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第8話

 仏具を並べて見えない結界を張ったと言う晃とは対照的に、賢道は手首の数珠一つで結界を張ったらしい。紅葉の分も張ったからここに入れと、何も無いフローリングを示された。  ただのフローリングだ、ワックスが効いたピカピカの板っきれ。 「ありがとう」  合わせるのはノリ。長い物に巻かれないと人生渡って行けない。  紅葉が中央のその場所に向かうと、後に清涼が付いて着いて来る。すると賢道がああぁぁぁ……と膝から崩れ落ちた。 「紅葉、もうその場所には何も無い。清ちゃん一緒に入ったらダメだよ、俺が張ったのなんか消し飛ぶ」  どうやら清涼が近付いたせいで結界が消し飛んだらしい。あんまりがっかりしているから紅葉は言ってあげる。 「安心しろよ、最初から何も無かった」 「お前が一番がっかりだよ。張り直すから清ちゃん紅葉から離れて」 「いや」 「いいよ。俺は清涼と一緒に結界無しで大丈夫」 「いやいやいや、まずいって。何かあってもここじゃ俺も紅葉をカバー出来ないし」  二回も三回もそんな物を張る意味を感じない。いちごのビニールハウスの方が頑丈なんじゃないだろうか。 「清涼一人じゃ可哀想だし」  そんな三人の様子を、晃が少し離れた場所から仏具に囲まれながら呆れて見ていた。 「それを置いて入ればいいじゃないですか、距離がちょっと離れるだけで同じ部屋に居るんだから変わらないでしょう。狐っていうのは昔から気紛れでいたずら好きと相場が決まってるんです、甘くするとつけ上がりますよ」 「晃さん陰陽道って言ってましたよね。清涼を狐と言うなら、陰陽道と稲荷は関係が深いと思いますけど」 「社を持たないそれは稲荷神では有りませんから、ただの畜舎でしょう」  畜生と来た。  清涼が妖狐に成り切ってるのは、そのキャラがお気に入りとか憧れとか、なにかしら惹かれる所が有るからだろう。なのに全否定。  立ち込める険悪さに空気も凍りつき、部屋中にビシビシと亀裂の入る音が聞こえるようだった。 「来る!ラップ音だ!」  叫んだ賢道が辺りの気配を伺いながら構えて、手首の数珠がシャラリと鳴った。 「いや、賢道。今のはこの部屋が氷河期に突入した音だ」  途端に部屋の電気がチカチカと点滅を繰り返す。 「近いな、どっから来るんだよ……」 「雷すげーな、停電になるかな」  ビタッビタッビタッ……カーテンの無い窓に何かが叩きつけられたような音がして、そちらを振り返ると真っ暗な外が鏡のようになって、スーツに茶髪の晃とゆったりチュニックにポニーテールの清涼が睨み合う室内の風景が写っていた。 「窓に手形だっ!」 「雨が窓に打ち付けたんだよ。風がこっちに向かって吹いたんだろ」 「紅葉お前ちょっと黙ってろよ」  なんて事だ、一番口数の多い男に黙れと怒られた。  付き合いきれない。  外は雷雨の土砂降りなのだから停電だって有るだろうし、風向きが変われば雨は窓に打ち付ける。それをラップ音だの窓から何かが来ただの、心霊好きは何かあるとすぐそっちに持って行きたがる。  さすがに呆れた紅葉は壁際まで移動して法衣の裾を払うと、床の上に胡座をかいた。すぐに清涼が隣にやって来て座り込む。 「もっと怯えるかと思うたのに、さすがは我が君、肝が座っておられる」  清涼にちょんっと法衣の袖を引っ張られて隣を見れば、清涼は何かいたずらを仕掛ける子供みたいな可愛らしい表情をしていて思わず笑ってしまう。  が、そのすぐ後で紅葉の笑顔が凍り付いた。 「……出た、出た出た出たーーーーーっ!!」  自分を覗き込む清涼の後ろに紅葉が見た物。  それは沢山の落武者の姿だった。重そうな鎧を身に付けて髪を振り乱した兵士達が部屋中にひしめいていて、ゾンビのようにこちらに手を伸ばして迫って来ている。 「ひぃぃぃぃーーーーーっ」  あり得ない。幽霊なんてものはこの世に存在しない、目に見えない物は信じない。