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外出

 23日。  アルが目覚めると、そこは自分の部屋ではなかった。  黒を基調とした、10畳ほどの部屋。  自分の部屋とは明らかに違う、余り入ったことのない部屋。漂う煙草の匂いがリンの部屋だとアルに教えてくれる。  なんでここで寝ているのだろう。  アルがリンの部屋で寝てしまっても、リンはいつも部屋に運んでくれていたのに。 「おはよう、アル」  リンの声に、身体がびくりと震える。  声のほうを見ると、裸の彼が、自分の隣に横たわっていた。  今気が付いたが、アルはリンに抱きしめられたまま眠ってしまったらしい。 「なんで、俺……」 「しがみ付いて離れなかったから。覚えてない?」  そう言って、リンは優しい笑みを浮かべる。  覚えていない。  だいたいいつも寝る前のことなんて覚えていないのだから当たり前だ。  セックスの間の記憶すらあいまいなのに。 「甘えてるときは、本当に可愛いのに」  可愛いとか言われて嬉しいはずはなく。  アルはリンに背を向けた。  今何時だろうか。  視界を巡らせ、薄暗い部屋の中で時計を探す。  ベッド横の棚に目覚まし時計があるのを見つけ、それは朝の6時前を示していた。  まだ起きるには早い。  だからと言ってここで寝ているのは気まずい。  どうしようかと考えていると、背後でリンが動き出す。  頭を撫でられたかと思うと、リンは言った。 「このままここで寝ていていいよ。  俺は起きるから」 「もう起きるの?」  驚いて振り返ると、リンはベッドから離れクローゼットから服を出して着始めた。 「うん。  ご飯用意しないとだし。まあ、今日はお弁当ないからそこまで早くはないけど」  アルより遅く寝ているだろうに、なぜ自分より早く起きられるんだろう。  ジーパンにパーカーを着た彼は、アルの額に口づけると、そのまま部屋を出ていった。  ここにいていいと言われても、なんとなく落ち着かない。  かすかに漂う煙草の匂いと、それを消すために置かれている芳香剤の匂い。  自分のベッドよりかなり大きなベッド。  アルの部屋とは何もかもが違う。  身体を見れば情事の痕がたくさん残っている。  この痕のおかげで、体育の授業で着替えるのが苦痛になっていた。  着替えの時に目につくような場所にはつけないでほしいと言ったら、足や首筋につけられるようなことはなくなったけれど、胸などにはたくさんつけられている。  いつまでも消えない、所有権を示すような痕。  修学旅行が終わっていてよかったと思う。  こんな身体を衆目にさらすなど耐え切れない。  寝てていいと言われたが、シャワーを浴びたいと思い、早々に起き出して、寝巻きを着てリンの部屋を出た。  風呂場で鏡を見て、愕然とする。  服で見えるか見えないかの場所につけられた、紅い痕。  タートルネックを着れば隠せるだろうが、そんな服もっていない。  わざとだろうか。それとも……?  意図がわからず戸惑う。  朝食の席で、オミにみられたら……と思ったが、彼は気が付かないだろう。  案の定、兄は眠そうな顔をしてテーブルにつくとそのままテーブルに突っ伏してしまった。  休みの日でも、リンは容赦なくいつもと同じ時間に兄を起こす。  とことん朝に弱い兄は、この紅い痕に気を向けることはなかった。  ジーパンに、カットソー。フルジップパーカーを羽織り、黒いマフラーをして、アルは家を出た。  マフラーで、とりあえず首の痕は隠せるだろう。  出先でマフラーをとることがないといいが。  11月の終わりと言うこともあり、空気は冷たく吹く風はいっそう寒さを感じさせる。太陽は出ているがとても頼りなく弱々しく思える。  マンションを出ると、路地に静夜が待っていた。  ジーパンに、ジャケットを羽織った彼は、今日も眠そうな顔をしている。  駅で待ち合わせだったはずなのに、なぜマンション前にいるんだろうか。  困惑していると、彼は近づいてきて、手を上げて言った。 「おはよう、アル」 「おは、よう……」  戸惑いがちに言うと、彼はなんでもないことのように、 「迎えに来た」  と言った。 「え? 迎え?」 「あぁ。歩くの、正直めんどくさいし」  答えて、彼は眠そうに欠伸をする。 