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灰色の糸第10話
通夜はあっという間だった。
納棺したあと葬儀会場に向かった。通夜そして明日の葬儀の受付は篠原啓介が勤めていた会社のひとがしてくれた。
篠原啓介の仕事は文具メーカーだった。
38歳という若さ。まだまだもなにもなく当然働き盛り。
弔問客は多く、親族の控室からぞろぞろと受付にくる人々を眺めていた。
みんな一様に驚き困惑していたように見えた。
通夜の時間となり葬儀社のひとが進行し、僧侶の読経が始まる。
式場には鼻をすする音や嗚咽が抑えながらも読経に混じって広がっていた。
喪主である俺が最初の焼香をしなきゃいけなくて頭の中で手順を繰りかす。
焼香さえネットで検索してちゃんとしたやり方覚えたばかりの場違いすぎる自分に嘲笑さえ内心浮んだ。
まだ若い喪主の俺が誰なのかわからないのだろう。背中に注目を浴びながら焼香を終えた。
棺には、視線を向けれなかった。
親族のあと参列者が焼香に並び、それに頭を下げていく。
それが終われば喪主である俺が挨拶をし、式場内はざわめいた。
篠崎啓介が結婚したのは大学二年のころ。
友人関係では知っているひとたちもいるんだろうけど、会社関係者は知らない人ばかりだったようで沢山の視線にさらされた。
また手順を頭の中で繰り返し、口を動かす。
覚えた挨拶文。
―――涙を流さず淡々と喋る俺はどう映っているのか。
頭の隅でそう考え、でもどうしようもない。
ただ情けなく震える手を必死で握りこんで誤魔化して。
”父親”のために来てくれたひとたちに深く頭を下げることしかできなかった。
***
通夜ぶるまいは遺族のみ。それ以外の弔問客には折詰とお酒がセットになったものを持ち帰ってもらった。
それはもちろん俺が決めたんじゃなくて伯父さんやお袋が手配していたことだった。
突然の死。
まだ受け入れきれないから、語らうことなんてできないから、しょうがないんだろう。
弔問客がすべて帰り、遺族のみになった席はやっぱり淀んだ空気に支配されていた。
用意されていた寿司やオードブル、酒に手をつけるひとはいない。
「……陽。お腹すいたでしょう、食べなさい」
慣れない正座で隅に座っていた俺にお袋が紙皿にいくつか料理を取ってきてくれた。
「……ん」
戸惑いながら受け取るけど食欲はない。
空腹感は微かにあるのに、胸のあたりが重苦しくてとても食う気になれなかった。
「陽くん。私たちに遠慮せず食べていいんだよ」
そう俺に声をかけてきたのは、祖父というひとだった。
一夜でやつれた表情に俺をいたわるような笑みを浮かべ、
「陽くん、寿司はどれが好きだい? 玉子?」
と訊いてくる。
「……はい」
正直あまり玉子は食べないけど、嫌いではない。
でも俺の曖昧な気持ちが声に出てたんだろう。
祖父は小さく笑い、「陽くんが三歳くらいのときは玉子が好きでいつも玉子ばかり食べてたんだよ」と俺の知らない―――覚えてない昔話をした。
そっと皿に乗せられた玉子。
お袋が物憂げな表情でそれを眺め、俺はそれを食べて、口角を引き上げた。
「美味しいです」
甘い玉子。
『陽。ほら―――、あーん』
覚えてなんてない。
覚えてないんて、ない。
なのに、妙な懐かしさが一筋、湧き上がった。
***
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