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第15話
さて翌日。朝も早くから山の獣道を総勢二十人を越える僧侶達が念仏を唱えながら登って行く。黒の法衣に黒の袈裟、草履で踏みしめる草は折れてシュルシュルと地べたに張り付いた。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五 蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不……。
低い声で一斉に唱えられる念仏に時折周囲の草むらがカサカサと音を立て、ウサギか何かの小動物が逃げて行く。蝉時雨さえピタリと止まり、不気味な僧侶の集団が通り過ぎるのを息を殺して待っている。
「いつもこうなの?お前んち」
その列の一番後に着いて行く法衣姿の紅葉が聞くと、まぁね……と、少し疲れたように顕道が笑った。
「あの一番前の人、格好いいですよねー」
強制参加の晃は面倒臭がるかと思いきや意外にも乗り気で、あっちの坊さんがかっこいい、こっちの坊さんがかっこいいと修行僧の品定めに忙しい。
「あぁ、あれ俺の二番のにーちゃんで頼道。出家して無いから僧じゃないよ、普通に調理師。髪の毛あるでしょ」
「へぇ、すこぶるかっこいいお兄さんですね、頼道さんか」
「あの兄ちゃんはかっこいいけど、おっかないから近付かない方が無難だよ」
「え、手当たり次第に食いまくり系ですか?」
「仲良く無いからそんなプライベートは知らないし、その怖いじゃないし。うーんと、異常なんだよ」
賢道と晃は話しながらザクザク山を登って行く。紅葉は木のうろや地面に空いた穴なんかをキョロキョロと覗きながら、緑の中に清涼の姿を探して歩いた。
やがて山の中にぽっかり空いた空間が覗いて朽ちた釈迦堂が見えた。僧侶の集団が一箇所に集まって読経を始めたので、目的地はここだったらしい。
釈迦堂は記憶のお化け屋敷よりも更に朽ちて、お化けも住めない有様になっていた。木の三角屋根はかろうじて柱だけを残していて板は無く、雨が降れば雨ざらしの中はどうなっているのか。抜けた壁板から見えた堂の中は緑の草が茂っていた。
紅葉は僧侶の集団から離れて一堂の裏に回る。
「清涼、清涼、出て来いよ」
堂の裏は空気がひんやり冷たくて、湿った土の匂いと腐った木の匂いがした。コツンと草履の爪先が石に当たって、タンスの角にぶつけるのとどっちが痛いだろうと草の上にしゃがみ込んだら、石の正体はお地蔵さんだった。横たわった下半分が地面に埋もれて緑の苔が生えている。それによく見れば頭が無い。首からボッキリ折れて頭がどこかに無くなってしまっていた。
「これは……」
もしかして。
その辺に地蔵の首から上が転がって無いだろうか。
そうこうしているうちに顕道の所の修行僧が動きを変えた。一箇所にまとまっていた彼らは大きく間隔を開けながら配置し、釈迦堂の土地を囲んで広範囲を包囲する陣を組む。
「どうするつもりなんだろ」
首を伸ばして様子を伺った時、なんだお前かと背後で声がした。驚いた紅葉が振り返ると、おっかないから近付くなと実の弟に言われていた頼道が居た。鋭い目をしたイケメンは賢道とよく似ているけれど、雰囲気が全然違う。あのチャラ坊主をシブイ系にすると格好良さ倍増。
「妙な気配がする。お前何か持ってるだろ」
低い声で風が吹くみたいにひっそり喋る有髪の僧侶。
「え、別に何も」
「いいもん持ってるな」
薄い唇の片端をニヤリと引き上げた頼道が首なし地蔵を見ている。その目付きが筋者の目付きで怖い。賢堂が異常だとか怖いとか言っていたのは霊感が強いのかと思ったけど、実は調理師というのは世間を偽る仮の職業で本職はヤの付く自由業なのかも知れない。
賢道は同い年なので幼馴染だけれど、そのお兄さんとなると一緒に遊んだ覚えも無いからあんまり覚えて無くて、何をしているかなんて知りようも無い。
