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第12話首転げ地蔵

 京都から晃を連れて寺に戻ると、和尚はうーん……と難しい顔でハゲ頭をテカらせた。庫裏の座敷は掃除が行き届いていて、山々を渡って来る風が小ざっぱりとした畳に清々しい。 「恥ずかしい話、うちには一人養えるだけの経済力が」  和尚の言う事は最もで、檀家が少ない上に余計なお布施も受けない主義の山寺は貧乏。  そこに和尚と対峙している晃がサッと計算機を取り出した。 「月々の家賃ですが、これ位のお支払いでいかがでしょうか」  タタンっと指先軽く計算機を打って和尚の前に差し出し、次いで紅葉に仕事の補助を頼む事があったらと、更にキーを打つ。 「一回のバイト代がこの位でいかがでしょう。難しい件が飛び込んで来た場合には上乗せしてお支払いします」 「ほーぅ……結構、結構」  ニンマリと笑った和尚に、紅葉は生臭坊主の顔を見た気がした。 「これもうちの出来損ないを精進させよという仏の思召しかも知れない。紅葉、晃さんに南の一番いい客間を使って貰いなさい」  いや違う、きっと切迫した台所事情を心配しての事で、地獄の沙汰も金次第なんてそんなこと。 「それより紅葉、夕方から通夜が入ったので支度を頼んだよ」  和尚も和尚で忙しいようなのでとやかく言うのもと、紅葉は頷いた。  さて、晃に使って貰う南の客間の掃除を始めた紅葉を、襖の後ろから清涼が見ている。 「清涼、暇なら手伝って」 「晃の寝所を整える我が君など見とう無い」 「だったら手伝えよ」 「我はもっとやりとう無い」  あの目。  襖をちょっと開けて廊下から覗いている清涼の目が恨みがましい。 「あのね」  紅葉は壁にハタキをかける手を止めて襖に近付いた。 「晃さんも色々忙しくて留守にする事も多いようだし、単なる間借りだろ。気にするなよ」  聞けば晃は主にネットで除霊の依頼を受けていて、住居を固定せずに全国を転々としているらしい。寺に居るのもしばらくの間という事で、風が吹いたらどこかに行く人なのだろう。家族も親戚も居らず、待っている人もいないので気楽な根無し草生活だと晃は笑って話してくれた。 「天涯孤独かぁ……」 「紅葉には和尚も居るし我も居るのに、寂しいか」 「いや、全然」  でも根無し草と言った晃はどうだろう。帰る場所も待つ人も居ないのは、足元がグラつきはしないだろうか。今思えば京都の浄霊は手に余ると分かっていたから紅葉達にバイトを頼んだので、もしも偶然出会わなければどうなっていたか分からない。身軽さ故に危ない橋を渡っているような気がした。 「晃さん……」  視線を足元に落として切なそうに呟いた紅葉に、清涼は丸い目を更にまん丸に見開いてよろめく。 「うぬれ憎きは晃よ。我が君を誑かしおって」 「なに勘違いしてんだお前は。心配してるだけだろ」 「紅葉が思うのは我の事だけならいいのに」 「清涼はさ……」  今一緒にいる時間は紅葉にも清涼にも平等に流れている。だから会話が出来るし、焼きもちも妬く。なのに清涼の時間はとっくに止まっていて、永遠に存在し続ける。紅葉が死んだ後も。  逆に清涼の身体を見つけて成仏させてやれたとしたら、紅葉が死ぬまでも同じ一分一秒。清涼の居ない時間を紅葉は一人で過ごすのだ。一緒に生きて行ける未来が無い。 「俺のどこがそんなに好きなの?」  そう聞くと、清涼はただてさえ丸い目をまん丸にして 首を傾げて思案顔になった。 「どこって……」 「うん?」 「まるで怪物のような大男だし、面も頭が小さく頬が細くて目が大きい不男……」 「待て待て待て、貶しめ過ぎだ」  妖怪に怪物のようと言われる筋合いは無い。小顔で背が高いのは格好いいじゃないか、まぁ賢道の方が格好いいけど、悔しいけど賢道はイケメンだ。  けれど清涼は、あれ程の不細工は可哀想になると首を横に振った。 「お前、趣味悪いな」 「だから君の内面に惚れておる。素っ気なくて冷たい男がたまに優しいと、こればっかりはどうにもならん」 「お前、マゾだな……」  怒っていいんだか喜んでいいんだか複雑な気持ちになって気付いた。清涼の審美眼は千年以上前のもので、今とは感覚がまるで逆なのだ。その頃の日本人と言えば今よりずっと小柄で頭が大きかったはずだから、今で言う格好悪いが千年前の格好いいになる。