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灰色の糸第14話

 告別式は当然、通夜以上の弔問客が訪れていた。  葬儀が始まる前に焼香をして俺たち遺族へと挨拶をしてくるひとたち。  高校時代の担任だという男は俺を見て複雑そうな表情を浮かべていた。  大学時代の友人だという男は俺を見て辛そうな表情を浮かべていた。  俺の存在を知らず驚くひとのほうが多かった気がする。  それもそうなんだろう。父親がお袋と離婚したのは大学生のころなんだから。  葬儀が始まって、いま会場を包み込むのは僧侶の読経だ。  どこから声を出してるんだろう。重低音な声音は耳触りがよくて粛々とした気分になる。  葬儀なのだから当たり前だろうけど。  数珠が手の一部になってしまったような感じを受けながら俯き気味に読経に耳を傾ける。  読経に混じる嗚咽は小さいものだけれど場内のそこかしこから――俺のまわりからもたくさん聞こえてくる。  誰もかれもが突然の死を受け入れることができないんだから。 『……おはよう。眠れた?』  早朝。お袋が迎えに来てくれた。 『うん』  実際よく眠れてはない。明け方寝たような寝てないような、夢を見ていたような見ていないような、浅い眠りだけはあった。  散らかしたDVDやアルバムを片づけて、割ってしまった写真立てはガラスを新聞紙に包んでゴミ箱に捨て、ガラスがないまま元の位置に戻した。  ベッドもちゃんと綺麗にして――シンクに残されてたあのひとがあとで洗うつもりだっただろうコップだけを洗って、そして俺の部屋に入って、それからあの部屋を後にした。  お袋はなにも言わなかった。お袋もあまり寝てないのかもしれない。目の下に隈があった。 『今日は大丈夫……。私は参列者のほうにいるから』 『わかった。大丈夫』  喪主の挨拶は昨日と同じようにお袋や伯父さんと一緒に考えた。  葬儀会場へ着くと、昨日と変わらない憔悴した顔の祖父母たちに出迎えられた。みんな俺になにも言わなかった。  ただ通夜のとき以上に、堪えるような辛そうな表情をみんなしていた。  今日が、最後なのだから、と。 「――ご遺族の方から順番にご焼香をお願いいたします」  焼香の途中、司会の女性の静かな声に立ち上がる。  式の流れはちゃんと事前に打ち合わせがあってちゃんと頭にいれていた。緊張で数珠を握る指先が微かに震えてしまう。そっと深呼吸して一礼して焼香に向かう。  みんな何を考えて焼香するんだろう。  縁があまりないひとならただ焼香の手順を間違えないようになんて思ったりしてるかもしれない。  俺は――なにも考えれずにただ手順通りに焼香をして席に戻った。  祭壇の中の遺影はおととし社員旅行で撮ったという笑顔のあのひと。  焼香に並ぶ列へと視線を向けて、そっと止まりそうになる呼吸を続けるために息を吸い込んだ。  いくつもの嗚咽が響く中で焼香と読経が終わって僧侶が退席していった。  司会が弔電を読み始め、それが終わると俺の挨拶だ。  子どもの俺が、喪主。  あのひとに妻はいなくて、息子は俺なのだから。  司会が喪主による挨拶を――と告げて俺は祭壇のほうへ近づき一礼してマイクの前に立った。  作った文章は当たり障りのないものだ。 「遺族を代表しまして、みなさまにひとことご挨拶を申し上げます。私は故人啓介の――息子陽です」    息子、というところで驚く気配がして視線が集まるのを感じた。 「本日は、ご多用にもかかわらずご会葬、ご焼香を賜り誠にありがとうございました。故人啓介は享年38歳で、突然の事故でこの世をさってしまいました。家族が病院に駆け付けたときにはすでに戻らぬ人となっておりました。最後の別れの言葉さえ交わすこともできずに……」  電話が鳴って――それが訃報の知らせだった。  ほんの二日前のことだなんて信じられない。  俺には親父がいて、お袋がいて、弟がいて。親父とは血がつながりはないけど、家族で。  どこにでもいる家族だったのに、俺はこうして”父親”の葬儀の喪主をしている。  記憶にない父親。  だけど記憶にある――あのひとの、喪主を。 「……私は父の記憶がありません。私が幼いころに両親は離婚したからです。ただ……記憶にはなかったのですが……それは私の思い違いだと知りました。昨日、父の部屋に行きアルバムを見ました。そこには父と幼いころの私の写真がたくさんありました。ビデオも残されていて、動物園で遊ぶ姿などもありました。それを見て、私はようやく小さいころ私の手を引いて遊んでくれていたひとが――父であったことを知りました」  あのひとが何を考えていたのかは知らない。わからない。  一晩だけ過ごしたあのひとの部屋。去る前に俺のために用意されただろう部屋に足を踏み入れた。 「……父は私が二十歳になったら会いに来てくれるつもりだったようです。私の誕生日は10月でまだ先なのに……父の家には誕生日プレゼントが用意されていました」  陽へ――、とメッセージカードが添えられた小さな四角い箱。青いサテンのリボンをほどき、有名なブランドロゴが控えめにプリントされた包装紙を広げ、箱を開けると時計があった。  きっと高いんだろう時計。ブラウンの革ベルト、盤面もブラウンで――……。 「それを、父本人からプレゼントしてもらえなかったのが寂しいです。父も、心残りでしょう」  あのひとの時は止まってしまった。  俺はまだきっとずっと長い時を生きていく。あのひとが残した時計とともに。 「……お父さん、ありがとう。と、会って直接言いたかったです。息を引き取る前に一目……会いたかった」  用意していた挨拶と変わっている。自分が何を言いたいのかもよくわからない。ただあのひとの息子として――真実、思ってはいることだ。  言葉が途切れると、式場内に広がるすすり泣くひとたちの声が静かに響いてきた。 「父のことを少しでも思い出せて、そしていま、父を慕ってくれる……見送ってくださるみなさまに会えてよかったです。父のことを忘れないであげてください」  頭を下げ、目を伏せ、席へと戻った。そっと隣にいる祖父が俺の肩を優しく叩いた。

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