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第9話

 別に誰も、紅葉に心霊現象を信じさせるためにはやっていない。なのに勝手にブチキレた男が頭を出せと叫んでいる。 「お前らの大将が居るだろ、出せよ。頭叩いて一気に成仏させてやる」 「世の中怖いもの知らずっているんですね。それが出来たら最初から紅葉くん達に頼んでませんよ」  元はと言えば晃が受けた除霊のはずなのに、本人は結界の中で高見の見物を決め込んでいて、霊感の欠片も無い最弱な紅葉一人がやる気になっている始末。 「紅葉ほんとに信じたのかなぁ、頑固な石頭だからなぁ」 「さすがは我が君、頼もしい」  頭を出せと荒ぶり、しばらく待っても何も変化が無い。家具の無いがらんどうな部屋はがらんどうなまま、紅葉一人がただ喚いているだけだ。 「ほらな、何も起きない。きっとルームシアターが備え付けになっていて、さっきのは勝手にスイッチが入ったんだ」 「ならば呼ぶまで。正体を見せよ!」  清涼が大声を張り上げた瞬間、部屋の中央の何も無い空間がぐにゃりと歪んだ。  瞬きに合わせてぶつ切りに人の頭、胸、腹と空間に出没して、それはあっという間も無く上半身が人で下半身が蛇の姿の女になった。 「ひょーーーーーーっ!!」  出た!  落武者よりもえげつない物が、ぬらついた下半身をフローリングにうねらせて、這いつくばった姿勢から淀んだ目で紅葉を見上げている。 「ひょー!ひょー!ひょー!なんて物を呼び出してんだお前はっ!」  思わず清涼の頭にゲンコを振り下ろしてきまって、ゴチンといい音と共に清涼が両手で脳天を抑えた。 「いたひ……理不尽なり」  それより蛇だ。上半身が人間で下半身が蛇だなんて、怪物過ぎて女性のモロ出しおっぱいの威力が全然無い。張りの有る乳房の形から若い女性で、丸出し根性の演技派。いったい何のためにそこまでするのか。  うーんと賢道が顔をしかめている。 「美乳なんだけどパイだけじゃダメだな、おっぱいチョコに勃起しないのと一緒か。それよりなんで大将呼んで女が出てくるんだ、しかも蛇になってるし。武将は女じゃねーだろ、ゲームじゃあるまいし」  その時、キーンと空気が張り詰める気配がして、晃が離れた場所からさも気持ち悪そうに片手を蛇女に向けて掲げていた。 「彼女は以前この部屋に住んでいた女性のようですね、この場所で自殺してます。恨み辛みが過ぎると人は蛇になる。あの姿は執念の成れの果てです」 「晃さん分かるんですか?」  賢道の問いに霊視ですと晃が答えて、それぞれが自分で張った結界の中に居る二人は悠長に分析し合う余裕が有る。 「兵士達は土地で大人しく眠っていた所を、あの女の怨念に当てられて起こされたようです。無関係なのに叩き起こされた」 「そこまで分かるの凄いな。晃さんもしかしてメチャメチャ霊感強く無いですか?あ、陰陽道を破門されてるんでしたっけ、残念だなぁ、凄い陰陽師に出会えたと思ったのに」  一方まるで余裕が無いのが紅葉で、蛇のあの表皮。ざらついた皮が水分を含んでテラテラとぬめる立体リアリティ。幽霊なんかいないという自らの主張に危うさを感じている今、早くネタバラシをして欲しい。なのに困った事にツンと鼻をつく蛇独特の異臭がして、映像に合わせた臭いまで発する高性能ルームシアターまで備えた賃貸が有るとも思えない。  蛇女が尻尾を翻して床を叩くと、ビタンビタンと肉を打つ酷い音がした。 「清涼、危ない」  あんなのが当たったら骨折してしまうと、紅葉は清涼を引き寄せて胸に抱え込んだ。すぐそばの床に蛇の尻尾がビタンと振り下ろされて間一髪。  心霊現象否定派でも嘘か真か検証している時間は無いから、とりあえず避けるしか無い。けれど立ち上がろうとした紅葉は自分の法衣の裾を踏んで清涼共々床に絡んでしまった。逃げる隙を失って蛇女を振り返れば、ニヤリと笑った淀んだ目と視線がかち合う。 「我は平気よ。あの女一刀両断にしてくれる」  抱え込まれて動けない清涼が言うけれど、こここで清涼を離したら尻尾で叩かれてしまう。自分が盾になろうと紅葉は一層清涼を強く抱きしめた。 「紅葉くんっ、そんなの庇ってる場合じゃないでしょう!自分が死にますよ」 「紅葉!大丈夫だから清ちゃんから離れろ」 「何言ってんだバカ。やり過ぎなんだよ、清涼に当たったら危ないだろう、弱っちぃんだから」  紅葉は身体的な事を言っている。百八十センチ近い身長で細マッチョの紅葉に比べて、清涼は吹けば飛ぶように細い。そこそこ身長はあっても骨格から華奢でひ弱に見える。 「お前よりはるかに強いよ!」  賢道達は霊的な力の事を言っている。いつだったか一瞬で紅葉と賢道に三途の川を渡らせかけた妖狐に人間など束になっても敵うはずも無くて、紅葉が盛大に足を引っ張っている。 