なのに今見ているのは心霊特集にでも出て来そうな落武者の群。  どこから湧いて出たんだとか、室内にそんなに大勢どうやって入ってんだとか、そんな疑問は迫り来る魍魎の大軍に吹っ飛んで、心臓が爆発したみたいな鼓動を打ちまくる。 『…て……あー、あー、あー、タスケテ……タスケ……」  聞きたくないのに声まで聞こえた。  紅葉は法衣の裾に縋って来る彼らに触れられる前に、身を翻して部屋の角まで這って逃げる。 「こっち来んな!死ね死ね死ね死ね!」 「坊主がそれ言ったらマズイですよね」 「なんだ紅葉、見えるようになったのか?」 「お前らも驚けよ!」  幽霊の群を前に何故そんなに冷静で居られるのだろう。けれど冷静な人がそばに居ると心強い。しかもその冷静な人が本物の僧侶と霊媒師だなんて、とっても心強い。と、本物の僧侶の紅葉は思った。 「助けて!賢道!晃さん!」 「嫌だよ、お前信じないくせに何言ってんだ」  そうだ、目に見えない物は信じない。幽霊は脳が見せる思い込みや錯覚。 「だって見えるんだよ……どうして」  これは賢道達が見ている物と同じなのだろうか。ついさっきまで見えなかったのに、いきなり見えるようになった。 『あーあーあー……ケテ……タスケテ……』  魍魎と言われる類の物が光に集まる蛾のように法衣に惹かれて縋って来る。部屋の隅に一人取り残された紅葉は、先ほど清涼が浮かべたいたずらっ子のような可愛らしい表情を思い出した。  いや、まさか。清涼が何かしたと認める事は、みんなが言うように清涼を化け狐と認める事になってしまう。薬中の妄想癖の方がまだリアリティが有る。もしかしたら落武者は紅葉が見ている幻覚で、気味が悪いと思っているから脳みそが幻を見せているのかも知れない。 「おおおおおお俺は今、落武者の大軍に囲まれてるんだけど、みんなも同じ物が見えてるのか⁉︎」 「そうだね」 「そうですね」 「だったら助けろよ!」 「君は無様なり」  なんて友達がいの無い奴ら。  目の前に迫った落武者が紅葉が着ている法衣の袂を掴んで、こっちに来いと引っ張って来る。 「ひっ……分かった、もういっそ殺せ!」  幽霊に襲われているくらいなら死んだ方がマシ。 「早計な、覚悟を決めようとは潔すぎよう」  滅っ!と清涼が叫んだ時、声と同時に落武者の群も不気味な声も、全てが一瞬で消えた。部屋の電気もパッと灯り、聞こえる音が窓を打つ雨の音だけになる。 「え……?」  室内は先ほどの事が嘘のように平穏を取り戻した。右を見ても左を見ても落武者の亡霊は跡形も無く、ただのフローリングと壁紙だけの寝室だ。あれはなんだったのでしょうと、決まり文句が聞こえて来そう。 「消滅させたのか、すげぇな」 「さすがは妖怪、一欠片の慈悲も無いですね」  と、いう事は清涼が祓ったのだろうか。  どうやって?  信じられない。  ほぅっと大きくため息を吐いた紅葉は、その場にへたり込んだ。行儀が悪い事も構わずに法衣の片膝を立てて額を乗せる。  何が信じられないって、何もかもだ。幽霊も清涼も感動も晃も、何もかもが信じられない。 「疲れた。長旅でちょっと疲れてるみたいだ」 「なんだよ、まだ信じてねーのかよ、見えたくせに頑固だなぁ。まぁ和尚と暮らしてるくせに心霊現象否定派なんだから、そうだろうなぁ」 「安心するのは早いですよ、次が来ます!」  晃が叫んだ時、また部屋の電気が点滅して窓にバシバシ雨が打ち付け、そして再び亡者出没。 『あーあーあー、タスケテ、タスケテ』 「ぎゃーっ!!」  再び紅葉が叫んで部屋の角まで追い詰められた時、清涼が言う。 「滅」  そして再々度部屋に静寂が戻り、げんなり疲れると晃が言う。 「はい、次の軍勢が来ます」 『あーあーあー』 「ぎゃーっ!!」 「滅」  そして再々々度部屋に静寂が……。 「いつまでやるんだよっ!分かったよ!信じるから一度で全部済ませてくれ、もうやってらんねぇよ」  紅葉がキレた。

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