「そんなに眠いなら、昼過ぎでもよかったのに」  今は10時すぎだ。  いつも眠そうにしている静夜のことを考えて、待ち合わせは昼過ぎを提案したけれど彼から午前中を指定された。  彼は首を振り、 「午後からだと、時間あっという間だろ?」  と言った。 「お前門限あるじゃん? それ考えたら午前のほうがいいと思って」  確かに、アルには門限がある。  おそくとも5時半には帰らないとリンがうるさい。 「で、デパート行くの? っていうか、兄貴にクリスマスプレゼントとか、お前ら仲いいよな」 「だって、親いないし。子供の頃、約束したから」 「あ……ごめん」  親を亡くしたころ。周りは皆、腫物を扱うかのように自分たちを扱った。  爆弾テロで両親を亡くし、兄は重傷を負った、可哀そうな子。  11歳であったし、そんな扱いは正直嫌で仕方なかった。 「べつに。いないものは仕方ないし。義理親やリンがいるし」  そう答えると、静夜は複雑な顔をする。  その顔に違和感を感じたが、正直なんでそんな顔をするのか意味が分からなかった。  静夜がアルの腕を掴む。  あたりの景色が歪んだかと思うと、見慣れない路地裏に景色が変わる。  どうやら転移したらしい。  ここはどこだろう。  そもそもあまり外に出ないので、市内だとしてもどこだかがまったくわからない。 「ここ……」 「デパートの近く。  休みだから人通り多いな」  そう言って、静夜はあからさまに嫌そうな顔をする。  壁に囲まれているとはいえ、行き来はできるので週末になると外からも観光がてらにやってくる人たちがいる。  おかげでデパート近辺は毎週人通りが多くなる。  そんな観光客相手にタネのないマジックを見せる大道芸人もいて、通りはにぎわっていた。  デパートの中に入るとそこまで混みあってはいないが、それでも人は多かった。  結局何をプレゼントにするか、何も決めていない。  兄といろいろ検索したが、これと言うものはなかった。  兄はお揃いがどうのといっていたが、やはりこの歳ではどうかと思う。  そういうのは恋人とやれば、といったら、笑ってそうだね、といわれてしまい、それはそれで複雑な思いだった。 「お前、さっきから女モノばっかりみてねえ?」 「え?」  1階にある服飾用品売り場。  ハンカチや靴下、傘などが売っている場所で、女性物が圧倒的に多い。  ハンカチや傘を見ていたのだが、静夜の言うとおり女性向けの――というか可愛い柄のモノにばかり目がいってしまう。  オミは可愛いものが好きだ。  本ばかりが散らかっている部屋には、熊やイルカなどのぬいぐるみがいろいろと飾られている。  パジャマもどこで探してくるのか猫やら熊やらキャラクターが描かれたものが多いし、布団も熊のキャラクターが描かれたものだ。 「いや、オミは可愛いもの大好きだから」 「あぁ、あいつアルファにしてはあんまりそれっぽくみえねーよな。  巧みに隠してるみたいだけど」 「隠してる?」 「あぁ。  アルファのフェロモン隠すための香水つけてるだろ?  それに、特有のオーラっていうの? アルファってそういうのあるけど、あいつからは感じねーし」 「確かに香水はつけてるけど。  オーラ……怒ると、そういうの出すけど、普段は全然。身内だからかもしれないけど、全然感じないや。  リンはそれっぽいけど」 「リン……」  呟いて、静夜は一瞬嫌そうな顔をする。 「リンなんて愛人何人もいるらしいし。  だからアルファってみんな穢れてると思ってた」 「それただの偏見とも言い切れねーな。  アルファにはそう言うやつもいるし。夏目なんてしょっちゅう相手変えてやがるし」  夏目。聞いたことあるようなないような名前に、アルは首をかしげた。 「夏目飛衣(とい)。A組だから……オミと一緒か」  言われて思い出す。  オミが毛嫌いしている、アルファの男子生徒だ。  複数の恋人がいて、それを隠しもしていない。らしい。  それに対して、オミは嫌悪感を抱いていると言っていた。  リンについては何も思わないらしいのに、なぜ同期生はだめなのかよくわからない基準だが。  同期生になど興味がないのですっかり頭から抜け落ちていた。  同じクラスになったことはないので、詳細は正直知らない。 「俺、親があいつの親と繋がりあるから、昔から知ってんだよね。  