「我が君……そんなに我の事を……」  はらりと清涼の大きな瞳から涙が溢れて一粒溢れた。 「我は……嫌われ者の我は、未だかつてこんなに思うてくれる人はただの一人として……紅葉」  すんすん鼻を鳴らしながら紅葉の懐に顔を押し付ける清涼は、蛇女の事などどうでもいいみたいだ。  さてどうしよう。  賢道の所まで逃げたいけど、清涼を連れて行くと結界が消し飛ぶと賢道が嫌がる。ならば晃の方はと見ると、目が合った瞬間に来るなと首を横に振られて思いっきり見捨てられた。あの人は本当に元坊主なのだろうか、人として大事な物が欠けてはいないだろうか。 「どうすりゃいんだ」 「清ちゃん離せって、身動き取れなくしてるの自分だろうが」  伸びて来た蛇女の尻尾が紅葉の背に触れて、二人とも巻きつかれると紅葉はとっさに清涼の身体を突き放した。蛇は獲物を丸呑みにするために相手の身体に巻きついて骨を砕くのだ。  しゅると紅葉の腹に尻尾が回ったと思った途端、凄い力でぐんっと引っ張られてなすすべも無く床の上を引きずられた。 「うわっ!」 「紅葉っ!」  そして全身にぴったりと蛇女が巻き付いて来る。 「うわっ!うわっ!うわっ!」  ヌメヌメだ。蛇のヌメヌメが衣を通しても伝わって来そうで、あまりの気持ち悪さに逃げ出そうとすると肉厚な蛇柄ボディがギチギチに締めて来る。  本物だ!これは間違い無く本物で、ここに実在している。 「……うっ……」  苦しい。ひんやりした冷たさまで感じる上にツンと鼻をつく悪臭がたまらない。 「清ちゃん、今だっ!」 「できぬっ!紅葉を人質に取られては切れぬ、あの女め……」  怒りに顔を引き締めてすうっと立ち上がった清涼の背後に、ぼんやりと青白い物が揺らめいたように見えて紅葉は目を瞬かせる。 「え?」  ゆらゆら、ゆらゆら。風も無いのにダボついた生成りのチュニックの裾が翻えり、束ねた長い黒髪が舞っている。清涼の後ろに青白い炎が燃えている。  ピコン。清涼の頭に耳が生えた。 「清涼……」  カチューシャ着ける余裕が有るなら逃げてくれ。 「すげえ早技だ。さすがレイヤー、飽くまでもキャラ作りにこだわるんだな」 「紅葉冷静だな、お前こそ飽くまでも否定するその石頭はまだ健在なのか」 「逆にこの状況を紅葉くんがどう理由付けるのか興味が出て来ました。繰り返し押し寄せた亡者に、狐火を燃やす妖狐に、怨念の成れの果ての蛇女とオンパレードです。今はハロウィンの時期でもありませんよ」 「晃さんどうします?俺らじゃ何も出来ないし、このままだと紅葉が危ないです」 「狐がどうにかするでしょ、あいつにやらせるために連れて来たんだから」  なんて事だ。賢道も晃も喋ってばっかりで全然助けてくれない。 「うわぁ、ひでぇ。さすがに引いた」 「俺はお前らに引いてるよっ、くっちゃべって無いで助けるふりでも誠意を見せろ」 「あ、とうとう幽霊認めてる」  上半身が人型の大蛇の力がどれ程なのか計測値を見た事は無いけれど、ギチギチ締め上げて来る力が凄くて本当に骨を砕かれそう。自分のためにお経を唱える時が来たのだろうか。  紅葉は自分の子供の頃を思い出していた。小学生の頃は賢道に心霊写真検証をさせて笑い者にし、中学の頃は賢道に心霊スポットツアーを開催させてナンパに使い……思えば賢道といつも一緒だった。 「走馬灯ってこれだな……賢道、今までありがとう。思い出の中にはいつもお前が居るよ」 「紅葉、何言ってんだよ、お前が死ぬわけ無いだろ」 「和尚に、先立つ不孝を、お許し下さいと……うっ……」 「よし分かった!」  和尚への伝言を受ける事を了承したのかと思ったら、賢道は結界を張ったスペースの中から大股に出て来て、蛇女と紅葉の前にどっかりと胡座をかいた。 「蛇女さん、話し合おう。まず貴女が死を選ぶ事になった理由を聞かせて欲しい。俺も紅葉も現役の僧侶だし、もしかしたら成仏させてやる事が出来るかも知れない」  シューシューと蛇女が鳴く音がする。それは呼吸音なのかそれとも言葉なのか爬虫類に詳しく無いので分からないけれど、シューシューシューシュー、蛇女が賢道を見つめたまま動かないのは様子を伺っているようだ。  何を思って賢道を攻撃しないのか。 「紅葉、清ちゃん下がらせろ。攻撃態勢で隙を伺ってちゃ蛇女も警戒を解かない」  清涼はさっきから背後に青白い炎をゆらゆらさせながら蛇女を睨んでいて、今にも突き進んで来そうな勢いだ。 「分かった。清涼、賢道に任せて下がって」 「なれどっ……」 「喧嘩腰じゃ話し合いにならない、いいから」  清涼を間合いから下がらせた時、締め付ける蛇女の力かふっと弱まったのを感じた。

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