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第5口から生まれた坊主と破門された陰陽師

 盆も過ぎて夏の終わりが感じられる頃、まだまだ暑い日中に雑務合間の休憩を取る紅葉は、作務衣姿で座敷に寝転んで京都のグルメガイドを開いていた。  一夏を越えようとしているカラカラに乾いた茶の簾から聞こえるのは蝉時雨、い草の昼寝枕が気持ちいい。  和尚公認の京都旅行ならリッチな旅が出来る。京都なんて中学の修学旅行以来で、あの頃は予備知識が乏しかったので何食ってるか分からなかったけれど、今回は好きな物を食べられる。 「京都のだし巻き卵食べてみたいんだよなぁ、あとおばんざいは定番だろ。生八ツ橋……はお土産でいいや。あ、この店美味そう」 「どの店か?」 「うわっ」  一人で機嫌良く雑誌を眺めていた所にいきなり声をかけられて、手にしていた雑誌が仰向けになっていた顔の上に落ちて来た。  いつの間にか紅葉の隣に清涼がしゃがみ込んで、雑誌を覗こうとしたのか頭を低くしている。でも雑誌を落とされて見れないと姿勢を戻す、その長い髪が白檀の香りと共に紅葉の頬をかすめて行った。 「驚かすなよ」 「幽霊は驚かすのが仕事」 「それなぁ……」  清涼は人前でも気にせずに自分を妖怪だの幽霊だのと大声で言いそうだ。そんなの連れ歩くのは恥ずかしいのでスーツケースにでもしまってガラガラ引き歩け無い物だろうか。 「お前、そういう事人前で絶対するなよ。人前で喋るなよ、何より人前で俺に近付くな」 「いや」  人間をスーツケースにしまってはいけない。仕方ないので作務衣のポケットからスマホを取り出した。まずは目立つ狩衣をどうにかしないとと通販サイトを開けば、ほーぅと清涼が感嘆のため息を吐いて画面を覗き込ん出来た。 「絵の出る板とは奇妙なり。紅葉は術が使えるのか」 「面倒くせ、もう喋るなよ」 「つれない」 「それよりどの服が欲しい?パンツと靴下と、そういや靴も無いか。あぁ、帽子も買わないと倒れちゃったら大変だ」 「我の着物か?幽霊なので倒れぬが」 「はいはい」  買い物かごにポイポイ放り込んで買い物終了。ちょうど開いていた画面がいきなり着信画面に変わってスマホが鳴り出したのはその時で、清涼はビクッと肩を震わせて驚いている。芸の細かい奴だ。 「賢道か」  かけて来た相手は幼馴染の賢道だった。檀家が多い金持ち寺の三男坊で、同じ大学に進学したのに留年こいて未だに大学生をしている呑気な奴。 「もしも……」 『紅葉、何してるの?どーせ暇してるだろ。女の子達と海行くんだけど紅葉も一緒にいかね?もうクラゲが出る時期だけどいいからって話になってさ、なんか別荘持ってる金持ちの可愛い子が居るらしくて水着も拝めるし』  賢道は口から生まれたようなマシンガントークの奴なので勝手に喋らせておいて、そうだと紅葉は思う。 「賢道、車持ってたよな」 『え?有るよ。俺の愛車はフル装備の箱車で仕上がりが綺麗なん……』 「京都に行こう」  車が有れば清涼を人前に晒す時間がぐっと減るし、何より楽だ。 『嫌だよ、紅葉と京都より女の子と海でいちゃいちゃの方がいい。だいた……』 「すげぇ可愛い子が一緒なんだけど、可愛い過ぎて電車だと痴漢も心配だし誘拐されるかも知れないし」 『……そんなに可愛いのか?』  賢道の声音が変わった。 「画像見る?送るよ」  一旦電話を切って清涼の写真を撮って送ると、折り返した電話で賢道は京都に行くと即答した。 『それよりその子、今一緒に居るんだ?』 「ん?ああ、居るよ」 『じゃあ今から会いに行くわ』  言うが早いか電話が切れて、まぁいいかと紅葉は寝転んでいた畳から立ち上がった。せっかく京都に行くのだから賢道も食べたい物が有るかも知れないし、一緒に旅行の計画を練ろう。そうすると清涼が男だとバレてしまうのだけど、だからって車を出してくれない程友達がいの無い奴でもないと思いたい。  程なくして玄関のインターホンが鳴って、五分刈り頭を無理矢理金髪にした坊主が黒の法衣に茶の袈裟を纏ってやって来た。 「ちわー、和尚居る?和尚さぁーん。留守なら一人じゃ心許ないから今日は見るだけにしようかな。じゃあ紅葉、来たけど居るー?って居るに決まってるよな、約束してたし」 「うるさいな、居るよ」  格好は僧侶でも頭が金髪で黒のサングラスをかけて、おまけに百九十近いデカイ図体の賢道はなんのコスプレだよと思う程のなんちゃって僧侶に見える。やる気の無い男、金持ち寺の末息子。 「なんで法衣で来たの?忙しかった?」  