14 / 39

疑問

 こうやって町を歩いたのはどれくらいぶりだろう。  両親が死んで以来、すっかり外に出るのを避けるようになっていた。  でたとしても、病院に行くか、研究所に行くかくらいだ。  あまり服を買いに行くこともないし、髪もそうそうきりに行くわけでもない。  なので人が多いところと言うのは、すっかり苦手になっていた。 「アル」 「何」 「これ、あの人ににてる」  静夜の視線の先。  デパートのショーウィンドウに貼られた大きなポスター。  女性の腰を抱く男性モデルは、よく知っている人だった。 「あ……リン……」  彼がモデルをやっていることは知っているし、広告やCMにも起用されていることは知っている。  けれどあまり意識したことはないし、本人も何の仕事をしたかは絶対に口にしないので、こうやって彼がモデルをしている広告を目にする機会はあまりない。 「変なの。  一緒に住んでるけど、俺、リンが何してるかあんまり知らないや」 「まじで」 「うん。  タウン誌のライターやってるのと、こういうモデルやってるとは聞いてるけど」  メイクもしているのだろう。  ポスターの中のリンはなんだか別人のようだ。  女性とキスするかしないかの距離に顔を近づけているが、視線はこちらを向いている。  少し物憂げな表情は、色っぽさを感じる。  この見た目ならファンがいそうだ。  そう思うと、ちくりと胸が痛む。  自分の、彼への感情がよくわからない。兄以外に関心を持ったことがないし、リンは小さいころから知っている相手で、兄のような存在だからこれといって意識したこともない。  発情期に強引に関係を持たされ、そのまま毎日のように抱かれて。  なのに何も知らない。  向こうはアルの好きなものや生活パターンなど、いろいろ把握しているだろうに。 「この人何歳?」 「8上だから……25かな」 「25でアルファで……」  静夜はそう呟いて、顎に手を当てなにか考え始めたようだった。  話しかけてはいけないような気がして、アルはポスターへと視線を戻した。  香水の瓶の写真と、「Scarlet Love」という、香水名と思しき文字が書かれている。  リンは何て名前で活動しているのだろうか。  それすらも知らない。  わからないことばかりだ。リンのことも。自分の感情も。  考えるのに疲れ、めまいを覚えてアルは思わず建物の壁に寄りかかる。  人ごみに疲れたせいもあるかもしれない。  長い時間外にいすぎた。  「アル?」  静夜の声がすぐそこに聞こえる。    「大丈夫か?」  と耳元で言われ、身体の奥底が熱くなる。  彼は、アルの腕を掴むとぐいと身体を引き寄せた。  腰に手が回され、そのまま抱きしめられてしまう。  最近、彼はよく身体にふてれくるような気がする。  以前もこうだっただろうか? いや、たぶん違うと思う。 「だ、大丈夫、だから」  身体をひいて逃げようとするが、腕の力は強く逃げることはできなかった。  静夜の顔が、すぐそこにある。  同じくらいの身長なのだから当たり前だが、かなり顔が近い。  同じ男に腰を抱かれ、どぎまぎしている自分がいる。  その事実に戸惑う。今まで同じ男など意識したことなかったのに。  すれ違う人々は、誰もアルたちを気に留めない。  彼らの目的は、町の外には存在しない、タネのない芸を披露する大道芸人たちだ。  同性同士のカップルは町の外にも存在する。だから誰も、男同士で寄り添っていても気にしたりはしないのだ。 「青い顔してるけど」  心配げな表情を浮かべ、彼は言う。  心の中は誤魔化せても、さすがに顔色までは誤魔化せない。 「疲れただけだから」 「休むか?」 「どこで」  そう問うと、不意にあたりの風景が歪む。気が付くと、見知らぬ場所に移動していた。  どこかの家の玄関だろう。いくつも並んだ茶色い靴箱に、白い壁に飾られた小さな風景画。この状況で考えられるのは、静夜の家だ。 「俺んち」  移動してから答えるのはどうかと思う。  これでは逃げようもない。  いや、逃げる気はないが。  発情期の時のことを思い出すと、さすがに平然と彼の家になどいけない。 「歩くのめんどくせーし。これが一番いいかなと」 「それなら家帰るんでもよかったんだけど」  そう言うと、静夜はあ、という顔をする。  