18 / 39

戸惑う

 アルが家に帰ると制服姿の兄が、リンに寄り添ってソファーで眠っていた。  すこし困った様子のリンの顔と、眠るオミの顔を交互に見つめる。  兄がリンに甘えること事態はあまり珍しいことではないが、困った顔のリンは正直珍しい。  いったい何があってこんなことになったのだろうか。 「学校で何かあったみたいで。  帰ってきてからずっとこうしていて、さっき寝た」  と言って、リンは苦笑する。  アルが帰った後に、何かあったのだろうか。頭をよぎるのは、あのアルファの少年だ。  誰か事情を知っていそうな人間を考えるが、兄は人間関係が希薄だ。  あまり思いつかない。  翔太郎なら何か知っているだろうか?  そう思い、スマートフォンを制服のスラックスから取り出した。 「アル」 「え、あ……なに」 「代わって」  代わっての意味が分からず、きょとんとしているとリンは手招きしてくる。  ソファーに歩み寄ると、リンはニコリと笑い、 「俺、夕食準備するから。  ここにいて」  と言った。  やっと意味を理解して、アルは内心戸惑った。  リンに代わって兄の隣に座って、彼の枕になれってことか。  呆然とするアルをよそに、リンはそっとソファーから立ち上がる。  オミはソファーにもたれ微妙な角度でそのままの姿勢を保っている。  すこしでも押したらそのままぼすん、とソファーに転がりそうだ。 「いくらなんでも起きちゃうだろうし、かわいそうだから枕になって」 「え……わ、わかった」  言いながらアルは先ほどまでリンが座っていた場所に座る。  すると、すぐに兄はアルに寄り添ってきた。  なんで彼はこんなに眠れるのだろうか。  正直羨ましい。  寝てばかりの兄と、眠れない自分。  何もかもが極端だ。 「先に着替えればよかった」  呟いて、眠る兄を横目で見る。  まさかこんな事態になるとは思っておらず、制服姿のままでリビングに来てしまった。  兄も制服姿だが、ブレザーは脱いでいる。  鼻につく、柑橘系の香水の香り。それに紛れて香る、アルファ独特の甘い匂い。  眠っているとフェロモンをダダ漏れにさせてしまうのはどうにかならないだろうか。  リンも静夜も、寝ているからと言ってフェロモンを出すことなどないのに。 「静夜……」  口の中で小さく呟き、目を閉じる。   彼に抱き締められて眠ったことを思いだし、身体の奥底が熱くなっていく。 「アル、お帰り」 「あ、起きたの?」 「うん……でも、なんかアルの匂いがしたから」  兄が匂い云々言うのは珍しい。  兄はうっすらと目を開けて、アルの肩を枕にしたまま視線だけをアルの顔に向ける。 「でも、他の匂いもする」 「え?」 「アル、恋人でもできたの?」  まっすぐに自分を見つめる茶色い瞳。  その中に映る、目を大きく見開く自分の顔。 「でもよくわからないや。  やっぱり僕って、匂いが判別できない」  そう言って、兄は大きく欠伸をする。 「疲れちゃった。  なんかさ、アルファらしくっていうの? そう言う風にすると疲れるんだよね」 「アルファらしくって何」 「えー? なんていうの? 他人を威圧したりとか? 言い寄ってくるやつがいてさ。  いい加減うっとうしくって、本気出したら気持ち悪くなっちゃった」  本気出したの意味はよくわからないけれど、言い寄ってくるやつと言うのは、きっとあの夏目という生徒だろう。  正直オミに言い寄る気持ちはわからなくもない。  何せ見た目が女性的だし、弟であるアルから見ても可愛らしく見える。  その大半は、長く伸ばした黒髪のせいだが、兄はかたくなに髪を切ろうとしない。 「僕はアルファらしくないって自覚はあるけど。  けれどそんなの僕が決めたわけじゃないしね」 「……オミは、なんで髪を伸ばしてるの? それ切るだけでだいぶ印象変わると思うんだけど」  そう問いかけると、兄はあからさまに不機嫌な顔になる。 「僕は好きな髪型にしているだけだよ。  アルファだからって、アルファらしく振舞う必要なんてないじゃない」 「うん、まあ……たぶんそうなんだろうけど」  知っているアルファが少ないので比較ができないけれど、ステレオタイプなアルファはもっと自信家で、自分をオメガに見せかけるような真似はしないのではないだろうか。  