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第4話
寺の朝は早い。
まだ草木に露の残るみずみずしい早朝、日の出が水色のカーテンを透かして射し込むと同時に、紅葉は布団の中でもぞもぞと目覚めた。
くっそだるい。
まず感じたのは身体のダルさで、次いで目に入っためちゃめちゃ可愛い寝顔にぎょっとする。
「あー……」
そういえば昨晩、酔っ払って変なの拾った。
朝日の中で見る清涼はやっぱり好みの美人だった。切れ長の釣り目が閉じられた今は長い睫毛が白い頬に影を落としている。寝顔を見つめていたら清涼の瞼がピクリと動いて、曖昧な瞳がぼんやりと開く。
「おはよう」
「ん……あぁ、そうか……」
この状況に驚かれるかと思ったのに、清涼は見知らぬ男の部屋で一緒に寝ている事に驚きもせず、どこと無く慣れた感を漂わせている。パンツすら履いていない事態に慌てる事も無く、手繰り寄せた夏掛けで下半身を隠して敷き布団の上にいきなり正座をした。
「おはようございます、我が君」
「我が、君?」
「我は君に仕える者。契約をば事なきに……我は君の物となった。予定と立場が逆だけど、紅葉が愛でてくれるなら良いと思う」
わりと今風に言い直した。
そんな事より昨日はどうかしていたと紅葉は思う。酔っていたのだ、酔って見ず知らずの奴を自宅に連れ込んでやらかした。この責任はどうしたら……。
やっぱり付き合うのかなと考えて、出来れば嫌だ。妖狐だの安倍晴明だの言ってる清涼は変すぎてついて行けない。出来れば後腐れ無くこのまま……何とか言いくるめられないだろうか。
思案顔の紅葉を見ていた清涼は、はぁぁぁと深くため息を吐いた、
「分かっておる。昨晩は我が君に術をかけて心を操った。君を奪おうとしたのは我の方よ」
「はい?」
「君を奪いて我の仕いに致そうと、術に及んだ」
つまりアレか、術と聞いて思い浮かぶのは催眠術で、清涼が催眠術をかけたと。もしかしたら清涼も一晩限りで笑ってさよならのつもりなのかも知れない。
「交わって体内に種を蒔いてしまえば、人など簡単に言いなりになる。なれど蒔かれたのは我の方。ここに紅葉が在る」
そう言って清涼は両手で自分のお腹を押さえた。
「男だろ、どんだけ中出ししても孕まねぇよ」
「我が一生涯を君に仕える」
なんか物凄く重い事を言われた気もするけれど、それは置いておいて最初からヤリモクだったなら双方合意の一晩の相手という事で話が早い。妙な設定は清涼が用意した後腐れ無い方法なのだろう、人間と妖怪の幽体だからもう永遠に会えないね、的な。
「朝飯くらい出すよ。用意して来るから昨日の座敷で待ってて」
「要らん、人の世の物を食べても身にならんので勿体無い」
「遠慮しなくていいから食ってから帰れよ」
ご飯を食べたら笑ってさよなら。
けれど清涼はうーんと考え込んでいる。
「どこに帰ればいいのやら。帰る場所など遠に失い当てがない。また田んぼのあぜ道の石にでも憑いて転がりようか」
「うん、それがいいんじゃないかな」
紅葉は朝の準備を始める事にした。寺の雑用は紅葉の仕事で滞るわけにはいかないし、盆中は檀家回りも有るしで忙しい。
「紅葉はどんな石が好みかの」
「どんな石って……」
石を眺める趣味なんか持っていない紅葉は作務衣に袖を通しながら考える。
「毎日眺めてるのは強いて言うなら、墓石?奴らは磨けば光る」
「変わった趣味だのぅ」
清涼には言われたく無い。
本堂の掃除に和尚の世話にと、とりあえずの事を済ませたら今日はお盆最後の檀家回りだ。やる事だけきっちり片付けた紅葉は、檀家の一軒一軒を回るために法衣に着替えてバイクに跨った。法衣がタイヤに巻き込まれないようタスキで掛かりながら清涼に手を振る。
「送ってやれなくてごめんね。じゃあ清涼、バイバイ」
帰る頃にはもういないだろう。
