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第14話

 ザザザザと駆け足で坂を下って来た黒い影が目前まで来た時、木漏れ日が差して顔が見えた。 「……なんだ、地蔵さんかよ」  紅葉は詰めていた息を大きく吐き出した。影の正体は昨日会った浮浪者の地蔵さんで、つるんとした顔の中で細い糸のような目がにっこりと笑っている。 「寺の坊さんですか、昨日はお世話になりました」  まったく、人を妖怪か何かのように思うなんて、幽霊に慣れ親しんでしまった症状に違いない。 「いえ、じゃあ俺たちはこれで」 「紅葉、知り合い?」 「昨日寺を訪ねて来た方で、ちょうど和尚が居なかったから……」  地蔵とすれ違って獣道を進みかけた所で、薄い頬をやけに緊張させた賢道が手に数珠を強く握りしめているのを見た。  思えば不自然では無かっただろうか。腐葉土が積もって柔らかな土の上を、地蔵は絡まる蔦も行く手を阻む枝も物ともせずに走って下って来たのだ。登っている紅葉達でさえ枝が邪魔で進み辛いというのに、凄いスピードで。 「……賢道」  それにいつに無く緊張した賢道の面持ち。  頷いた賢道に、紅葉はまさかと思う。昨日ふらりと寺に現れて遠慮もなく丼飯を平らげ風呂まで入って行った、図々しいあの浮浪者が。そうだ、あの時和尚は通夜に出掛けて留守で、晃は散歩に行っていた。寺には霊感なんて無い紅葉と、相手が人間でも妖怪でも気にしない清涼の二人だけで。  ケタケタケタケタケタケタ!!  急に響いた不気味な笑い声に振り返ると、少し離れた場所から地蔵がこちらを見上げて笑っていた。 「ケタケタケタケタケタケタ!!愚かな坊主めが、やっと気付いたか。お前の眼は節穴、ケタケタケタケタ」 「なんだとコラ、昨日飯を食わせてやった恩を忘れやがって。お前ニワトリの妖怪だろう」 「ケタケタケタケタ!私は地蔵、悲嘆地蔵。数多の人の悲しみを吸い上げ、私を粗末にする者に悲しみを投げる。お前の大事なものは私が貰った。悲嘆にくれろ」 「はぁ?丼三杯食ったくせに粗末とは、貧乏寺に食いに来ておかずに文句言うんじゃねえよ」 「待て、紅葉。お地蔵さん、あんたが清ちゃんを隠したのか」 「ケタケタケタケタケタケタ」  賢道の問いかけに地蔵はケタケタと笑うばかりで答えない。  それにしても地蔵とは、名前の通りに道端に立っているお地蔵さんなのだろうか。糸のように細い目とのっぺり顔。頭が大きくてなで肩の、あの地蔵。よく見ると特徴が地蔵その物に見えて来て、それにしてもお地蔵さんが何故人に化けて出歩いているのだろう。 「答えろ、清ちゃんをどこに隠した?」 「ケタケタケタケタ愚かなり、愚かな人間に天罰を」  ケタケタケタケタケタケタ……。  地蔵の笑い声が辺りに響き渡って、それは木々の間を縫って山を下り田畑を渡って里にまで降りて行く。どこまでも青い空は悲しみの青で笑い声を吸い上げ、貧乏寺では晃が窓の外を見上げて、金持ち寺では数人の僧侶が顔を見合わせた。  ケタケタケタケタ……。  賢道と二人で寺に戻った紅葉を待ち構えていたのは、いつかの晩のように門の前で仁王立ちする和尚の姿だった。 「このバカ二人がっ!!」  怒りの鉄拳が二人の頭に……背が伸びすぎて和尚をとっくに追い越しているので、拳で胸をど突かれた。 「お前らは一体何を目覚めさせた、何を呼び込んだ、山で何をやらかした!いい年して子供の頃とちっとも変わって無い悪ガキが」  そんな事を言われても、地蔵は勝手に歩いてたし、奴が寝てたかどうか知らないし、山に行く前からだし。と言いたいのに言えば百倍返って来るから言えない理不尽。  そこに一台の黒いワゴン車到着して、中から作務衣姿のデカイおっさんが降りて来た。 