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不眠
12月の始めには期末試験がある。
その一週間前から、本当にリンはアルを求めてこなかった。
その結果、案の定不眠に陥ってしまった。
明け方近くに寝て、一時間ほどで起きるという生活が、もう3日続いている。
リンに縋ろうと思ったけれど、セックスしないと眠れないことを認めるようで抵抗を感じていた。
知らない間に、リンは誰かと関係を持っているのだろうか。
そう思うと、心の奥底で、ふつふつと芽生える感情がある。
リンは毎日のように誰かを抱いていないと気が済まないはずだ。
毎日のようにまとわりつかせていた、異性やアルファの匂いを最近感じていなかったけれど。
彼に何人愛人がいるのかは知らないし、自分と関係を持つようになり、彼ら彼女らとの関係をどうしたかも知らない。
本当に知らないことばかりだ。
リンのこと。
デパートのポスターを見かけた後。
スマートフォンで検索したら、彼は本名そのままの、臨で活動していた。
モデルとしてけっこう仕事をしているらしい。
テレビCMや、広告などに割と起用されているらしい。
動画や広告の写真などは、検索でいくらでも出てきた。
ファンもいるようで、仕事情報やプライベートの話などをのせているブログもいくつか存在していた。
不思議な気持ちだった。
幼いころ、彼や紫音たちによく遊びにつれていってもらった。
両親が死んでからも、普通にそばにいて、義両親から離れて暮らしたいと言った時に支えてくれたのも彼だ。
その頃は、さすがに兄への歪んだ感情には気が付いていなかったけれど。
なんでリンは兄が好きなんだろうか。
彼は隠しもしていないけれど、だからといってオミが気が付いている気配もない。
見た目からしたら兄はオメガ的だ。
背は165位なはずだし、髪を伸ばし、線も細く非常に女性的だ。
可愛いものが大好きで、部屋にいくつもぬいぐるみを飾っている。
中学生の頃。オミはアルファと診断され。アルが、オメガと診断された。
そのころからたぶん兄は、髪を伸ばしている。
アルファだし、彼はもっと背が伸びるだろう。アルよりももしかしたら大きくなるかもしれない。
双子とはいえ二卵性だ。
異人の血が色濃く出ている自分と、日本人の血が濃く出ている兄では、成長の仕方も見た目も違いすぎる。
兄を、オメガだと思い込んでいる同期生は相当数いる。
絶対オメガだろ。
なんていう噂を耳にしたことが何度もある。
オミはアルファだ。
オメガじゃないのに。なぜ皆、オミをオメガだと思い込むのだろう。
見た目のせいだろうけれど。なぜ兄は、髪を伸ばし女性的に見せようとしているのだろうか。理解できない。
オメガに間違えられたって、いいことないのに。
昼休み。
さすがに辛く、机に突っ伏した。
身体がだるい。授業なんてほとんど頭に入ってこない。
リンとしては気を遣ったつもりなのかもしれないが、こんなの逆効果だ。
このまま帰ろうか。
それとも保健室に逃げ込もうか。
「アル?」
声がかかり、顔をあげると机の横に静夜が立っていた。
「辛いなら帰れば」
「う、ん……」
いま帰って大丈夫だろうか。
リンは仕事だろうか。
それとも、誰か連れ込んでいたら……
さすがに家には連れ込まないと思いたいが、どうだろうかわからない。
アルが反応しないでいると、手が差し出される。
「ほら。家帰るのがあれなら、うちこいよ」
その申し出を断る理由を見いだせず、アルは黙ってその手を握った。
廊下に出ると、ロッカールームに向かう兄に会った。
オミは、アルを見ると走りよってきて、顔を覗きこんだ。
「帰るの?」
短いその問いかけに、アルは黙ってうなずく。
「また、眠れてないの?」
それには、肯定も否定もできなかった。
スガリタイ。
けれど、スガレナイ。
兄の大きな瞳が心配そうに自分を見つめる。
力なく兄に笑いかけ、大丈夫だよといえば、
「嘘なんてつかなくていいのに」
などと言われてしまう。
「オミ、俺が送っていくから」
「そうなの?」
驚いた様子でオミは言い、アルと静夜の顔を交互に見やる。
「リン、には……」
「僕から言っておくよ。その方が、いいでしょ?」
何かを見透かしているような瞳と、言い方にどきりとする。
兄は気が付いているのだろうか。
リンとのこと。
静夜とのこと。
「へえ。めずらしいね、桜葉がオメガといるなんて」
聞きなれない声がオミの背後から聞こえ、アルは顔を上げた。
焦げ茶色の癖のある髪。灰色がかった二重の瞳。
アルより少し背が高い、細面の男。
「夏目」
静夜の声に明らかなとげを感じる。
彼がアルが知る数少ない同期生のアルファ、夏目|飛衣《とい》。
アルファ特有の威圧感を感じ、全身に鳥肌が立つ。
彼はアルとオミを交互に見て言った。