セックスした相手にはやっぱり少し情が移るから、どこかでまた会えたらいい。だけど連絡先を聞く事はしなかった。同性なので大っぴらには出来ないから、妖狐の幽霊という妙な設定を貫く清涼はきっと望んではいないのだろう。
「清涼みたいな可愛い子に会えて良かった。またね」
またね、またね、またね。
またのつもりも無いさよならの言葉が風に吹かれて消えて行く。
なのに。
今日はバイクを理由に酒を断れたから早く帰れたなと、疲れた身体でキッチンの戸を開けるとダイニングテーブルで和尚と仲良く晩飯を食べている清涼が居た。
思わず錯覚かと思って紅葉は目を瞬かせる。
居る。畦道の石になりに帰ったはずの清涼がポニーテールを揺らしながら振り返って、茶碗片手にお帰りーなんて言っている。
「おいコラ、お前とは永久にさよならしただろう、なんで図々しく飯食ってんだ」
「またねと申したろう。一度畦道に行ってまた来た」
「またねなんて次の約束じゃねぇんだよ、来るな」
「はて、我は今時の言葉を違えて覚えたかのう。と、とか、ととと、とか、とととと、とかで会話は出来ぬが……」
「そんなの俺だって無理だよ」
疲れる……。
暑い中を朝から晩まで走り回って、やっと帰宅したらこれ。縁が切れたと思った変わり者がまだ居る。
そこに近頃めっきり身体が衰えて何もかもを億劫がる和尚が、まぁまぁと呑気な声で言う。
「稲荷さんは草むしりが上手でなぁ、せっせと働いてくれたよ。寺は広いからお前も一人じゃ大変だろう、置いてやりなさい」
「何言ってんですか、除草剤撒いてるに決まってるでしょ」
「雑巾掛けも一人では一仕事だ」
「ルンバが有りますんで」
「すす払いだって一人では」
「寺の掃除機、 ヘッドが二メートルは伸びますから」
つまり和尚は清涼を寺に置きたいらしい。昨晩は祓うと言っていたくせに、どういう事だ。また何か妙な催眠術を使ったに違いないと清涼を睨むと、ふるふると思い切り首を横に振って口の中の物を一生懸命に飲み込んで居る。
「和尚は約束を守っておるまで」
「約束?」
「何処に有らん我の肉体を探し出し成仏をと、坊主の鏡のようだ。稲荷を怒らせたらどうなるかよぅく存じておる」
和尚は除霊を生業として来た人だ。その人に稲荷を語るなんて、催眠術では無くて脅している。
目を皿のようにして訝しげに見つめると、何を勘違いしたのか清涼は椅子の上でもじもじと決まり悪そうに尻をずらしてる。
「それに紅葉は我を可愛いと申して下さった、何度も。我は醜い妖怪、石打ち追い払われた憎まれ者。なのに……嬉しかった。紅葉になら従属を誓おうと、我は……」
「待て、それ以上言うな」
ストーカー宣告されそうな予感がして、紅葉は慌てて清涼の口を塞いで何とか帰るよう言いくるめる手段は無いかと考える。
「帰らないと家の人が心配するよ」
「遠の昔に死に絶えた」
「清涼、大学生?学校は?」
「手習いは致した事がない」
「仕事とかバイトとかは?」
「働くってなに?」
寺に居座る気だ。
「稲荷が成仏したら稲荷神社が困るだろ、帰れよ。そもそも成仏すんのかよ稲荷はよぉ」
「紅葉、お稲荷さんに向かってちと口が過ぎやしないかね。お前は本当に坊主に向いてない、どうしてこうなったか」
はぁぁぁっと深くため息を吐く和尚に、あなたの躾だよと言いたい。
「とにかく、近日中にお稲荷さんを連れて京都に行きなさい、そこに求める物が有るかも知れない」
「嫌ですよ、何で俺が」
そんな事になったら清涼とさよなら出来ない。
やり逃げの上に冷たい態度に自分でも酷いなとは思うけど、昨夜はうっかりしたら逆だったかも知れないのだ、遠慮はいらないだろう。けれど和尚の決定に従わない訳にもいかない。
「分かりましたよ。行きゃいいんでしょ、行きゃ」
安倍晴明所縁の地へ行ったところで千年以上前の死体なんかあるはずがない。そうしているうちには夏休みも終わって、清涼の遊びも終わるし和尚の気も済むだろう。
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