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第7話
せっかくの旅行なのに、妙な霊媒師と出くわしてすっかり気が削がれてしまった。
「清涼、髪乾かしてやるから来いよ。清涼ーっ」
ホテルに戻った紅葉は風呂から上がって、洗面所で清涼を呼んだ。来ないので何をしているのかと見に行くと、清涼はベッドの上に正座でテレビに向かっていて、エロビデオ鑑賞の真っ最中だった。
「お前……油断も隙も無い奴だな」
紅葉は冷蔵庫からペットボトルを引き抜いて、清涼の隣のベッドに乗り上げた。
見るものが無いのでエロ鑑賞に真剣になっている清涼を眺めてみる。
ネットの通販サイトで適当に選んだチュニックに髪を下ろした姿は、どこから見ても人間そのもの。艶めく濡れたままの髪や瞳を潤ませてエロビデオを見ている横顔に怪しげな色気があって、ホテルのベッドの上とか、間違いが起こりそう……中身が大問題なので起きないけど。
狐。
「人様の夜伽を初めて拝見した」
清涼は自分の手で隠した指の間からテレビを見て、ああっとか、ひゃあっとか言ってる。
もしも本当に清涼が狐だとしたら……有り得ない。狐と犬を間違える奴は居るだろうけど、狐と人を間違える奴はいない。
そこにピンポンピンポンピンポンとドアベルが連打されて、開けてーと賢道の声が聞こえた。ドアを開けてやると何故か法衣姿の賢道が立っていて、驚いた、旅先で仕事でもする気だろうか。
「紅葉も法衣に着替えて。さっき晃さんと話してたらさ、あ、晃さん京都の人じゃ無くて仕事でたまたま京都に来てるらしいんだけど、いいバイト紹介してくれたんだよねえ。今から浄霊の手伝いすれば一人十万くれるって」
「はいー?」
一人十万とは法外な。三人で行けば三十万。
「何それ、どこの浄霊?」
「いっや、それ聞かなかった。金に目が眩んでさっさと紅葉呼びに来ちゃったわ。とにかく着替えろよ」
「え、法衣なんか持って来て無い」
「だと思って車に積んでたの持って来た。クリーニング出して無いから臭いけどいいよな、十万だもんな。清ちゃんはサイズ合わないから私服でいいだろ、とりあえず連れてって十万稼がせよう」
「了解」
目に見えない物でどうしてお金が……とか悩んでいたのもすっ飛んだ。旅先でまさかの大口アルバイト、晃が胡散臭い霊媒師なのも最早どうでもいい、自ら胡散臭さの片棒を担ごう。
「真に、生臭坊主よのぅ」
出掛けると聞いた清涼が、髪を結い上げながらため息を吐いた。
さっさと着替えてロビーに降りると、先程とは違って今度はちゃんとスーツ姿の晃がラウンジのソファーで優雅に待っている。よく見るとサラサラ茶髪に童顔の可愛い顔をした人で、黙ってればアイドルでもやっていそう。こんな品の有る人に胡散臭いだなんて失礼だったなと、金に目が眩んだ紅葉は自分を反省すらしてしまう。
「先程は失礼しました」
近付いた紅葉に顔を上げた晃はにっこりと微笑んでくれた。
「ああ、やっぱり法衣を着慣れてらっしゃる。何の力も無いただの人でも僧侶は僧侶、似合いますね」
……皮肉だろうか。
「じゃあ行きますよ」
よいしょと席を立った晃がホテル前で待機していたタクシーに声を掛けて、四人で乗り込んだ。
車が走り出してすぐ、ポツポツと明かりの灯り始めた京都の街並みが急速に暗くなって行く。タクシーのフロントガラスから見える空は、進行方向が真っ暗な雨雲に覆われていた。
「雷かな」
厚く大きな雲の中に、時折稲光が走っている。
「あぁ、これは一雨来ますね。お客さん傘持ってはります?」
ハンドルを握るドライバーが呑気に言いながら、流しっ放しの無線のボリュームを下げた。
『烏丸通りを……』
無線の声が小さくなると同時にフロントガラスにポツポツ雨が当たり始めて、赤信号で止まっている間にもどんどん雨足が強まって行く。
「すげぇな、車で良かった」
賢道が雨で滲む窓の外を眺めながら呟く。歩行者の傘がカラフルに咲いて、傘の無い人は突然の雨にコンビニの中に飛び込んで行く。
信号が青になって再び走り始めたタクシーはすぐにワイパー全開になり、それでも前が見えない程の土砂降りだ。日が暮れるのよりも速く真っ暗になってしまった空から雷鳴が轟いて、稲光がピカピカ走る。
「もう着きますけど、どうしますん?少し待ちますか?」
「いえ、なるべく出入り口に近い所で下ろしていただければ大丈夫です」
そう言ったのは助手席の晃。
「しかしあのマンションじゃあ、お坊さんたちも大変ですねぇ」
「マンション?」