「ご無沙汰しております、和尚」  金持ち寺の住職、賢道のお父さんだ。鍛え抜かれた肉体は職業を間違えているんじゃないかと思うガチムチ。坊さんなのにボディビルダーのようになってしまっている。 「先ほど山で何かが起こった気配ですな、風が運んで来ました。うちの愚息が関係しているのでしょうか」 「これはこれは。まぁワシもまだ話を聞いておりませんので、中でそこの二人に聞いてみましょう。さ、どうぞどうぞ」  急に外面良く好々爺を装う和尚に、紅葉と賢道はさっきバカ呼ばわりしたくせにと顔を見合わせた。  集められたのは奥座敷で、座卓に向かう和尚と住職に晃がお茶を出して、紅葉と賢道は壁際に正座させられた。 「この寺は、何やら獣の匂いがします。それにそこの君、君はいったい何者ですか」  これまでの事を何も知らない住職が、何か言う前から晃の霊力と清涼の獣臭を言い当てるのが凄い。 「初めまして、寺に間借りしております市川 晃と申します。陰陽道で学んでおりましたが、訳あって今は霊媒師を生業としています。寺に立ち込めます獣臭にお気づきとは、さすが住職。住職相手に隠し事は出来ないと、掻い摘んで説明させていただきます」  ささっと名刺を出して自己紹介をする晃は慣れた風で、二人に変わって清涼の事を説明してくれた。  話が地蔵の件になったら今度は二人の番だ。渋々と昨日地蔵と名乗る浮浪者が訪ねて来た事、そして先ほど山で地蔵に遭遇した事を話すうちに、住職は腕組みをして思案に入り、和尚は開け放たれた障子から空を眺めた。 「山の釈迦堂に並んだ地蔵はどうしましたかな」 「あの場に残され、地域の者達が年に一回花祭りで慰めていると思いましたが」  釈迦像の無い花祭り。有るのは地べたに並んだ地蔵で、苔むし朽ちて行く様が安易に想像出来た。そう言えば地蔵は昨日来た時、浮浪者と思ったほどに薄汚れた有様だった。 「稲荷が地蔵の元に居るとなると……稲荷と地蔵で稲荷神社、もはや神です」 「ぷぷっ、清ちゃんが神とか親父ウケるんだけど。鳥居買って来よう」  とうとう耐えられなくなった賢道が一人で言って笑いを噛み殺している。 「笑うな、賢道。実の親父に抹殺されるぞ」 「だって清ちゃんが神様だったら日本誕生してねぇよ、古事記が困るだろ」 「同意しますね、あの畜生を崇め奉るなんて地獄に落ちても嫌ですわ」 「晃さんはそんな事しなくても地獄に落ちると思うから大丈夫ですよ」 「賢道くん僕の人生に何か文句でも有ります?ねぇ、僕の人生の何を知ってるんです?」  壁際で喧嘩を始めた数分と黙っていられない三人に、うるさいっ!と住職が怒鳴って三人は揃って首をすくめる。 「仕方ない、明日うちの寺の修行僧達総出で山狩りをして稲荷様を見つけ出します。地蔵の方は既に妖怪に身を落としているなら、その場で消滅させる事になるかと思います」 「山狩りには紅葉とそこの晃くんも行かせますので、よろしくお願いします」 「陰陽師の彼は頼もしい限りです」  頼もしいのは晃限定らしい。紅葉は頼り無いらしい。霊感無いとダメらしい。霊感人間達に囲まれていると、いつだって味噌っかす扱いで面白く無い。世間一般では紅葉が普通で自分たちが異常と気付けばいいのに。  いつだって必要とされない境遇に、我が君我が君と必要としてくれた清涼が貴重だなと思った。  どうしてあんな意地悪しちゃったかなぁ……。  大人気無い嫉妬とヤキモチだったと分かれよって感じだけれど、それは紅葉も同じだ。晃ばかり気にしたから清涼がスネたんだ。 「あーぁ……」 「なに、紅葉どうしたの」 「別に。喋ってるとまた怒られるだろ」  何はともあれ、明日になればきっと清涼は見つかるだろう。

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