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第11話
翌日は昨夜の雨が嘘のような快晴になった。焼きつく夏の名残の太陽がまたしてもジリジリと賢道の体力を奪っている。
「あー、無理。お日様の下とか俺無理」
「デカイくせに体力無い奴だなぁ。俺を見てみろ、日頃の雑巾掛けの成果だ」
今日は京都に来た目的の清明神社参りをする予定になっている。清涼の肉体が有ると言うならここしか手がかりが無いのだけれど、千年以上も前の遺体がミイラにならずに残っているはずは無いし、まして腐敗もせずに生きていた頃のまま発見されたら殺人事件。
五芒星の鳥居をくぐると玉砂利と緑豊かな敷地が広がった。
清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んで、周りには観光客の何語だか分からない言葉が飛び交っている。そんな中で今日はダボっとしたルーズティーシャツ姿の清涼が、くんくんと鼻を鳴らして空気を嗅いでいる。
「お前は犬か」
「兄と母の香がする」
清明神社の中には妖狐葛の葉を祀った稲荷神社も有るはずだ。
「その嗅覚で自分の身体を探し出せ」
そーら行けと放ってやると、清涼は犬のようにかけて行って、あっちの木陰こっちの石の下と覗いている。清涼の肉体は蟻んこサイズなのだろうか。
それにしても今日のティーシャツは悪かったなと、駆け回る清涼を視線で追いながら紅葉は思った。肩が落ちそうで落ちない襟ぐりの広いルーズティーシャツは、屈んだ時など無い胸が見えそうだ。長い髪のせいで一見女の子にも見えるので周囲の男の視線が痛い。というかそんな所を覗き見されたくは無い。
「清涼」
呼ばれて戻って来た清涼の横に紅葉がぴったり寄り添うと、賢道が面白そうにニヤニヤ見ている。
「ヤキモチ焼きの旦那は大変だな」
「俺は周りに気を使ってんだよ」
まぁ、悪く無い。
清涼の態度を見ていれば全身で紅葉に一直線で、追われるよりも追う恋愛の方が面白いけど、こんなに好きと言われるのも悪く無い。だいたい恋愛なんてどっちかが始めなければ始まらないから……。
そう思った紅葉は、ふと何か大事な事に気付いた気がして、待てよと思う。
ちょうどその時に賢道のポケットから着信音が響いて、ちょっとごめんと賢道が離れて行く。
「紅葉、我の肉体の気配が無い」
がっかりとしょぼくれた清涼に、そうだろうなと思う。現実的に考えればそんな前の遺体など残っていないはずなのだ。けれど非現実な事が実際に起こったのは確かで、見えない世界を認めずにここまでやって来た紅葉の落ち度なのかも知れない。清涼が有ると言うのなら、きっとどこかに有るのだろう。
「ごめんね、一度寺に戻って出直そう。色々調べてみるよ」
「では、母に挨拶をして参る」
そう言って清涼は稲荷神社の方に駆け出した。
さっき何か大事な事に気付きかけた気がしたんだけど、電話が鳴ったり清涼がしょんぼりしたりで忘れてしまった。
観光客に混じって絵馬を眺めている清涼の姿を離れた場所から見つめていた紅葉は、視界の隅にふっと白い物を見た気がして目を瞬かせる。
居る。木の枝に白い狐が座っていて、上から清涼を見ている。
ふと白狐がこちらを向いて大きなつり目と目が合ったような気がした瞬間、狐は白い煙になって枝から飛び降りた。そして紅葉に向かって風のように吹いて来る。
「うわっ……」
白い煙が身体の中を通り過ぎて、きゃらきゃらと笑う甲高い女の声が空気に溶けて消えて行く。
「なんだ、今の……」
絵馬を見ていた清涼が弾かれたように紅葉を振り返って、その隣にはさっきの白い狐の姿がいつの間にかあった。
