き捨てて、俺は目の前に積まれた書類に手を伸ばした。
ショックなことが重なった時の方が仕事が捗るというのは、全く違うことに没頭して余計なことを考えなくて済むからなのかもしれない。
ふと壁に掛けられた時計を見上げると十時を回っていた。
そう言えばフロアに数回、警備会社の巡回があった事を思い出す。
集中力が切れた瞬間に訪れる睡魔。
マンションに帰っても、一人になるといろいろ考える癖が発動しきっと眠れないだろう。
パソコンのモニターの光が眩しくて、俺はギュッと目を閉じた。
一瞬のつもりで開こうとした瞼は、予想以上に重く、自力では持ち上げることが出来なくなっていた。
薄闇から深い闇へ……。
体は何かに飲み込まれるように沈んでいった。
* * * * *
「あぁ……ぁ……ぁあ……いいっ」
俺の腹の中を長大な楔が抉っている。
最奥の粘膜の壁に硬い先端があたり、そのたびに甘い痺れが脳天まで突き抜ける。
腰をグラインドするたびにイイ場所に当たり、俺は顎を上向かせて喘いでいた。
「――気持ちいいか?」
「う……んんっ。眞欧の……チ……コ、気持ち……いいっ」
広いベッドの上に仰向けになった眞欧の上に乗り、一心不乱に腰を振っているビッチな俺。
彼と繋がっている瞬間だけが、自身の全てを開放出来る。
俺の腰を掴んだ力強い手が、リズムに合わせて上下する。
そのたびに体の奥に穿たれた楔がギリギリまで引き抜かれては、最奥まで一気に突き込まれる。
「ひゃぁぁ……っ!ダメ……ッ!」
「何がダメなんだ?――今日は一段と色っぽいな。可愛いよ、瑛太」
「う……うるひゃ……い!この……浮気……も、のっ」
「――それはお前だろう?」
断続的に襲い掛かる快感に、彼のモノを食い締めながら身を震わせる。
もう、何度イッたか分からない。眞欧の綺麗に割れた腹筋には俺が吐き出した白濁が飛び散り、それさえも出なくなったあとはドライでイキ続けていた。
硬く締まった腹に両手をついて、俺は荒い息を繰り返しながら身を屈めて彼を上目遣いで睨んだ。
「はぁ……はぁ……っ。俺は浮気なんて、してないっ」
「ほう……。じゃあ、忍という男は?」
なぜ彼が忍の事を知っているのか。たとえ俺が口を噤んでいたとしても、この世界を統べる魔王である彼にかかれば隠していても手に取るようにバレてしまう。
それが互いに愛し合っている者であれば尚更だ。
俺はわずかに尻を浮かせて前のめりになると、彼の首に両手をかけた。
じわりと力を込めていく。覇者である彼の首を絞めたとなれば、即座に首を刎ねられてもおかしくない。
それが奴隷街出身の身寄りのないビッチなら尚更だ。
だが、彼は全く動じることなく、深紅の瞳で俺を真っ直ぐに見つめていた。
「――裏切者」
「私がか?」
「他に誰がいるんだよっ。俺の事、愛してるって言ってたクセに、他の女に手ぇ出すとか……。所詮、あなたも忍と同じだ。薄っぺらい愛の言葉を囁いておけば喜んで足を開くと思ってるんだろ?」
「考えたこともないな」
「嘘つけ!お前が従者の女と寝たこと知ってるんだからな!この宮殿でも噂になってる……。恋人だって公表された俺を見る哀れみの視線が痛かった……。お前も……俺を捨てるのか?俺は……お前のこと、あ……愛してるのにっ」
眞欧はすっと目を細めると、大きな両手で俺の手首を掴んだ。自身の首から引き離すと、その指を舌先で丁寧に舐めた。
「私が女と寝たという証拠は?」
「そっ……そんなの決まってる!俺をここに置き去りにして会いに行ってたんだろ?それに……スーツだって」
「お前がその目で見たわけではあるまい?」
「うぅ……っ」
言葉に詰まり、唇を噛みしめる。
俺が耳にしたのは噂だけで、その現場を見たわけではない。
「――お前こそ、薄っぺらい言葉で私を翻弄しているではないか?」
「はぁ?俺がいつそんなことをした?」
「愛していると言いながら他の男を恋人と呼ぶ。毎夜のようにお前を悦ばせているというのに、それでは満足できずに忍に抱かれていたのだろう?お前こそが私を裏切っているのではないのか?魔王である私を侮辱するというのであれば、ただでは済まさないぞ」
「ぶ、侮辱なんて!俺はただ……」
その先の言葉が出て来ない。眞欧の言う通り、最愛の恋人である彼がいながら他の男に抱かれていたのは誤魔化しようのない事実だ。しかし、誰に抱かれていてもその心の中は空っぽで、虚無感と後悔しか残らなかった。
