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葵
どこまでが本気で、どこまでが冗談なのかわからない兄を、リンが制した。
試験が近いし、ふたりで寝たら修学旅行よろしく余計に寝なくなるだろうと言われ、オミは若干むくれたがそれでも大人しく従った。
試験勉強をそれなりにやり、12時前にはベッドに入る。
案の定一時間以上経っても眠れず、幾度も寝返りを繰り返した。
それでも日中静夜のもとで眠れたため少しはましではあったが、それでも次の日身体は怠かった。
リンには休むことをすすめられたが、かたくなに断り今日も学校に行った。
午前中はいいが、午後になると辛くなる。
リンに抱いてもらえば眠れる? それを認めてしまったらすべてが崩れ落ちる気がして、求める気持ちにはなれなかった。
いつでも来いと静夜が言うが、彼に甘えていいのかよくわからない。
試験が終われば、またリンに抱かれる日々が来る。
リンとあんな関係になっているのに、それは、静夜だって匂いで気が付いているだろうに。
なぜ気遣ってくるのだろうか。
よくわからない。
すっかりなじみになってしまった保健室のベッド。授業中と言うこともあり室内は静かだった。
身体を丸め、ぼんやりと壁を見つめる。
静夜に抱かれ、眠れるならばその方がいいのだろうか。
静夜。
彼の匂いは心地よかった。
リンとも兄とも違う、優しい包み込むような匂い。
それを思い出し、身体の中心が熱くなる。
彼に欲情している?
友達なのに。
いや、彼とは一度寝ていることを考えれば、普通の友達ではすでになくなっているのかもしれない。
静夜は何も言わないし、自分からも触れられるわけがない。
オメガとか、アルファとか。
そんなものに振り回されず生きていけるならいいのに。
運命の番というものが、アルファやオメガにはあり、それからは決して逃れられないという。
そんなものが現れたら……結婚だとか、妊娠だとか。
どこか遠い世界の出来事だと思っていたのに。
アルファは本能でオメガを孕ませたいと思い、オメガは本能で子供を欲するという。
そんなことを思う日が来るのだろうか。
そんなの、ただただ恐怖だ。
進路を考えなくちゃいけないのに。
未来は暗闇の中にあって何も見えない。
日曜日。
朝食の時間には容赦なく起こされ、食事の後は部屋に引きこもった。
苦手な現代文と古典だけはやろうと教科書をぼんやりと見つめる。
古典の本文と訳文を眺めていると、廊下がなんだか騒がしいことに気が付いた。
ドアがノックもなく開き、黒髪の女性が入って来た。
焦げ茶色のロングスカートに、白いブラウス。それに茶色のジャケットを着た、お嬢様風の女性だ。
「アルー! 遊びに来たわよ!」
「葵……?」
その女性は、まさしく義母の葵だった。
160センチそこそこの身長に、白い肌。長く伸びた髪は三つ編みにし、前に垂らしている。
年齢は28とか9とか。それくらいなはずだ。
新婚だった彼女は、周りの反対を押し切り、アルたちを引き取った。
彼女は勉強机の椅子に座り、驚きで目を見開くアルに抱き着いてくる。
ふわっと香る香水の匂いに、その奥底にあるよく知っている匂い。
オメガ――
今まで気にもしていなかったが、葵はオメガだったのか。
そう言えば、季節の変わり目になると体調が悪そうだった。
たぶん薬を飲んで、発情期を乗り切っていたのだろう。
そのことに気が付き、また戸惑う。
そんなアルのことなどかまわず、葵は言った。
「アル、大丈夫? リンに変なことされていない?」
「変なことって何」
されていると言えばされているし、されていないと言えばされていないし。
というか、彼女はアルがリンと関係を持ったことを知っているはずだ。
「ちょっといい?」
と言って、葵はアルの首筋を見つめる。
何を確かめているのかはすぐに気が付いた。うなじを噛まれていないか確認しているのだ。
「よかったー。まだ無事なのね」
心底安堵したような声で、葵が言う。
「……噛まれてないよ。今は」
言いながら、葵の身体を押しのけようとする。
正直、オミに聞かれたら嫌なのでそういう話はあまりここでしたくない。
「心配してたのよ。本人にはくぎ刺したけど。
いろいろ穢れているやつだけど、その辺はちゃんとしているのかしら」
意外だ、という声音で葵は言いながら身体を離していく。
「くぎ?」
いったい何を言ったのだろう。
そういえば、初めて発情した後、病院に連れていかれ、そこに葵が来ていた。
葵には特に何も言われなかったけれど。
リンは何か言われたと、紫音が言っていた。
「同意もなしに噛みやがったら殺す。って言ったかもしれないわね」
言いながら、葵はニコリと笑う。
正直シャレにならない。
たしか、葵は重力をあやつる超能力者だ。
しかもかなり強力な。
本気でやれば、町のひとつは滅ぼすくらいの力を秘めていると聞いたことがある。
最強の能力者のひとりだ。彼女には、人一人殺すくらいたやすいだろう。
「葵、それはやめてほしいんだけど」
苦笑して言うと、葵は人差し指を顎に当てて考え込む。
「じゃあどうしようかしら。
消すとか? それじゃあ変わらないわね。うーん……」
「葵?」
発想が物騒な義母をどうしようかと悩んでいると、ドアがノックされる。
「アル? 葵?」
聞きなれた男の声。
リンの声だ。
ドアが開き、リンが部屋の中を覗き込んできた。
「葵、本気?」
苦笑を浮かべて言うリンに対し、葵はニコリと笑って答える。
「当たり前じゃない。出掛けるわよ」
「出かけるって何?」
試験前日に何を言っているのだろうか、この義母は。
「貴方たち、別に成績悪くないでしょう? というか、とりあえず真ん中より上にはいるはずよね」
確かにそうだ。けれど、オミもアルも苦手な科目と言うものが存在し、その科目だけはそれなりに努力が必要だ。
オミは数学が苦手だ。それだけは努力をしている。
であるのだが、どうやら義母は容赦なく自分たちを外に連れ出すつもりらしい。
「まあ、オミには拒否されちゃったけど。
仕方ないわね。無理して外に連れ出すつもりはないし。だからアル、ついてきなさい」
「マジで言ってるのそれ」
諦めながらもそう問いかけると、葵はもちろん、と笑顔で答える。
さっさと着替えろという葵の命令のもと、アルは最近購入した黒いタートルネックにパーカー。それにジーパンにハーフコートを着て、外に出た。
外に出ると、凍てつくような風が吹いている。
「っていうかどこ行くの」
「私も仕事忙しかったし。貴方と話していないから。だからアル、今日は私に付き合いなさい」
そう言って、義母はにこりと笑った。
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