どうやら家に送るという発想はなかったらしい。  若干気まずい空気が流れるなか、ドアが開く音が聞こえた。 「お帰り、静夜」  言いながら出てきたのは、中年の男性だった。  背はアルたちより少し低いくらいか。  大きな二重の瞳に、茶色に染められた髪。  童顔とでもいうのか、幼い顔立ちをしていていまいち年齢が読めない。  紺色のシャツに、ジーパン。それに、黒いエプロンを身に着けている。 「声が聞こえたから。  珍しいね、静夜が人を連れてくるなんて」  そう言って、男性は笑う。 「静葉(しずは)さん、アルだよ。友達の」 「いらっしゃい。静夜の『母』です」  母。  という想像していなかった言葉に思わず固まってしまう。  男で母親と言うのは今までいなかった訳ではない。  学年に一人や二人いたと思うが、意識したことはなかった。  男でもオメガなら子供を生める。それは常識だ。  だから男が母親になるのは決して不思議なことではないのに。  いざ目の前にすると、戸惑ってしまう。 「そんなところに立っていないで、部屋入りなさい。  何か飲む?」 「俺が用意するからいいよ」 「静夜。いいから、部屋にいってなさい」  反論は許さない。  そんな声音でにこりと笑って静葉が言うと、静夜は黙って頷いた。 「じゃあ、用意して持っていくから」  そう言って、彼はドアの中へと消えていった。 「静夜」 「なに」 「いい加減離してくれない?」  ずっと彼はアルの腰を抱いたままだ。  静葉はなにも言わなかったが、さすがに恥ずかしい。  やっと何のことか気がついたらしい静夜は、悪い、と言って慌てた様子で離れていく。 「名前で呼んでるんだ、母親のこと」 「うん……まあ……母親だけど。昔はちゃんとそう呼んでたけど。  なんだろうな。中学入ってから名前で呼ぶようになった」  靴を脱ぎながら、気恥ずかしそうに静夜はそう答える。  それを反抗期と呼ぶのではないだろうか。 「父親は?」 「あ? 親父? は、親父さん。かなあ」 「へえ。父親は名前で呼ばないんだ」 「……なんとなく?」  言いながら、階段を上って行く。  通された部屋は8畳ほどの広さの、紺色を基調とした部屋だった。  少し大きめのベッドはセミダブルかダブルだろう。  こたつに座椅子、すっぽりはまれそうな巨大なクッション。それに大きなテレビが置かれている。  来るのは二度目のはずだが、始めてくる部屋のようでなんだか落ち着かない。  全館空調なのか、廊下も部屋も暖かかった。  こたつのそばに置かれた巨大クッションに座ると身体が沈み込んでいく。  人をだめにクッションと呼ばれているらしいが、たしかにこれでは動きたくなくなる。  想像以上に疲れていたらしく、大きく息を吐き、 「疲れた」  と無意識に呟く。 「付き合わせて悪かった」 「え?」  ジャケットをクローゼットにしまい、座椅子に座った静夜はテレビをつけながら言う。 「最初のデパートのあと。俺が行きたいところ付き合わせたからさ」 「いや、別に。買い物久しぶりだったし。ゲーセンも。楽しかったよ」  そう答えて笑うと、静夜は顔を反らしてしまう。  テレビからは流行の音楽が流れてくる。  CSの音楽チャンネルだろう。  アイドルが歌い踊るPVが流れている。  こんこん、とドアをノックする音が聞こえる。  静夜は立ち上がりドアを開けると、白いお盆を持った静葉が立っていた。  銀色のポット、マグカップがふたつ、お菓子の入った器が盆にのっている。 「はい、緑茶とおかわりはポットに入ってるから」 「ありがとう」 「夕飯は?」 「それまでには帰るから大丈夫だよ」 「えー、そうなの?」  心底残念そうに、静葉が言う。どうやら何か勘違いをしているようだ。 「静葉さん、ちがうから。そう言うんじゃないから」 「ほんとに違うの?」 「いいから、はい、ありがとう」  盆を受け取った静夜はなかば強引に母親を追い出しにかかる。 「はいはい。静夜、あとで話聞かせてね」 「あー、もう、うざいからそういうの」  心底いやそうな顔をする静夜とは対照的に、静葉は笑顔で寝転がって動かないアルに手を振り部屋を出て行った。  恋人を連れてきたと思っているのだろうか。  まあ、あんな身体を密着させているのを見たら勘違いもするだろう。