眞欧に抱かれ、甘やかされている時は満たされ、つい意地悪なことを口にしてしまう。
嫉妬して欲しい。もっと追いかけて欲しい。この寝室に鎖で繋いで、誰の目にも触れないように俺だけを愛して欲しい。
愛するが故の独占欲の裏返し……。俺はどれだけ天の邪鬼なのだろう。
彼を前にすると素直に言えない。でも、その代わりこの体は開かれる。
本当の自分はこんなに尻軽な男なんかじゃない。何をするにも用心深くて、小心者で……いつも誰かに依存していたいと思う。
でも、それを口に出してしまったら自身の弱さを見せつけているようでフェアじゃない。
同情や哀れみで愛して欲しいわけじゃない。
心から繋がりたい……そう願う自分がいる。
「――瑛太」
俺の指を舐めながら優しい声音で囁く眞欧を見下ろす。
そこには俺にしか見せない穏やかな表情の魔王がいた。
「そろそろ素直になったらどうだ?強がって、自分の気持ちを偽ることにも疲れただろう?」
「眞欧……」
「あの忍という男……お前の他に三人の男と付き合っていた。お前に送りつけた写真の男はハッテン場でナンパして付き合い始めた」
「え……?忍が……そんなっ」
「あんな男に振り回され、自分を責めるばかりの生活から解放されたんだ。これを聞いて少しは楽になっただろう?」
俺でも知り得なかった忍の情報を持っているあたり、さすが魔王だと感心する。
薄々ではあったが、そんな気もしていた。
忍は確かにモテていたし、友達も多かった。
その友達のほとんどがセフレだと言っても、俺は納得していたに違いない。
付き合い始めて半年。早く気付いたことで軽傷で済んだと思った方がいいのかもしれない。
ふっと心の中にわだかまっていたものが消えたような気がして、俺はゆっくりと顔を近づけて眞欧にキスをした。
「――そうだね。俺は愛しているフリをしていたのかもしれない。自分が傷つくのが怖くて……。お前がいるのに……ね」
そっと唇を重ねると、ひんやりとした感触に睫毛を震わせる。
いつかのように彼の体が透けていることもないし、唇の感触もリアルに感じられる。
もう、二人の間を阻むものはない――そう思った。
「眞欧……。お前の噂は?」
「後にも先にもお前しか見ていない。そもそも、女には興味はない」
「俺と会う前は何人も侍らしていたって聞いたけど?」
「性処理の道具にすぎん。誰が噂を広めたのか……大体の見当はついている。そいつを処罰すれば噂は自然と消滅する」
「犯人、分かってるのかっ?」
「私を誰だと思っている?――まったく、妻になるという男が何を言うかな」
「妻って……!俺は男だぞっ」
「男でも私と婚姻をかわせば妻だ。この宮殿に住み、私と共に生きる……永遠にな」
眞欧は俺の頬に手を添えて、何度も唇を啄んだ。
愛おし気に見つめる瞳に吸い込まれそうになって、俺は彼の舌先をやんわりと噛んだ。
「――もう、囚われるものはない。すべてを解き放って、私の元に来い……瑛太」
瞬間、繋がっていた場所が激しく擦りあげられ、俺は全身を震わせた。
体を起こすと、より深く楔が食い込んでいく。
「んは……っ」
眞欧は指先で俺の胸の突起を摘み上げながら微笑んでいる。
ジンジンと痺れるような痛みは全身に広がっていく。
「あ、あぁ……そこ、やらぁ……っ」
「愛らしい飾りだ。私のモノである証に極上のピアスを作ってやる。お前が身を震わすたびに乳首で揺れる……」
「いやぁ……眞欧……っ」
「もうふらつかせないぞ。雁字搦めに束縛してやる……。私だけの愛しいビッチ」
腰の突き上げが激しくなり、受け入れている蕾は目一杯に広げられ、いつ壊れてもおかしくないくらいに熟れている。
急激に内部を擦られ、燻っていた体内の熱が前触れなく発火しているようだ。
腰の奥から湧きがる快感が、もう出るはずのない物を中から押し上げていく。
「あ、あぁ……イク……イッちゃう。出ちゃう……からぁっ」
「まだ出るのか?今夜はすべてを絞り出してやる」
「や……あぁぁ……変に……ぃ……なるぅ!眞欧……あぁ……ぁ……っひあぁぁぁぁ!」
背中を思い切り反らせて、隘路を駆け上がってきた熱を放出させる。
激しく飛び散った白濁が眞欧の腹を汚していく。
腰と内腿を痙攣させたまま、俺は長い間射精していた。
頭の中で弾け飛んだ火花がまだ治まらない。視界がだんだんと狭くなり、意識が朦朧としてくる。
「眞欧……愛して、るっ」
震える唇でそう告げると、俺はそのまま暗闇の中に身を委ねていった。
ともだちにシェアしよう!