「桜葉は、今までオメガを近づけようともしなかったのに。
なに、心境の変化ってやつ?」
「お前には関係ねーだろ。俺はお前みたいにとっかえひっかえしねーっつーの」
嫌悪感のこもった声で静夜が答える。
オミもまた、あからさまな嫌悪を顔に出していた。
「オミは全然、俺に興味持ってくれないよね」
そう言って、彼は兄に微笑みかける。
兄は、見たことないほど目を細め、飛衣を睨み付けた。
「黙れ。僕は君に興味なんてない」
いつになく低い声で兄が言う。
その声音に背中がぞくりとした。兄があんな声を出すなんて。
珍しすぎる。
飛衣はくすくす笑う。、
「君は面白いよね。
滅多にいないよ、アルファでもオメガでも。僕に興味持たないなんて」
「自意識過剰だっていってっだろ、それ。皆がみんな、お前に興味持つかよ」
静夜が言うと、飛衣は肩をすくめた。
アルファは、何もしなくても見る者を魅了し、従わせるという。
生まれ持ったカリスマとでもいうべきか。それともフェロモンのせいか。
オミはときどきそういうものを出すけれど、静夜からは感じたことがなかった。
「自分になびかないとなると、欲しくなるじゃない? わかるだろう、桜葉」
「……うっせーよ。
俺は帰る。ほら、行くぞ、アル」
そう言って、静夜はアルの腕を掴む。
触れている場所がじん、と熱く感じるのは気のせいだろうか。
「静夜、よろしく」
背中からオミの声が聞こえてくる。
大丈夫だろうか。
どうも飛衣は兄に興味を持っているらしい。
まさかオミをオメガと勘違いしている?
そんなことあるだろうか。
アルファなら、匂いでオメガがわかるだろうに。
兄に対してそんな勘違いをするだろうか?
不安が心の中で膨らんでいく。
先生に早退することを伝えたのかとかそんなことを気にする余裕もなく、アルはそのまま学校の玄関から静夜の家へと連れられて行ってしまった。
「あいつ。性別関係なく欲しいと思ったものは何でも手に入れようとするんだよな」
言いながら、静夜はブレザーを脱ぎクローゼットへとしまう。
アルは、静夜のベッドに寝かされていた。
不安のせいか、他の要因か。胸に痛みを感じとてもじゃないが起きていられなくなり、静夜によって強制的にベッドに運ばれてしまった。
「オミはだいぶ前から目をつけられてるみてーだけど。
まさかオメガだと思い込んでねーとは思うけどなあ」
「……静夜にも、わかるよね」
「あ? 何が」
言いながら、彼はベッドの横に座り込み、アルの顔を覗き込む。
「オミがアルファだってこと」
「うん、まあ……でも正直、最初はオメガだと思ってた」
「え?」
「思い込みっていうの?
あの風貌だし。
オメガの特徴だらけだからな、オミって。
アルからオメガの匂いを感じるまでは、オミがオメガだと思ってた」
「そうなんだ……」
兄は、オメガを装っているのだろうか。
見た目が見た目だから、皆兄をオメガだと思い込む。
けれどそんなの意味不明すぎる。
社会的地位が低く、差別されがちで、へたをしたらレイプ被害にあいかねないオメガを、なぜ装うのだろうか。
「髪伸ばしてるから、余計女っぽく見えるな。
ほっそいし」
「食べても太んないって言ってたな。最近家じゃあ寝てばかりだけど」
オミの腕の中で眠れたら、どんなにいいだろうか。
たぶんきっと、それはかなわないだろう。
そもそも体の大きさが違いすぎるし。
腕の中に納まるのは兄の方だ。
それでもいいから、兄と眠れたらいいのに。
けれどそれは叶わないだろう。リンが、それを許さないだろうし。
オミも本気にはしないだろう。寝ぼけでもしないかぎりは。
胸に痛みを感じ、アルは自分で身体を抱きしめた。
なんでこんなに痛いのだろうか。
わからないことだらけだ。
ぎしぎしとベッドがきしむ音が聞こえる。
ふわりと、アルの身体を花のような甘い匂いが包み込む。
いったい何を考えているのかと思い、ベッドに横たわり、アルを抱きしめる静夜を見やる。
彼は優しく微笑み、
「これなら、眠れるか?」
と言った。
胸の痛みが、少しずつ弱くなっていく。
「せい、や……?」
弱々しく彼の名前を口にすると、彼はちゅっと、額に口づけてきた。
本当にほんの少し触れただけなのに。
額が熱い。
「匂い……」
「え?」
「いや、この匂い。安心、する……」
「あぁ……出しすぎると、欲情させちゃうけどな」
静夜は冗談交じりに言い、ぎゅっとアルの身体を抱きしめてくる。
最近彼に甘えてばかりな気がする。
なんでここまでするのだろう。
彼の心臓の音が、すぐそこで聞こえる。
妙に鼓動が早いように思うけれど気のせいだろうか?
考えてもわからず、アルは無意識に静夜に縋り瞼を落とした。
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