普段見ることのない、静夜の困った顔は正直面白い。 「ああいうのがめんどくさい」  呟いて、静夜は盆の上のものをこたつの天板にのせた。 「いや、あれ見たら誤解するよ」  そう言うと、静夜は気まずそうな顔をして、マグカップに口をつける。  家だからだろうか。  静夜の表情がよく変わる。  あんなに感情豊かだっただろうか。いつも眠そうで、だるそうな顔しているイメージしかない。 「わかったのかな……やっぱり」  そう呟いて、静夜はマグカップをこたつの上におく。 「なにが?」 「アルがオメガだって。強くはねーけど、匂いはするからな」 「あぁ、そうか」  アルファもオメガも、特有の匂いを放つという。互いがわかるようにと。  オメガは発情期に強い匂いを放ち、近くのアルファを無差別に誘う。  アルファは匂いをコントロールでき、オメガを誘うことができるという。 「それもあって静葉さんはしゃいだんだろーな。  夕食がめんどくさそう」 「質問攻めにでもされるわけ」 「結婚はいつくらいは言いそうかな」 「なにそれ、飛躍しすぎじゃない?」  言いながらアルが笑うと、そういう人だからと呟き、静夜は深くため息をついた。  結婚とかさすがに考えられない。  それは静夜もそうだろう。  いくら発情期を迎えたオメガの結婚年齢がハタチ前後だとはいえ、まだ現実味がない。  アルはクッションから起き上がると、マグカップへと手を伸ばした。  緑茶のいい香りが漂ってくる。  それを一口飲むと、静夜がアルへと視線を向けた。    「アルさぁ、あの人と番になりたいの?」  真面目な顔をして、静夜が言う。  踏み込んだ問いかけに、思わず凍りつく。 「なんでそんなこと」  戸惑いつつそう答えると、静夜はうつむいてしまう。  そして意を決したような顔をし、大きく息を吸ってから言った。 「……いや、あの人、嫉妬深いつうか、執着心すごいっつうか……これ俺と会うからってわざとだろ?」  言いながら、静夜はアルのマフラーに手をかける。  するりとマフラーが首から離れていき静夜の手が、首筋に触れる。 「思ったより多かった」  何を言いたいのか気がつき、顔が赤くなっていく。  首筋に残るキスマーク。  静夜が言いたいのはそれのことだ。  鏡で見た限り1ヶ所だけだったが、もしかして後ろの方にたくさんつけられているのだろうか。 「前から見ると1ヶ所だけなんだな。  マフラーの隙間から見えたんだよ。後ろのところ、すっげー痕ついてるのが」  リンがなぜそんなところに痕をつけたのか、正直理解できなかった。  静夜は、自分と会うからわざとやったとか言っていたが、どうしてそう思うのだろう。  1度、静夜と関係を持ったからか?  リンが静夜を意識している?  正直信じられない。  しようと思えば、いつでもうなじを噛んで番にできると言うのに。  首に触れていた手が後ろへと回り、そのまま抱き寄せられてしまう。 「うなじ、すっげー紅くなってるけど、噛まれてはいないんだな」  安心したように静夜は言うと、身体を離して座椅子に深く座り込んだ。 「気になってたから、さ。  この間、発情してたとはいえその……」  静夜は気まずそうに言いながら、下をうつむき、頭に手をやる。  気にしてないと言えば嘘になる。  だからといって、起きたことが変えられるわけでもない。  抱いてほしいと望んだのはアルだし、発情したオメガに、アルファが逆らうのは難しいことくらい知っている。 「頼んだのは俺だし。  ただあのときのことって、俺、あんまり覚えてないんだ」  そう答えると、静夜は戸惑ったような顔をする。 「そっか。覚えてないのか。  静葉さんも言ってた。最初の発情はあまり覚えてないって。  だからどうなのかなとは思ってたけど」  そう言って、静夜は苦笑する。 「覚えてない方がいいのかもな」 「え?」 「いや、なんでもない」  静夜は首を横に振ると、お菓子を食べるよう薦めてきた。  礼をいってチョコレートの包みを手にする。  どうも静夜の様子がおかしい気がする。  なにがおかしいのかといわれたらよくわからないが。  発情していたとき何かあっただろうか。さすがに聞くのもどうかと思い、アルは疑問を心の奥底に封印し、なんでもない静夜との時間を楽しんだ。  

ともだちにシェアしよう!