高校生になると、発情期迎えるオメガ多いし、そいつら囲ってるだとかなんだとか。俺には信じらんねーけど」 「静夜だって、言い寄ってくるやついるんじゃないの?」  疑問に思いそう口にすれば、静夜は嫌そうな顔をする。   「いなくはねーし、誘惑されたことはあるけど」 「あるの?」 「学校に何人生徒がいると思ってんだよ。  アルファとオメガは人口の約1割程度だぜ? ってことは1学年で考えたって、へたすりゃ2ケタいるんだぜ?  そりゃ言い寄ってくるやついるっての。  それに見合い? みたいなのは高1になった時から何度かさせられてるし」  見合い。と言う言葉に心が揺れ動く。  発情期を迎えたオメガや、年頃のアルファなら普通のことだ。  自分はきっとこのままリンに囲われてしまうのだろうけれど。 「普通なら、俺も見合いするんだろうなー」 「……したいの、見合い」  なんとなく静夜の声が冷たい。  その問いに、アルは肩をすくめた。 「どうだろう。  現実味なさ過ぎてよくわかんないや」  言いながら、デパートの中を歩いて行く。  デパートの1階は、服飾用品のほか化粧品や宝飾品の売り場がある。  宝飾店のひとつで男同士が寄り添いあっているのを見つけ、アルは思わず足を止めた。  少し人目を気にするように、けれど仲睦まじい様子で、ふたりは指輪を見ているようだった。  年齢はたぶん20代前半から半ばくらいだろう。  ひとりは背が高く、涼しげな瞳をした茶髪の男性。  もうひとりは男にしては小柄で、大きな瞳が特徴的な男性。  アルファとオメガのカップルだろう。  今まで気にしたことのなかった光景だ。  見ているのは結婚指輪だろう。幸せそうな様子に、なぜか心が締め付けられる。  リンとあんな風になるのだろうか?  今の状況はそんな甘いものとは程遠い。  リンとあんな風になれるのだろうか。  いや、そもそもリンとあんな風になりたいだろうか。  よくわからない。 「クリスタル」  静夜が呟いて、アルの腕をつかんだ。 「え?」  静夜の声に、現実に引き戻される。  彼はじっと、宝飾店とは違う方角を見つめていた。  静夜はその店を指差しながら言った。 「あれクリスタルの専門店っていうの?  あの熊の置物。オミ好きそう」  クリスタルの熊の置物。  視線を巡らせると、ある店のショーケースのなかに、色のついたハート型の石を抱えた熊の置物が飾られているのを見つけた。  熊は12体飾られていて、それぞれハートの石の色が違う。たぶん誕生石なのだろう。  大きさは10センチもないくらいか。   「お前ら生まれた日一緒だし。  誕生石とかならいいんじゃね」 「誕生石……」 「指輪とかネックレスはあれだろ、さすがに」  そう言って、静夜は笑う。 「でも高いんじゃね。デパートだし」 「俺、お金使わないし……1万くらいなら別に」 「……兄弟にその金額だすとか信じらんねー……」  そんな静夜の呟きをよそに、アルはその店に近づいていった。  9月の誕生石はサファイアだ。  青い石を抱えた熊の背には、小さな翼が付いていた。  確かにオミが好きそうだ。それに、お揃いだとかそういうあからさまなものではなく、けれど誕生石と言うふたりに共通している物ならば喜びそうだ。  値段は1万少々。  高いのか安いのかアルにはよくわからない。  じっと熊を見つめていると、店員の女性が近づいてくる。 「プレゼントですか?」  と店員は言い、それにアルは頷く。 「恋人ですか?」  恋人、と言われ思わず苦笑する。 「兄弟ですよ。こういう可愛いのが好きなんで」  そう言って笑うと、女性は頬を赤らめ、 「仲がいいんですね」  と言った。  ただ笑いかけるだけで、異性はたいていこういう反応を示してくる。  慣れたものだけれど、オメガとして発情期を迎えた後でも、これは変わらないのだなと思うと苦笑する。  その熊を購入することに決め、包んでもらい紙袋を下げて店を出た。  スマートフォンを見ると、11時半を示していた。  昼をイタリアンレストランでとり、適当に服屋にいったりゲームセンターに行ったりして、あっという間に時間は15時を過ぎた。

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