行き先はマンションなのかと、そんな事すら聞いていなかった紅葉と賢道は後部座席で顔を見合わせた。
「運転手さん、大変ってどういう事なんですか?」
「あそこは何人かお坊さんが行ってはるんですけど、まぁだ出るようですから」
出るって何が出るんだろう。そこをじっくり聞いておきたい。
噂ですけどねと、運転手が語り出した。
「昔は合戦があった場所だとか。けど言い出したら日本中が合戦跡地ですし、マンションには自殺した女の幽霊が出る聞いてますけど」
合戦跡地に自殺者の幽霊とは、時代も何も接点が無い。
「安くしても曰く付きじゃあねぇ。困った不動産屋がお坊さんを頼んでるようですけど、誰にも祓えんようで」
「晃さん、そんな事言ってませんでしたよね」
「それは僕が言う前に賢道くんが紅葉くんを呼びに出て行ったからですよ」
その場の場面は目に浮かぶようだ、基本的に人の話を聞かない賢道が悪い。
「今知っても同じでしょ。さ、行きますよ」
土砂降りの中、タクシーがとあるマンション前に止まった。
ドアを開けるとアスファルトに雨粒がバシャバシャ跳ね返っていて、まず紅葉が駆け出した。すると清涼も濡れながら走って来て、その後に続いた賢道が入り口に辿り着いた紅葉の隣に駆け込んで来た。
「ごめん賢道、法衣濡れた」
「いいよ、クリーニング出し忘れてたし」
晃は傘を持っていたらしく一人だけ雨の中をゆっくり歩いている。
「晃さんずりー」
濡れた袈裟の肩をすくませて賢道がボヤいている。四人で一本の傘には入れないからいいのだけれど、清涼の前髪から雨が雫になって落ちそうだ。ごめんねと、紅葉は濡れた清涼の前髪を袂で拭いてあげる。
「清涼ホテルで待ってれば良かったね」
「冗談でしょう、それを置いて来られたらあなた方に声をかけた意味が無い」
側までやって来た晃がふんっと鼻で笑いながら傘を畳んだ。
「どういう意味ですか」
「すぐに分かりますよ。それにしても寒いな」
晃が寒そうに細い身体をぶるりと震わせて、言われてみれば濡れたせいか夜風が冷たい。賢道なんかカチカチと歯を鳴らしていて、そんなに寒くは無いだろうと紅葉は思う。季節的にも少し濡れた程度じゃそんなに……いや、寒い。何故か凍えるように冷たい空気がマンションの中から流れて来る。
「エアコン効かせ過ぎなんじゃね?」
「紅葉はそう思っとけばいいよ。あー、やだやだ、これ本物だ、しかもうじゃうじゃ居るぞ。さっきの運転手が言ってたの全部本当の事かも知れない。どーせ思い込みだろうと思ったのに本物引いちゃったな。そりゃガセじゃ十万くれねーか」
「紅葉、紅葉。臭いのぅ、我の鼻が曲がってしまう」
くさい臭いとツンと尖った鼻の頭をつまんでいる清涼を横目に見て、晃が悪そうにほくそ笑む。
「今回は楽が出来そう。こんな所一人じゃとても無理だし、いい出会いがあったな」
「なんか俺帰りたくなって来たんだけど、どうしよう。清ちゃん、紅葉から離れて俺に憑き直さない?」
「紅葉、紅葉。君の匂いを嗅がせてたもれ」
みんないっぺんに喋るので誰が何を言っているのか分からない。賢道といい晃といい清涼といい、口を開く順番を待とうとか人に譲ろうとかいう気配りを持っていない。それぞれ好きな事を勝手に喋っていては会話が成り立たないのに、むしろ会話する気のない協調性とは無縁な奴らだ。
浄霊に来たとは思えない賑やかな坊主の一段が廊下を進んで、この部屋ですと晃がとあるドアに鍵を差し込んだ。
パッと灯った明かりに照らし出されたのは白い壁紙の綺麗な部屋だった。空き部屋なので備え付けの家具以外は何も無いけれど、カウンターがチークの一枚板だったり、カーテンの無い窓から見えるバーベキューも出来そうな広いベランダがテラコッタだったりといい部屋だ。
「すげえな、貧乏寺と全然違う」
「紅葉には分からないだろうけど、幽霊部屋だぞ」
部屋を一つ一つ進んで最後に辿り着いたのは寝室で、あぁここかと賢道がため息混じりの悲しそうな呟きを漏らした。
「ああ、この部屋ですね」
遅れてやって来た胡散臭い霊媒師も賢道と同じような事を呟いて、じゃあ結界を張りましょうかと床に仏具を並べて行く。晃はどこに隠し持っていたのか次々にアイテムを取り出していて、異様な光景だ。
「晃さんって仏具頼りなんですか」
「僕は陰陽道の陰陽師だったんですけど、破門されちゃったんですよね」
破門された陰陽師なんて殊更胡散臭い。
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