わが兄ながら、よくわからない。 「アルは好きな人いるの?」 「急に何」 「僕よく言い寄られるけど。誰かを好きだとか、大事にしたいとか思わないから。  僕はアルがいればいいしね」  言って、兄は笑う。  アルがいればいい。  その発言が本気なのか冗談なのかよくわからず、目を瞬かせて兄を見る。   「そんなに驚くようなこと? 弟なんだし。  世界に、僕と血がつながっているのは君しかいないんだよ」 「うん……そうだけど」 「わかってはいるんだけどさ。  アルが、たとえばリンとかに持っていかれるとなったら僕、複雑だろうなって」 「なんでリンと。っていうかそれオメガじゃないと無理じゃない」  そう言うと、兄はあ、そうか、と呟く。  兄にはまだ、アルの第二の性について話していない。  普通なら匂いで気が付くだろうが、オミにはオメガの匂いがわからないからたぶんまだ気が付いていない……と思う。  発情した時も、インフルエンザとか理由をつけ、義両親に預けたと聞いているし、オミはとことん鈍感なのでまだ何も知らない……と思いたい。  オミはもぞもぞと動いたかとおもうと、ぎゅっと首に腕をまきつけてくる。  兄の考えることは本当にわからない。  すべては急で、すべては意味不明で。  なんで兄は抱き着いてきたんだろう。  わずかに香る、アルファのフェロモンにめまいを覚える。 「僕はアルを離したくないけど。  もう高2だもんね。  君が誰かを選ぶなら、それを受け入れる覚悟しないとなのかなーって。そう思うんだよね」 「お、み……?」  心が揺れる。  自分は誰といたいのだろう?  兄? リン? それとも……? 「オミは俺なしで生きていけるの?」  考える間もなく、言葉が唇から滑り落ちる。  オミはしばらく沈黙した後、 「考えたことないや」  と、笑いを含んだ声で言う。  いつもいるのが当たり前で、離れるなんて考えたことがない。  けれどこのままいったら、オミと離れるのだろうか?  でも、リンと結婚という事態になれば、そもそも彼はオミを手元に置いておきたいのだから兄を遠ざけはしないだろう。  ……アルの中にある、もう一つの選択肢。  静夜。  一度寝て、最近かかわりの深い友人。  彼と番になる?  そんなことありえるだろうか?  胸が締め付けられるような感覚に、戸惑いさえ覚える。  静夜を意識している? いや、アルファだし、意識してもおかしくはないけれど。  リンと番になると思っていた自分には意外だ。 「……アル? 大丈夫? 顔紅い」 「え? まじで?」  兄の不思議そうな顔が視界に入る。  静夜のこと、そんなに意識しているのだろうか?  揺れ動く自分がいるということはそう言うことだろう。 「アル面白い。  そんな風に動揺することってあるんだね」 「からかわないでよ。  俺、別に動揺してないし」  言いながら、抱き着く兄の身体を引きはがそうとする。  けれど思ったより力が強く、身体が離れない。 「えー。なんで抵抗するのさ?  いいじゃない。きょうだいなんだし」 「男同士で抱き合うのはどうかと思うよ、俺」 「いいじゃん、べつにー」  兄の抗議の声を無視して、何とか引きはがそうと努力する。  あがいていると、兄が身体を離していく。 「何じゃれてるの。夕飯、できたよ」  リンの笑いを含んだ声に、そう言うことかと気が付く。  リンが呼びに来たから、兄は離れたのだろう。  オミは返事をして、大きく伸びをする。 「いくら寝ても寝たりない」 「寝すぎだと思うけど」  呆れ顔で言うと、兄は首をかしげる。 「そうだね。  アルは大丈夫? 身体。また眠れてないんでしょ? 僕と一緒に寝る?」  また、兄は本気とも冗談ともつかないことを言う。  普段なら首を振って、冗談いうなと言うのだが、正直眠れず試験が不安な今はそんな強がりも出てこない。 「一緒に寝てくれるの?」    ためしに言ってみると、兄は笑顔で、 「じゃあ、アルの布団、僕の部屋に運ばないとね」  と返してくる。  どうやら本気らしい。 「早くしないと、ご飯さめるよ」  リンの声が、ダイニングキッチンから聞こえてくる。  オミとアルは、慌てて立ち上がり、食卓へと向かって行った。

ともだちにシェアしよう!