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灰色の糸第16話

 棺が閉じられ、出棺し、火葬場へと移動した。  そして火葬炉に入れられる。  やめて、と祖母が泣き叫んでいた。  みんな本当は引き留めたい。  もう死んでるけど、燃やしたくない。  悲鳴のような泣き声が響き渡って、これが死なんだと、知った。   「大丈夫?」 「うん」  火葬するのに一時間くらいかかるそうで、俺たちは待合室に移動していた。  お袋が隅にひとり立っていた俺に心配そうに声をかけてきた。 「大丈夫……」 「そう? まだ……骨揚げが残ってるから……辛いだろうけど……しっかりね」 「……大丈夫」  大丈夫、としか言えない。  実際、俺は父親のことをあまり知らないのだから。  一晩だけ身体を重ねたことと、俺が愛されていたことは――知ってるけど。  泣いて縋る情熱はない。  ただずっと身体の中で渦巻くよくわからないものがある、というだけで。 「……あのさ、煙って出ないんだね」 「え?」 「火葬。俺、煙突なんかで煙出るのかと思っていた」 「ああ……そうね。いまはご近所とかの配慮で無煙になってるんじゃないかしら」 「そうなんだ」  待合室の窓の外は庭で天気はよかった。 「ちょっと外の空気吸ってきていい?」  もちろんよ、とお袋の返事を聞いて、沈鬱な空気に支配された待合室を出た。  静かな廊下を進み外へ出る。  風に吹かれて溜息がこぼれた。いつの間にか息をつめていたみたいだ。  火葬炉がある棟のほうへと少し近づいて、腕時計を見た。  火葬炉に棺が入って30分が経とうとしている。  思考を巡らせたらしたくない想像がでてきて首を振ってポケットから煙草を取り出した。  緑色のパッケージの煙草の箱。俺のじゃない。  数か月すれば誕生日を迎えて二十歳になるが、まだ未成年だし。  吸ったことがないと言えば嘘だけど。  啓介さんの部屋に置いてあった煙草。  それを口にくわえて火をつけた。  灰一杯に煙を吸い込み、吐き出す。  煙が空へと昇っていく。  こんな風に、あのひとも煙になって昇っていくのかと思っていた。  もう二度と会うことがない男。 *** 『……陽くん……陽』  一夜をともにして、翌日ホテルを出たところで啓介さんは俺の手を握りしめた。  連絡先を交換して駅まで一緒に行こうと、まるで昨日出会ったばかりだって気がしないくらい俺は啓介さんに馴染んで、そして次があることを確信していた。  身体の相性もよかったし、歳は親子ほど離れているけど、きっと俺と啓介さんはうまくいく。  振られたばかりで、出会ったばかりなんてことは気にならないくらいにわくわくした気分だった。  俺だけじゃなく、啓介さんも同じ気持ちでいてくれる。それも確信していた。 『なにー?』  啓介さんは俺をじっと見つめて何か言いたげに口を開きかけては閉じて、しばらく黙り込んだ。  俺はその様子を見てドキドキした。  もしかしてお付き合いしちゃう?  啓介さん真面目そうだしエッチして責任とらなきゃーとか? いやいや、俺のこと好きになっちゃったーとか? 『……陽……くん』 『うん?』  一瞬目を伏せて、ため息を吐き出すように俺の名前がまた呼ばれる。 『しばらく忙しくて連絡ができないかもしれない、……でも必ず連絡する』  しばらく――……そっか、まぁでも啓介さん社会人だもんな。そりゃしょうがないか。  ちょっとがっかりしつつ、必ずっていう約束に顔がにやけた。 『待ってるよ』  でもメールくらいならしていいのかな? 仕事忙しいなら邪魔かな。 『うん、本当に……絶対連絡するから。そのとき、もし』  啓介さんの顔が真剣さを増して握りしめられた手にも力が込められた。 『もし――……陽が、俺のことを許してくれるのなら……』  許す?  疑問に思ったけど思いつめたようにさえ見える啓介さんの表情になにも言えなかった。 『もし……――許されるなら、陽と……一緒に暮らしたい』  ぽつり、と言われた言葉が俺の中に落ちていくのにしばらく時間がかかった。  理解していくにつれてにやにやが大きくなってくる。 『啓介さんー! もー! 急展開すぎ!』  つい笑ってしまう。やばいってくらい気持ちが弾んでいた。 『……ごめん』 『謝んなくっていーよ! めっちゃ俺嬉しいし! 本当急展開だけど――考えてもいいよ』  現実的に両親になんて言う? とか、実際いろいろあるんだろうけど、いまは本当にただ嬉しくてテンションが上がっていく。 『啓介さんと一緒にいるの居心地よかったし』 『……陽』  嬉しそうに啓介さんは目を細めて、まわりを見渡してから俺にキスをした。 ***  よく思い返せば――あのときのあのひとは嬉しそうで、どことなく苦しそうでもあったような気がしなくもない。 「許されるのなら、か」  壁に寄りかかり煙をまた空へと吐き出す。  あのときどういう気持ちでそう言ったのか。  父親として? ひとりの男として?  許される――と、許されない――と、どっちが可能性高いか……きっとわかってたろうにな。 「啓介さん」  なんで。  何度も繰り返した問い。 「……俺、まだ若いから……当分そっちへは行けないけど」  焼かれて、骨になって、灰になって、天へ昇って。  まるでいま俺が吸っている煙草の煙のように空へ昇って。  青い空にそれはまるで灰色の糸のようだった。  俺たちを繋ぐのはきっと赤じゃない――だから、灰色でいいのかもしれない。 「……いつか」  あの世というものがあるのだとして、もしまた会うことがあるのだとしたら。 「……なんでって訊くから」  そのときは教えて。  あなたのことを。  父としてのこころと、啓介というひとりの男としてのことを。 「バイバイ」   ――灰色の糸 了――

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