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第2話
和尚が紅葉と清涼を連れて向かったのは寺の庫裏だった。庫裏とは寺に住み込む者の住居の事で、浄土真宗以外の坊さんのおうちだ。システムキッチンに水洗トイレとシャワー付きの平家は、和尚の年齢を考えてバリヤフリーに改築してある。建物自体が少々古いと言うところを除けばよそ様のお宅と何ら変わらない。
その庫裏の座敷にどっこいしょと座った和尚は、清涼に向かって深く頭を下げた。それこそハゲた額が畳にこすれる程に。
「離れてくれやしませんか。こいつはまだ修行中の身、自分以外を背負うなど荷が重い」
和尚の頭頂部から後頭部までを電気の光がきらめく。
「紅葉が憑いて来いと申した。酒に肴に、何でも供えるとな」
襖を背に正座した紅葉は、清涼が化け狐で有るわけが無いと思いながら二人を見ていた。土下座の和尚を前にひ孫程年下の清涼が偉そうに踏ん反る様子が、化け狐に成りきった青年と老いた僧侶のゴッコ遊びのようで痛い。
「老体なので失礼して」
和尚が頭を上げて座卓の前にあぐらをかく。合わせて清涼も足を崩して、斜めにした身体のラインが色っぽい。細い指先で袴の裾をさらりと払って整えているその仕草。
紅葉は清涼が気になって仕方無い。いつもなら和尚にバレるヘマはしないし、バレたらバレたで諦めるのに、あの指を掴んで絡ませて太ももから尻を撫で回したい。どんな風に喘ぐのか、あれとやれたら最高だろうなとどうしても思わずにいられない。出会ったばかりなのにこんなに欲に駆られるのは初めてだ。まるで本当に憑かれているみたいに。
「して、我を封じ込めしは蘆屋。我は妖狐葛の葉の息子にして時の陰陽師、安倍晴明の弟」
紅葉に取り憑いたのを離れてくれとお願いしている和尚を無視して、清涼が話し始めた。
「安倍晴明の弟ですか。確かに清明の母は妖狐と言われていて、京都の清明神社には稲荷も有りますがねえ」
そんな迷信と和尚の目がバカにしている。
「信じぬか」
ちろりと流し見た清涼の視線のがまるで誘惑する魔性の女のようで、あの目に見られたらアウトだなと、紅葉は明るい所で見る清涼から目が離せない。
すると紅葉のそんな有様に和尚のハゲ頭にピキピキ血管が浮いて行く。
「ふんっ、もう千年以上も昔の事。少しばかり頭の回る妖怪なら退治される事を恐れて嘘も吐く」
「坊主心ばへが神の使いを恐れずと言ふや」
今度はキリッと目を釣り上げた清涼が和尚を睨んだ。柔らかそうな頬が引き締まって怒った顔も凛々しくて美しい。
「あいにくと宗派が違いますもんで。うちの紅葉はすでに真言宗で出家済みです。稲荷は神道、陰陽道も現在は神道の一つという位地にあるので、神社さんに行って下さい。さ、帰った帰った」
言うが早いか和尚は白い肌着の袖から手首の数珠を取り出して清涼に向けて掲げ持ち、まるで動物を追い払うみたいにしっしっと振り始めた。しっしっ、しっしっ。和尚の手首でじゃらじゃら数珠が音を立て、そこにお経を唱える和尚の低い声が重なる。
「うぬれ和尚!我を低俗な者と同じに扱うかっ!」
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄……」
そのうちに清涼の綺麗な顔が歪んで、見ている紅葉は可哀想でたまらなくなって来る。
しっしっしっしっ、追い払われると清涼は泣きそうな表情をするから、見ている方がハラハラ胸が痛くなって来る。あんな可愛い子を泣かす和尚は鬼だ。
「やめて下さい和尚!清涼は何もして無いのに」
「愚か者が!それが取り憑かれた証、同情してどうする!」
だって本当に何もしていない。
たまたま出会って酒飲み友達にと誘っただけだ。その後の事を期待してたけど、まだキスもしてない。
「清涼、来いっ」
「紅葉、紅葉、助けてたまへ」
こちらに向けて伸ばされた細い手を取って思いきり引き寄せると、膝元に転がり込んで来た身体が細くて折れてしまいそう。そんなか弱さが何故か紅葉の中で和尚への怒りに変わる。
「いくら和尚でもこんな……」
