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灰色の糸第8話
眠りについたのは朝方で、起きたのは9時ごろだった。
頭はぼやけて重苦しい。
だるいけど二度寝する気にもなれずにシャワーでも浴びてすっきりしようかと階段をおりたらちょうどリビングへはいろうとしていたお袋がいた。
「おはよう、陽」
「はよ……。帰ってたんだ?」
泊るって言ってたけど深夜に帰ってきたのか。でも寝る時まではとくに物音はしなかった気がする。
「ついさっきね。着替えもあるし、またお昼頃に向こうにいく予定よ」
「……ふうん」
「……離婚したのはまだ陽が小さいときだけど……向こうのお義母さんとは定期的に連絡を取って陽の写真とか送ってあげてたの。だから、できるかぎりお手伝いしてあげたくて」
お袋はきのう俺が少し疑問に思ってたことを察していたのか訊いてもいないのに伏し目がちにそう言った。
「……いいんじゃない。俺もいろいろしなきゃなんきゃいけないんだろうし。ひとり向こうにいてもしんどいし」
篠崎家にとって俺は間違いなく身内だ。血のつながりがある"父親"の実家。
ただ向こうにとっては俺は篠崎啓介のこどもで、孫だったり甥だったりするのだろうけど―――俺にとってはきのう知ったばかりの……こんな言い方しちゃいけないんだろうけどアウェーだ。
息子なんて名ばかりの俺がなにを……どう、共感できるんだろう。
俺は篠崎家のひとたちと同じように父親の死を悼むことはできないだろう。
「……そうね。朝ごはん、食べるでしょ」
「ああ……うん、先にシャワー浴びてくる」
「わかったわ」
リビングへと入っていくお袋を見送って俺は風呂場に向かった。
熱いシャワーを頭から浴びる。
夏で暑いのに熱すぎるほどのシャワーに汗がにじみ出ては流されていく。
『―――陽』
思い出すつもりもないのに、勝手に甦る声。
『やば……っ、んっ、こんな朝っぱらから……キリない』
『洗ってあげるだけのつもりだったんだけど……ごめん』
『いいよ……ぁ、っ、いれてほし……もん、啓介の』
ぐらりと世界が揺れる。
シャワーの音が、あの日の翌朝の光景を連れてくる。
―――ガン。
額をタイルに打ち付けて、シャワーを止めた。
「……イテ……っ」
じんじんと痛む額を摩りながら振り切るように浴室を出る。
髪を乾かしてリビングへ行くと、朝食のいい匂いが漂っていて。
「おはよ」
「おはよう」
「陽、これ持っていって」
ダイニングテーブルに達哉がいて親父がいて俺を見て朝の挨拶をしてきて、お袋がキッチンからスクランブルエッグとサラダとウィンナーののった皿をカウンターに置いて。
「……おはよ」
親父たちにいいながら皿を取っていつもの定位置に座った。
こんがり焼けたトーストの匂い、コーヒーの香り。
なんでだか、急に眼の奥が熱くなってぐっと奥歯を噛みしめた。
いつも通りの朝を終えて、いつも通りには行かない日常が始まる。
達哉を残し、親父の運転で俺たちは出掛けた。
朝の開店と同時に入ったのはスーツ専門店。
高校生のころ親戚の葬式にでたことがあった。
そのときは制服を着ていった。
だけど今回はそうもいかない。
俺は喪主になるらしいし、喪服を持っていなかったから一式買い揃えることになった。
てっきりブラックスーツだろうと思っていたら喪主の正装はモーニングコートだと言われてまず試着してみたけど店員さん含め親父たちからも苦笑いされた。
いまはブラックスーツが一般的になってるから問題ないでしょう、と店員さんにすすめられ今度はシングルとダブルを試着した。
結局はシングルのダークスーツに決まった。
とくになんの変哲もないブラックスーツ。
黒のネクタイもつけて、黒の靴下に黒の革靴を履いて。
当然だけど全てが黒。
鏡の中の自分はただ無表情だった。
喪服は通夜の前に着替えることになって私服に戻る。お袋が会計を済ませると篠崎家へと向かった。
車内ではお袋が今日の夕食の話をしていて、親父が達哉とファミレスにでも行くと言っている。
ふたりの会話は淡々としていて、それを聞きながら篠崎家へとつづく景色を眺めていた。
***
「陽くん、今日はよろしく頼むよ。私たちもついているから、心配しなくていいからね」
どんよりと沈んだ空気の篠崎家はきのうと同じく涙でぬれていた。
疲れた顔で俺に声をかけてきた中年の男性は伯父だった。
篠崎啓介の姉の夫。俺の伯父にあたるひと。
「……は、はい」
喪主をしなければならないと聞いてはいたから頷くけど、なにをすればいいのかなんてことはさっぱりわからない。
お袋に伯父さんがきのうからずっと手伝ってくれていることへのお礼を告げていた。
部屋へ入れば泣いている俺の祖母にあたるひと、沈痛な表情の祖父にあたるひと、そしてやつれた伯母にあたるひとが力なく座り込んでいる。
その傍らには、篠崎啓介が横たわっている。
布団に寝かせられた身体。
この部屋で唯一、息をしていない―――人間。
息苦しさを感じて、そっと深呼吸をする。
吐き出す息さえひどく震えてしまっていた。
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