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第10話
白い壁を背にした紅葉は、半分人間半分蛇の女に巻き付かれたまま動けない。その紅葉の真ん前にどっかりと座り込んだ賢道が、で……と、ニッカリと笑顔を浮かべた。
「蛇女さんは何があって自殺したの?あ、蛇女さんって言うのも失礼だから名前教えて欲しいな」
フランクに話しかける賢道は、ふわふわ飛んで行く風船のように軽い。こんなのが通じるのだろうかと、紅葉は自身の身体に巻きついた蛇女のちょうど胸元に来ている頭を見下ろす。
口から赤い二枚の舌がチロチロ見えて、見なきゃ良かった。
「そんなに見つめられたら照れるなぁ、お姉さん生きてる時は相当可愛いかったでしょ?今は目が落ちくぼんで怖いけど、顔の骨格が綺麗だもん。人間の時に会いたかったなぁ、絶対可愛いよ」
蛇女の二枚舌が口に引っ込んだまま、ピロピロしなくなった。どうやら興味を引くことに成功したらしい、さすがナンパ坊主。
「おっぱいもいいよね。スタイルも良かったんだろうなぁ、蛇になっちゃって勿体無い。一目惚れしてたかも。ね、名前教えて?」
「名など……名など遠に忘れた」
喋った。
それは地を這うように低くざらついた声だったけれど、もはや人であった事など忘れたかと思われた妖怪が、賢道の問いかけに答えたのだ。
ノリを合わせるのが得意な紅葉は、今だのっかれと即座に相槌を打つ。
「じゃあ蛇だから、スネークから取ってスネ子ちゃんで」
あまりのネーミングセンスに賢道がぶっと吹いた。
「もっと可愛い名前がいいよね。ねぇ?」
スネ子ちゃんを見つめる親しげな眼差しはイケメンだ。デカイ体格とひよこみたいな金髪がインパクト大だけれど、賢道はイケメンだ。通った鼻筋やシャープな顎のラインがすっきりしていて、悔しいけれどイケメンなのだ。
その切れ長の目が紅葉を視線で促して来るから、紅葉は胸元に有るスネ子ちゃんの頭にちょこんと顎を乗せた。
「で、スネ子ちゃんに何があったの?」
まずは話を聞かないと始まらないと、二人で一生懸命に話しかけて引き出す。聞いてあげる、分かってあげる、言葉に出さないと伝わらない心がそこに有ると、二人でスネ子ちゃんを口説く。
「私は……私は、私は……」
やがてスネ子ちゃんが話し出した。
愛していた男に裏切られた。生前、美人と評判のスネ子ちゃんに近付いて来た男は、口が上手くて話の面白い人だった。夢中になったのはスネ子ちゃんの方で、すぐに二人は同棲を始めたけれど、やがて男のギャンブル依存が発覚。
男の借金返済のためにスネ子ちゃんはキャバクラ勤務を始め、なのに稼いでも稼いでもお金は消えて行く。
膨らんで行く借金の返済が追いつかずに、キャバからソープに転職、ソープから非合法店に転職。そして摘発された時に自分が身体を売って稼いだ金がどこに消えていたのか知って、スネコちゃんは自殺した。
「あいつは実業家を名乗って他の女と結婚したのよ。誰のせいでっ」
「あー、そりゃ酷い。そいつさえいなけばスネ子ちゃんはそんな事にならなかったのにな」
「裏切られた。滅茶苦茶にされた!憎い憎い憎い憎い」
「今頃そいつはどうなってるの?」
賢道が尋ねると、分からないとスネ子ちゃんは首を横に振る。
「憎い、幸せになんかするものか。恨んで恨んで、夫婦共々地獄に落としてやる」
それがスネ子ちゃんが自殺した理由と蛇にまでなった怨念か。
人の恨みは積もり続けて、死して尚降り積もる。もう死んでいる人に説教をしてみても何の意味も無い。必要なのは話を聞いて分かってあげる、無念を理解してあげる。それだけなのかも知らない。
「酷いな……両手が使えたら抱きしめてあげたい」
紅葉がそう言うと、しゅるるんと巻きついていた蛇ボディが解けて身体が自由になった。そこで紅葉は胸元に有る頭を撫でて恐る恐る人間の上半身を背中から抱きしめてみた。
