9 / 20

第9話

 新しい環境に忙しく、庄一が裏山に入れたのは、夏になってからだった。 4月に飯田教授の助手として大学に就職し、すぐに大きな学会の手伝いがあった。藤乃とも庄一の実家の敷地内に別宅を建てて、二人きりの新婚生活が始まった。庄一には苦痛でしかなかった。さらに、周囲からは早く子どもを作れと事ある毎に言われていた。 庄一はウンザリした顔で山を歩いていた。 (美人だろうとなんだろうと、俺は藤乃を好いていない。それなのに、どうこう出来るはずがないだろう。そもそも今まで好いた女性などいなかった) パキリと小さな小枝を踏んだ瞬間、ハタと庄一は気づいた。 それなら、自分は『誰』となら、行為を及ぶことが出来るのだろうか? 脳裏にスイの顔が浮かんだ。 ぎくりと、庄一は足を止めた。 そんなことはない。そもそもスイは人間ではないし、雄だ。確かに、美しいとは思うし、愛らしいとも思う。けれど、この感情は、そのような好意とは違う。 庄一は頭を軽く振って、歩きを再開した。 きっとスイと長い時間会わず、ようやく会えるから気持ちが高まっているだけだ。だから、スイの顔が浮かんだんだ。 本当のスイに会えば、こんな考えはすぐに消え去る。 そう思い、歩みを速める。そうして、久しぶりの山小屋に息を切らしながら到着するも、いくら待ってもその日、スイは現れなかった。

ともだちにシェアしよう!