現代人でも余裕でデカイ方に入る紅葉などは確かに気味が悪い程の大男だろう。加えて裕福な象徴で肥った男が美男とされ、顔ものっぺり瓜実顔が美形だったらしい。  その時、コンコンと窓を叩く音が聞こえてそちらを見ると、ヒゲもじゃのひどく汚い男が窓の外からこちらを覗いていた。 「……うっ……」  寺の境内まではよく人がやって来るが、庫裏の窓を覗く人は滅多にいない。それが伸び放題の髪が油と埃にまみれて固まり、ヒゲもボウボウで着ている服も汚い男となると、浮浪者か。 「なっ……なんですかっ」  とっさに清涼を背中に隠して前に出た紅葉は、男の虚ろな目に見つめられてゾッとした。頬まで伸びた前髪の間から見えた目が糸のように細くて、ヒゲの間でモゾモゾと動く乾いた唇が掠れた声で何か言っている。 「え?」 「食べ物を……お坊さん、食べ物を下さい……」 「あぁ……」  物乞いかと、紅葉は肩の力をホッと抜いた。きっと飢えてどうしようも無くなり寺を頼って来たのだろう。 「あいにく和尚が法事に出ておりますが、それでもよろしければ玄関に回って下さい。」  頷いた男が玄関に向かうために窓から消えて、紅葉は少し緊迫した声で清涼に言う。 「清涼、晃さんと一緒に居て」 「いや」  即答。  何でこうも察しが悪いんだと頭を抱えたい。浮浪者の荒れた雰囲気は異質で、物乞いと寺に入れたら豹変しないとも限らない。どこから見ても弱っちぃ清涼なんか真っ先に人質に取られそうなので、隠れて欲しいのに。 「聞いて、これは命令だ。晃さんと一緒に隠れてろ。俺が迎えに行くまで絶対に出て来るなよ」 「いや」  侍従契約だの従属だの言ったって、清涼が素直に言うことを聞いた試しが無い。いっそ隷属させてやりたくなる。 「お前はどうやったら言う事聞くんだよ」 「主人に庇われる従者など必要無い。我を盾にし、君が逃げればよろし」  どう言っても聞き分けそうに無いし、さっきの男を玄関で待たせたきりにしておくわけにもいかないし。 「分かった、清涼は盾だ。何があっても俺から離れるなよ」 「元よりそのつもり」  ふふーんと満足そうに清涼は笑う。正確には紅葉の背中について離れるなという意味なのだけど、颯爽と前を歩こうとする清涼がまるで分かっていない。  浮浪者は座敷で丼三杯の飯を平らげた後、風呂にまで入りたいと言う。図々しい奴だなと思いながらも紅葉は渋々風呂の用意をしてやった。 「いい風呂でした」  ホカホカに茹った浮浪者は汚れとヒゲをすっかり落として、こちらがぽかーんと口を開けてしまうほどに様変わりして風呂から上がって来た。濡れた髪を清涼のヘアゴムで一括りにして、ヒゲが無いから一筆書きしたような瓜実顔がはっきり見える。異様に撫で肩で頭が大きく、小太りで背の高い男。  それを見た清涼がひゃーっと悲鳴を上げた。 「ななななななんて……」  何に驚いたのか、ただでさえ大きな目を更に大きく見開いて目玉が溢れ落ちそうだ。 「なんて麗しいお方」 「は?」  紅葉は思いっきり首をひねった。 「ひゃーひゃー紅葉、いかが致そう。我はもう、我はもうっ!」  清涼が異様に興奮している。両手で口元を隠して紅葉の背中に隠れて、チラチラと浮浪者を盗み見ている。  分かりやすい。  ふーんと、紅葉は背中で呆れた気配を漂わせる。  純日本人体型のおっさん浮浪者はつい先程考えていた千年以上前のいい男その物。つまり清涼の好みのタイプど真ん中。 「趣味わる……」  そこはどうでもいいけど、ちょっと前まで我が君我が君言っていたくせに。 「お前は俺の盾だろ、やっつけろ」 「盾は攻撃出来ぬ」 「使えねぇ。えーと、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」  紅葉が名前を尋ねると、浮浪者は地蔵と名乗った。地蔵……名は体を表すと言うけれど、なるほどお地蔵さんにそっくりな人だ。 「お地蔵さんですか。えーと、寺の和尚は通夜に出かけてまして」  和尚からありがたい説法の一つも聞いて行って欲しいのだけれど、あいにくと和尚が留守。察した地蔵はまた来ますと大人しく帰って行った。

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