「可哀想にな」
賢道も思い切り同情した声音でスネ子ちゃんを正面から抱きしめて、蛇女が坊主二人に挟まれている形になった。
気に入らないのはスネ子ちゃんを挟んで抱き合う形になった紅葉と賢道で、いくら昔から仲が良くても抱き合うまでは良く無い。賢道はノーマルだし、紅葉は男女どちらでも構わないけれど、自分よりデカイ男は願い下げ。互いに顔を付き合わせて渋い表情を浮かべた。
「賢道、どさくさに紛れて俺の背中に手ぇ回すんじゃねぇよ」
「紅葉こそ何考えてんだよ、そういう目で俺だけは見るな」
「頼まれても嫌だね」
友情の壁を絶対に超えたくは無い。
「……分かってくれるの?」
「うん」
「同情しか出来ないけどね」
「みんな私が愚かだと笑ったわ。バカな女って蔑んだ」
「人は弱者を痛めつけて優越感を得たい生き物なんだ。何も分からない奴らに、可哀想に」
「それにしてもその男腹立つなぁ、こんな美人をそんな目に合わせて。俺なら心配で家から出すのも嫌な程愛したのに」
「本当だよな、憎たらしい奴」
二人で相手の男を散々に貶してやると、やがてスネ子ちゃんの身体がだんだんに人間に戻って来た。蛇柄ボディから模様が無くなって下半身が徐々に人間の足になって行く。話を聞いて思い切り同情して、一緒に怒って。
やがて部屋の空間に違和感を覚えた紅葉が天井を見上げると、そこにマンションの壁紙は無かった。高く高く、どこまでも広い空が金色に輝いている。
人が成仏する時には西の門が開くと言われているけれど……。
実際に見た事の無い紅葉は、あまりの眩しさに目を眇めながら口をあんぐりと開けてしまう。
「西の門が開いたな。スネ子ちゃん、今なら逝ける」
穏やかに微笑んだ賢道に向かって、すっかり人の姿に戻ったスネ子ちゃんが涙を浮かべながら晴れやかに笑っていた。
「スネ子ちゃん」
「気が済んだわ。お坊さんたち、ありがとう」
「佛說摩訶般若波羅蜜多心經」
フローリングに胡座を組み直した賢道が唱え始めたので、空を見上げて驚いていた紅葉も座り直して手首の数珠を持ち直す。そうして二人で声を揃えた。
「觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舍利子色不異空空不異色色卽是空空卽是色受想行識亦復如是舍利子是諸法空相不生不滅不垢不淨不增不減是故空中無色無受想行識無……」
それはやがてスネ子ちゃんを迎えた西の門が閉じて、金色の光が消えるまで。
「規格外ですね」
しばらくしてただの空き部屋に戻った部屋の中で晃がため息混じりに呟いて、紅葉と賢道は大きく息を吐く。これまで何度も何度も経を唱えて来たけれど、こんな経験をした事は一度も無い。
「蛇にまでなったら怨念の塊ですよ、それを成仏させるとは。狐に食わせようと考えていましたけど、お二人の力を見くびっていたようです」
「我はあんな物は食わん。それより紅葉、浮気か?」
「まぁ、消滅させずに成仏出来たんだからいいんじゃないかな。晃さん一人十万よろしくお願いしまーす」
みんな一斉にそれぞれしゃべり出して、摩訶不思議な体験の感想も何も無い。そんな中で紅葉は、もう認めないわけにはいかないと考えていた。
目に見えない世界は実際にあって、和尚や賢道はずっと見ていた。見えないから信じないと言い張っていた自分の方が、石頭だったんだ。幽霊は居る。
ふと見れば浮気者と騒がしい清涼の頭にはまだ耳があって、紅葉は手を伸ばして触ってみる。
「いやん」
清涼が頭に手を伸ばして耳を押さえた。
薄っぺらい耳の感触はふわりと柔らかくて、薄い中にも芯の通った本物の触り心地。
「お前その耳引っ込めとけよ。いい大人が狐の耳なんか生やしてたらイタイだろ」
清涼は本物の妖狐だ。みんなが言っていた事は本当だったんだ。
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