和尚はため息をつきながらお祓いをやめてしまった。
「それがこいつらの手段。お前も知っているだろう」
「そんな事言ったって失礼でしょうが」
「お前がそれじゃ……あぁ、馬鹿な弟子を持ってしまったよ」
親代わりでもある師匠が肩を落とした落胆ぶりを見てしまえば紅葉も気まずい。けれど、そんな事を言われても……。
「基本的に間違ってるのは、幽霊だの妖怪だのいないって事です」
和尚と清涼は揃って不思議そうな顔で紅葉を見つめた。
「……我は妖狐なるが?」
「馬鹿者が。坊主が魂を否定してどうする。お前はこれまで何を学んで来たのだ」
「宗教と言う名の哲学。だって幽霊とか見た事無いし」
目に見える物以外は信じない。
「今、見たるが?」
目に見える物以外は………。
手を伸ばして清涼の頬を引っ張ってみる。
「痛い」
触った感触が確かにある。肉だ。人の皮膚と体温。確かにここに居て触れるのでこいつは人間。
「アホな子なんで放っといて下さい」
和尚に言われた清涼が残念そうに目をそらした。
「和尚、余計な世話に慎まるるが、もう幾分坊主らしくしてやれなんなり。そを違わるば話が進まん……して、我の要求だが」
「勝手に憑いた上に要求とは、昔から狐は本当に図々しい」
「待たれ。取りて食いは致さず。我は類いまれなる妖狐の霊力に実体と寸分違はざるかげをしたるが今は幽体なり。もう成仏したし。されど我の肉体は未だ滅びてはおらず。蘆谷に魂が抜かれし後、兄が術をかけ肉体を保存しよみがえりを望みしが、いづこに有るか分からず千年の時が過ぎにき。我の体をとぶらひてはくれまいや。さすらば、成仏いたすべし」
「それより日本語喋れよ、なに言ってるか全然わかんねーよ」
「なんという事だ……これも仏の思し召しで、うちの出来損ないを精進させよという事かもしれん。よし分かった、紅葉、お稲荷さんの体を探して成仏させてやりなさい」
「は?」
突然言い出した和尚に、紅葉は思いっきり首をかしげる。
「や、何言ってんだか俺には全然」
理解出来ない。
「このお稲荷さんは幽霊なんだと。実体がどこかに有るから探して欲しいって」
「だから幽霊なんかいないって、思い込んだ脳が見せる幻だって証明されてるし。映像だってやらせじゃないですか」
「うん。それはそれで良いから、お稲荷さんの探し物を一緒に見つけてあげなさい。そうすれば全部解決するでの。わしはもうお前に疲れたよ」
「待って下さいよ、清涼はここに居るんだから身体もここに有るでしょう、意味分かんないっすよ」
「なんでこうなったかのぅ……わしは若い頃はそりゃあ除霊に勤しんで名を上げた坊主だったが、せっかく育てた養い子に人生を否定されておる」
「あ、すみません」
和尚に寂しそうな目をされてしまって幽霊を肯定しないといけなくなった。人が一生をかけてやって来た事を否定してはいけない、それがどんな現実離れした事でも。
じゃあなんで坊主やってるかって、宗教は生きている人間のために有る人の道だと思っているからだ。善行を積む事は死んでから偉くなるためじゃ無くて、自分が正しく生きるため。
除霊で名を馳せた和尚を嘘つきとは思わない、きっとそうしてやる事で悩んでいる人を救ってやったのだと思っている。
そう考えると……。
チラリと見た清涼は、もう祓われる心配は無いとほっとした様子で部屋の中を珍しそうに眺めている。
「我は石に憑いてひたすら畦道に在った。千年の間に人の住まいは随分と変わり……」
「石?」
「紅葉が躓いた石よ」
そういえば酔って何かに躓いて転んだら、清涼と会ったんだ。
自分の事を千年以上昔の安倍晴明と蘆屋の戦いに巻き込まれて、蘆屋に退治された妖狐と主張する。更に千年前に死んだけど、まだこの世に存在するはずの肉体を見つけてくれたら成仏すると言う。なんともおかしな話で、救う必要が有るのは清涼の頭か。狩衣なんか着ておかしな人だと思ったけれど、本当にイッてるらしい。
それを見抜いた和尚が清涼を救うために一芝居打ったのだろうと、紅葉は納得した。
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