葛の葉は白い狐という説も有る。
しかし何故紅葉に見えるのか。
「居た居た、紅葉」
電話をするためにどこかに消えた賢道が走って戻って来て、あぁ疲れたと自分の膝に両手をついた。そうすると普段見えない賢道の脳天を見る事になって、金髪頭がよけいにひよこみたい。
「清ちゃんのボディあった?」
「いや。清涼が言うには、気配が無いって」
「そっか。さっきの電話晃さんだったんだけど」
「晃さん何だって?」
遠くに見える清涼は神社の隅っこで白い狐と笑顔で喋っていて、やはりあの狐は葛の葉なのだろう。紅葉は見えないはずの狐が見えるようになってしまった自分の目を何度も擦ってみる。
「あ、お母さんか」
狐に気付いた賢道が事も無げにさらっと言ってしまうのもまた凄い。
「お母さんに聞けば早いか。すいませーん」
見知らぬ狐に向かって片手を上げる賢道が大物過ぎる。まだそんな不思議な事に慣れない紅葉は周囲の視線を気にしたけれど、こちらの様子を見ている人は誰も居なかった。
賢道が呼んだのは葛の葉のはずなのに、清涼が走って戻って来た。
「清ちゃん、お母さんは」
「帰った。仲良くして貰いなさいって」
どこに帰ったのだろう。絵馬の後ろを見ても木の上を見てももう居ない。清涼は嬉しそうに笑っていて、帰ってしまったのなら仕方ない。
「じゃあ俺らも帰ろうか。京都駅で晃さんが待ってる」
「なんで晃さん?」
「昨日のバイト代まだ貰って無いだろ。向こうも京都から出るみたいだし、ここで貰っておかないと」
「ああ、そっか」
駐車場に戻った賢道はトランクを開けて荷物の整理を始めた。先に乗り込んだ紅葉と清涼は、車の中から後ろを向いて外でトランク整理をしている賢道を眺める。
「晃さん、紅葉んちの寺に住むって」
「はいー?」
そんな事は聞いていない。ひとっことも聞いていない。
「うちでもいいんだけど、うちの寺は修行僧いっぱい居るじゃん。晃さん破門されてるから嫌みたいなんだよね、だから紅葉ん所なら他に気兼ねしなくていいだろ」
「いや待て、うちは貧乏過ぎて口端がもう一人増える余裕が無いし、和尚がなんて言うか」
「あの人相当稼ぎいいよ。何しろ悪徳でも霊媒は本物だし、家賃入れて貰えば」
悪徳って言ったな。今確かに悪徳って言ったな。そりゃ一晩でバイト代三十万払える仕事を取るのだから悪徳だろう。
「それに危ない仕事も有るから仲間が欲しいんだって」
「仲間を選ぶ権利がこっちにだって有るだろ」
「紅葉は求められて無いと思うけど。あぁ、でも清ちゃん使うなら紅葉いないとダメか。妖狐は気まぐれだし飼い主の言うことしか聞かないしなぁ」
車を発進させながらブツブツ言っている賢道は置いておいて、後部座席に並んで座っている清涼の機嫌がどんどん悪くなっているのが伝わって来る。何しろ畜生呼ばわりされて、完全に道具扱いだった。
「清涼、あの……」
「食うぞ。あの者、我が君に近付くならば食って始末する」
あ……。
紅葉は思い出した。さっき自分が何に気付きかけたのかを。
清涼は人間じゃない。
幽霊を認めて、清涼が妖狐の幽霊だと認めてしまったら、紅葉とは時の流れが違うのだ。千年以上も前から存在している清涼から見れば人間など生まれてすぐに死んで行く、紅葉もまたその一人。好きだと一直線に向かって来る清涼を受け入れてしまえば、きっと紅葉が死んだ後も清涼はずっと存在し続ける事になるのだろう。たった一人で。
そんなのは可哀想過ぎる。
さっきまでの楽しかった気分が急にしぼんで、紅葉は口を閉ざした。
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