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灰色の糸第9話
篠崎啓介の姿は視界には入っているけど、真っ直ぐ見ることができない。
だけどお袋が傍に跪き手を合わせれば俺もそれに続かなきゃいけないんじゃないか。
そろそろと生の気配のない“父親”のそばに正座する。
ちらりと見えた肌は白く、そろそろと視線を上げた先の顔は穏やかで、慌てて俯いた。
手を合わせてさりげなく、だけど急いでその場から離れる。
伯父さんと話しているお袋のそばにいく。
悲しみに暮れている祖父母のそばにはいれなかった。
居た堪れない。
薄情だとしても、俺は悲しみを共有できない。
いまだに、よくわからない。わかりたくない。
どうすればいいのか、わからない。
記憶にない父親。
記憶にある篠崎啓介。
まだ今はーーーなにも考えたくなかった。
幸いにもというか喪主としての仕事は多く、ほとんどを伯父さん、そしてお袋が仕切っていたが、時間の経過は早かった。
葬儀社のひととの打ち合わせに役に立たないけど参加したり。
通夜では俺が弔問客へ挨拶をしなければならないから、それくらいは自分でとスマホで検索してメモに書き出したりした。
受付は篠崎啓介の会社のひとがだとか、葬儀にふずいしていろんな情報がざわざわと耳から入って、俺の中で滞留していく。
父親の、篠崎啓介の情報が。
納棺の時間までは予想外にあっという間だった。
***
僧侶が来てさらに篠崎の家は重い空気に支配された。
やってきた親戚の人数も増え、誰もかれもが泣いている。
納棺のことだとかお袋に説明してもらうまではなんとなくしかわからなかった。
ひとつ、ひとつ、進んでいく。時間とともに執り行われていくことは、もういないけれどまだ残された篠崎啓介の肉体とも別れが近づいているということ。
それはひどく重苦しくて、きつい。
読経に混じる嗚咽。
突然の死をすんなり受け入れるはずがない。
空気がまるで鉛のように重く身体にのしかかっているような気がする。
俺はただ手にした数珠を俯いて見ていた。
「……陽」
お袋の声に呼ばれて我に返ったときには読経は終わっていた。
「あなたもしなさい」
「え……、あ、うん」
死装束を着せるらしい。お袋と葬儀社の中年男性に促され、篠崎啓介の傍らに膝をつく。”父親”と同じく俺の記憶にはなかったきのう再会したばかりの祖父母とともに白い装束を羽織らせる。
触れた肌、その重み。
あたりまえだけどそこに体温はない。
青白いずしりとした身体に触れた手が傍目にわかるほど震えてしまったけど抑えることはできなかった。
『陽―――。もし―――……』
なんで、いま、思い出すのか。甦るのか。
耳元で囁かれたかのように、あの日の翌朝篠崎啓介が俺に言った言葉が甦る。
ぐ、と奥歯を噛みしめた。
―――考えるな。
情けなくガタガタ震える手をまわりはどう思ったんだろう。
遺体に触れるのが初めてだから、と思ってくれていたらいいのに。
実際はじめてなんだから。
息を止めて、ただなにも考えないようにした。
棺に、と言葉がかけられて、”父親”を棺に納める。
そして本や煙草なんかが入れられていく。
啓介、啓介、と祖父母や伯母さんたちが呼びけけている声が遠く聞こえる。
「……大丈夫、陽」
納棺を終えて、後ずさった俺の背にお袋が手をおいた。
「……ごめん、緊張して……」
いまだに震えてる手を握りしめて俯くと、しょうがないわよ、とお袋は背をそっと宥めるように叩いた。
その温かな手に、すこしだけ詰めていた息を吐き出した。
***
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