金持ち寺では法事でもあったのだろうかと聞いてみたのだけど、賢道は返事もせずに家の中の気配に耳を澄まして様子を伺っている。 「さっきの写真の奴、どこよ?」 「座敷で旅行雑誌見てる」 「そう、雑誌を見る程馴染んでるのか。送って貰った画像にもはっきりくっきり写ってたし相当強いな。多分ありゃ狐だ。和尚が居ないんじゃ俺だけじゃ無理だからちょっと見るだけで。後で親父か兄貴のどれか連れて来る」 「何を言ってるんだ、お前は」  賢道の言う事がさっぱり理解出来ない。 「お前の方こそ何憑かれてんだよ、狐憑きの坊主とか笑える。あーっはっはっ、そりゃ和尚もいつまでたっても引退できねえ」 「あのジジイは死ぬまで現役だよ。それより清涼……あ、写真の子だけど、清涼っていうんだ。変な子だけどいい子だからよろしく頼む」 「いい子ねぇ……」  ひんやりした長い廊下を喋りながら二人で進んで行く。夏の外はあんなに暑いのに、どうして家の中の廊下はこんなに冷えて感じるのだろう。よく磨かれた木材は年季の入った色をしていて、窓からの日差しに薄らぼんやりと光っている。  すぐにたどり着いた座敷の襖の前で、賢道が身震いを一つする。 「ああ、やばいなこれな、居る居る居る居る。やっぱり今日はやめて兄貴に頼もうかな、和尚は何時に帰って来るんだよ」  幽霊も妖怪も目に見えない物は信じない紅葉だけど、賢道の言い方だと清涼が本当に幽霊みたいでまさかなぁと少し不安になって来た。狐、和尚といい賢道といい、清涼のどこが狐に見えるというのだろう。  辿り着いた襖を開ければ明るい座敷で、座卓に雑誌を広げている清涼はどこから見ても人間そのもの。 「清涼、友達の賢道だよ。一緒に京都に行くから挨拶……」  挨拶をして。  そう言い終わらないうちにこちらを振り返った清涼が片方の頬だけを引き上げてニヤリと笑うのが見えた。赤い唇が描いた弧がやけに印象的だと思った時に、後ろで賢道がぶつぶつと低い声で臨兵闘者……と唱え出す。 「おい、賢道」  九字は魔を切り裂く攻撃呪文として有名過ぎて、いくらなんでも出会い頭に法衣を纏った僧侶からそんな物を唱えられたらいい気がしないだろう。 「皆陣裂在前!」 「待てって、ちょっ……」  その瞬間、紅葉の視界いっぱいに青白い光がゆらゆらと揺れて、眩しさに瞬きをした後には何故か作務衣姿で畳に倒れている自分の姿を上から見ていた。 『あれ?』  どうして自分の足より下に自分の姿を見ているのか分からない。何とも妙な図式で、まるで宙に浮いて自分を見ているよう。まるでじゃなくて、確かにそうなのだ。  畳に自分が倒れているなら、ここに居る自分は何? 『え?』  本当に意味が分からない。  分からないまま下を見ていると、清涼が畳をほんの二歩か三歩で紅葉に駆け寄って、解と一言呟く。そして次に紅葉はぐんっと下に引っ張られて、瞼を上げると今度は清涼の顔を畳から見上げる位置に居た。 「え?なに今の?俺、何か変だった?」 「うっかり紅葉まで殺めてしまう所だったので呼び戻した」 「え?俺死んだの?」 「どうかな、一秒程には息の根止まったやも知れぬ」 「なんだ不正脈か、てっきり幽体離脱でも体験したのかと思った。幽霊なんかいないって俺の信念が曲がる所だったよ」 「曲がってしまえばいいのに。それより雑魚を仕留めた」  ほらそこに……と清涼がすいっと手を伸ばして襖を指差すので、釣られて振り返った紅葉が見た先には倒れている賢道の姿があった。 「賢道っ、どうした?賢道!」  すぐに駆け寄って揺すっても叩いても返事は無くて、賢道はだらんと手足を伸ばしてまるで死んでいるよう。 「嘘だろ、おいっ!賢道どうした!賢道!」 「その者は君の大事な者か?」 「当たり前だろ!幼馴染で……賢道っ賢道!」 「必死だのう、分かった。解」  するとピクリともしなかった賢道がふっと息を吹き返した途端に喋り出す。 「うっわ、なに今の。やばっ、俺血の池地獄に落ちちゃったよ、真っ赤な水がボコボコ沸騰してる池があってさ、ほらあそこがお前の池だとかって鬼に背中押されて危うく沈められる寸前だったわ。先客の亡者がぶくぶく言ってるのがもう怖くて怖くて」 「地獄に落ちたか、生臭坊主よのぅ……」 「良かったぁ俺生きてる。やっぱ狐に立ち向かうなんて百万年早かった。ごめんね紅葉、俺お前見捨てて狐の仲間になるよ」  そんな事よりも。 「びびらせんなよ……」  良かったと紅葉は深い溜息を吐き出して、清涼を見た。  清涼が何かしたに違いない。

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