「えーと、首が無いんですけど」
きっと職業ヤの付くやつだと恐る恐る言うと、見れば分かると頷いだ頼道はすっと庫裏を指差した。
「首はあっちだな」
昔は坊さん一家が住んでいただろう三角屋根の庫裏は屋根に所々穴が空いて、瓦の間からは草が生えてと、もう数年で土に還ってしまいそう。
「分かるんですか?」
「首は家ん中で漬物石にでもなってんだろ。気配は二つ、一つはその地蔵でもう一つはお前が探してる狐。両方とも妖怪だな、会った事無いからどっちがどっちの気配か知らね」
清涼は庫裏に居ると一瞬で探し当てた頼道が凄い。紅葉は思わず尊敬の眼差しを向けてしまう。
「お兄さん俺の事おぼえてます?弟子にして下さい」
「ジャガイモの皮むきからだぞ」
そっちの弟子じゃない。
「それより地蔵はもうダメだ、救えない」
「ダメって?」
「忘れ去られた神はモノノケになる場合が有る。この地蔵は置いて行かれた寂しさから人を恨んだな」
「あっ、悲嘆地蔵って……」
長い間釈迦堂で民を守って来たのに、置いて行かれた。ここにいるのになぜ誰も来ない、どうして人は簡単に忘れ去る。あんなにも通ってくれたのに、だから尽くしたのに、あんなにも、あんなにも……。
悲嘆にくれたのは地蔵本人か。
「紅葉、お前の狐を起こせ。修行僧たちに狐と地蔵の気配を見分けるのは無理だ。寝てる間にやられるぞ」
「え、清涼寝てるんですか?」
こんな時に。呼んでも呼んでも来なかったのはぐっすり寝コケているからで、囲まれている今ですら寝てるのか。
あの清涼ならあり得る。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五 蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不……。
修行僧達が外周で唱える般若心経が風に乗って聞こえて来て、頼道がはっとしたように後ろを振り返った。
「まずい、油断した。来るぞ」
「えっ、何が?」
何が来るのか。
答えより先に生暖かい風が吹いて足元の雑草がザーッと翻り緑の色を変える。と、そこに何やら小さな生き物を見た気がした。
妖精?
紅葉が思わず腰を落として顔を近付けて良く見ようとしたら、すかさず頭をグーで殴られた。酷い。
「来るって教えてんのに、何引っかかってんだ、お前は」
「えっ、だって妖精が」
「炎」
頼道が呟いた瞬間、緑の葉っぱの上で小さな妖精が一斉に燃え上がって断末魔が幾つも上がる。
「うそっ、ひでぇ」
「山の妖怪だ。地蔵が操ってる」
特殊過ぎる。この人は何者なのだろう。
異色色即是空空即是色受想行識亦復如 是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄……。
四方八方から聞こえていた心経を唱える声が一ヶ所に集まって、見ていたら賢道がみんなを集めて結界を張っる仕草をしている。
「だから弱いのが数だけ居ても邪魔だって言ったんだよ、これで賢道が塞がれた」
修行僧を守るために戦闘力が一人減ったという意味なのだろう、頼道がチッ……と舌打ちをする。
その時朽ちた家の庭で大きな竜巻が起こって、無数の白い紙切れが風に舞って辺り一面に飛び散った。それが地面に敷き詰められて一気に赤い炎を上げる。
「誰だ。式紙使いか」
そんなの晃しかいない。陰陽師は式神を操るのが本職だ。
ティーシャツ姿の小柄な晃が予想外に軽い身のこなしで飛び回りながら、ジーンズのポケットから紙を出してパッパと撒くと、風に乗った紙が散って一斉に燃え上がる。
何匹もの妖怪を焼き殺す炎の真ん中で顔を引き締める晃はさながら悪鬼のようで、地獄絵図。容赦ない、迷いも無い、情もない。あの人が一番怖いかも……。
「すげぇな、あれが居れば役に立つ。いいから紅葉は狐を探しに行け」
頼道に言われて、紅葉は駆け出した。
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